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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第216回
島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
10−16(土)、花巻、ラ・フランス館
鮎川先生を偲ぶ会が花巻で行われるというので、単身新幹線に乗って、花巻に出かけた。鮎川先生は、花巻のご出身ではなかったはずだが、ここが好きでよく来られたそうで、そのおり、いつも泊まられていたラ・フランス温泉館という馴染みの宿で、以前よりのゆかりの人、若手作家、編集者たちが少人数で集まり、先生を偲ぼうという趣向だった。主催は先生の奥さんで、推理作家でもあった芦川澄子さんで、芦川さんが鮎川先生がらみでおつき合いをしていた人たちを、自費でご招待くださった。
芦川さんと鮎川先生は、ともに「SRの会」の会員で、この集いで、ミステリーのファン同士ということで出逢われたと聞いている。今はもうなくなった立風書房で、以前鮎川先生とご一緒にアンソロジーを編ませていいただいたが、そのおり、鎌倉を散策しながら「SRの会」のことは何度かうかがった。が、芦川さんとのことはうっかり聞き漏らした。今思えば、もっとよく聞いておけばよかったと思う。
ただ、芦川澄子さんのお名前は、そのおりに先生の口から聞いた。何作か優れた短編があるというお話で、確か読んで欲しいと言われたように思うから、アンソロジーの仕事が終わってのちになるが、東京創元社の戸川さん、井垣さんにお願いして、原稿のコピーを手に入れて読んだ。この日記も、いずれ芦川澄子さんがらみで資料価値が出るかもしれないから、ぼくが読んで手元に持っている作品のタイトルを以下に記しておくと、昭和35年1月号の雑誌宝石に掲載の「マリ子の秘密」、昭和35年4月号の宝石に掲載の「ありふれた死因」、36年4月号宝石の「眼は口ほどに−」、37年6月号宝石の「道づれ」、創元推理・夏号・冬号掲載の犯人当て小説「廃墟の死体」、という四編である。
いずれも短編であり、どれも優れた仕上がりになっているが、この中ではぼくは「道づれ」が格別気に入った。意表を突く結末と構成になっていて、非常に感心した。ドイツやナチがからむのも自分の趣味であり、時代の経過からやむを得ず古くなった描写などは確かにあるものの、これらが一冊にまとまっていないと知って、意外な思いがした。鮎川先生は含羞の人だから、身内のこととなると、遠慮が働いたのであろう。鮎川先生が読んでねと言われたのも、あるいはそういう含みがあったのかもしれないので、この際、これらを一冊にまとめるお手伝いができるならと以前より考えていた。今日はその話をご本人にしてみようという思いもあって、花巻に向かっていた。
東北新幹線は、東海道新幹線とは違って、東京駅を遠ざかるほどに、みるみる田園のただなかを走る風情になる。東海道もそうなのではあるが、東北の場合、もっとずっと広々とする。新花巻の駅前に降りてみれば、なんとなく空港前のようにあたりが広い。高い建物が全然ない。一面の平原といった場所にぽつんと駅ができ、セメントの道路が走っている。
タクシーに乗ると、宮沢賢治記念館だの、イギリス海岸だのといった、宮沢賢治ゆかりの名前が頭上を過ぎていく。明日偲ぶ会の会場になる、「あらえびす記念館」という表示もあった。ここは宮沢賢治の言うところの、イーハトブの地である。こういう広大な平野の中に、彼の文学のグラウンドは広がる。だから彼のゆかりのスポットは、一地点に固まることなく花巻の平野に散在する。
タクシーの運転手は女性であった。これは日本では珍しい。ロシアではもっとそうだと聞くが、アメリカではバスの運転手は女性が多い。児童送迎のスクールバスの運転手など、ほとんどそうではないかと思える。彼女はラ・フランス館の所在を知らず、携帯電話をかけて道を訊いていた。だからなんとなくこちらと会話になって、そんな話をしたら、やはりタクシーの運転手を女がやるのは怖い、と彼女は言った。お客さんにどんな怖い人がいるかもしれない。背中を向けているのだから、不意をつかれたら抵抗ができない。確かにそんなものなのであろうと思う。女性のタクシー運転手は、早朝から夜は8時まで、などと勤務枠を決めるのがよいのかもしれない。
ラ・フランス館は、彼女が知らなかったのも道理で、新幹線の駅からははるかに離れた山すそあたりにあり、ずいぶんひなびた土地にあった。しかし建物はモダンで洒落ており、また大きい。湯楽々(ゆらら)というホテルと二館形式になっている。
フロントで東京創元社ご一行などと尋ねていたら、述べたアンソロジーをやっていた際の立風書房の担当編集者、稲見氏と一緒になった。これはまことに奇遇で、彼は夫人同伴だったが、夫人は武蔵野美大の油絵科出身なのだという。当方の先輩なのであった。

部屋に落ち着いて荷物を置き、お茶を飲んでちょっと一服してから大広間に行く。偲ぶ会は明日の「あらえびす記念館」でのものが本番、今宵はその前夜である。
広間に行くと、ずらりと膳が並べられ、いつも鮎川賞のパーティで顔を合わせる若手作家たちや、編集者たちがいた。戸川さんの指示で、上座にすわらされる。明日の偲ぶ会で歌を歌ってくださる、佐々木晶子さんというクラシックの方がいらして、その隣にすわらされた。そうしたら、芦川澄子さんのお顔が見えたので、立っていって、念願の話をした。短編拝読しております。一冊にまとめませんか、およばずながら、そうできますならば編集、前書き後書きなどでお力になりたい、というようなことを言ったら、「やめてくださいよ」と一笑にふされた。「何を読まれたんです?」と尋ねられるから、先に書いた作品名を言ったら、へえ、というような顔をされた。
会食が始まり、ホテルの女性たちが現れて、われわれの眼前それぞれに置かれた膳の固形燃料に点火して廻り、何か喋れと戸川さんからキューが来るので、立ちあがって、鮎川先生のために自分に何をできるかと考えると、まあ賞を発展させることと、芦川さんの小説を単行本化すること、などとまた往生際悪く言ってみたのだが、芦川さんが乗ってこられるふうは全然なかった。以前に戸川さんもそう持ちかけ、これも断られているのだそうである。
和風の食事はうまく、人里を離れているから表は田んぼばかりで外出の誘惑もなく、ビールとハウスワインでいい調子に酔い、稲見さんとか、かつて講談社で文庫の担当をしてもらっていた白川充さんなどと歓談をして、さっさと部屋に戻った。
風呂に入りに行き、テレビを観ていたら、フランスのB級ミステリー映画をやっていた。やや太った、しかし歌が好きな娘のために、スター歌手を誘拐して無理に音楽プロデューサーを動かし、娘を強引にデビューさせて自分は逮捕させるという父親の話が、なかなか面白かった。
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