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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第215回
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10−15(金)、「龍臥亭幻想」の見本完成
カッパノベルス書き下ろし、「龍臥亭幻想上・下」の、見本本が完成したとA井さんから連絡があったので、吉祥寺駅前のルノアールでA井さんと会う。テーブルの上に広げ、見せてもらった本は立派なできであり、想定通りに完成していたので、満足してしばし眺めた。
この本の完成は、ぼくにとってだけでなく、とりわけカッパノベルスにとって、特別な出来事であった。この装丁はカッパ40数年の歴史にあって、はじめてのスタイル全面刷新で、ぼくのこの「龍臥亭幻想」は、その新装第一陣にあたる。その必要が叫ばれはじめて数年、歴代の編集長の誰もが躊躇し、二の足を踏んでいた大冒険であったから、ことここにいたるまでの経過は、まことに難産の道のりであった。
この本のデザインには、当初から関わっていた。まあ関わったと言っても、逐一報告を受け、自分の領域においての対処を決め続けていたということだが。カッパノベルスの全面刷新計画に関しても、終始意見は述べてきていた。
カッパノベルスは新書版の老舗であり、昭和34年にスタートするが、新書のフィールドではずっと別格的な存在であった。この本が創り、持っていたコンセプトを、他社の新書も追随してやってきた観がある。カッパが王座にい続けられた大きな理由のひとつは、時代時代の世相風俗を把握し続けてきたといった思想性のほかに、この本の装丁デザインが、後進のものよりも常に新しかったということがある。それは、この新書の統一装丁コンセプトを創った伊藤憲治さんのデザインに、卓越した先進性があったためである。今でこそ一見普通に見えるようになったが、スタート時は充分にアヴァンギャルドであり、以降数十年間一貫して特殊であり続けた。斬新性で後進に追い抜かれることがなかった。
カッパの顔の一番の特色は、タイトル文字や著者名が、表紙に使われている画像の邪魔をしないということにある。これは、画家にとってはおそらく嬉しいことに違いない。表紙の下方1/3のところに区切りの横ラインを入れ、タイトル・著者名はすべてこの下方、1/3のスペースに入れる。そしてラインの上方2/3のスペースは、まるまる画家に供するという考え方で、カッパはここには、伝統的に具象画でなく、抽象画を入れることを基本としてきた。赤川次郎さんなどは、今でもこのオリジナルのスタイルを踏襲して、厳にくずしていない。
このコンセプトがいかにユニークであるかは、追随する新書に、このスタイルのものが一冊もないのを見ても解る。みんな絵やイラストを表紙全面に配し、右上にタイトル、そのすぐ左横に著者名、あるいは左端に著者名としている。講談社ノベルスがこれを破ってセンターにタイトルを配するようなことを始めて、これもとてもよかったが、カッパの伊藤デザインを圧するほどのコンセプト理論はなかったから、統一装丁とはならなかった。
しかしさしものこの伊藤デザインも、だんだんに古くなった。そこにカッパノベルスの販売部数の低下も重なって、そろそろ新しい装丁を考えなくてはならなくなった。この声は、デザインに一家言のある自分などには、ここ数年来絶えず聞こえてきている。そこで自分もまた、自分の守備範囲で、このことをしきりに考えるようになった。

自分の考えを言うと、デザイン一新のこの考え方はよく解るし、正しいと思うが、販売部数の低下はさまざまな複合的要因の相乗効果で、装丁デザインの責任量は少ないように思っている。PCゲーム、ヴィデオにDVD、海外旅行にスキーにサーフィン、こういう娯楽は、カッパノベルス・スタートの時点では存在しないといってもよかった。だからカッパノベルスの送り出した名作、あの「点と線」が名作となり得たのは、あのつつましい時代のゆえがあり、今あのタネは、意表を突いたものとしては機能しないであろう。飽食時代の今は、もう本という媒体自体がエンターテインメントの圧倒的な王者ではなく、かつてのようには売れていない。
ただし、この販売低調を、斬新な装丁デザインでもって一気に打開しようという考え方なら、これは解る。そうなら別の話になってくるが、そうなればそうなったで、紙という材料に文字を印刷、縦横の比率も表紙の材料も以前通りという新書版形態で、そこまでのショックを買い手に与えるのはもう無理と思われた。携帯電話の新機能がみなにショックを与え続けており、こういう衝撃にみながなじんでいる。いまさら何をやっても、書物に対しては衝撃性は感じないであろうと思った。
ともかく、ぼくは革新刷新は大好きな人間であるのだが、カッパの伊藤デザインにはまだ生命力が残っていると感じており、古くなったものがあるとすれば、まずは画像と文字スペースを隔てる横ラインの太さであると感じていた。そこで以前の書き下ろし、「吉敷竹史の肖像」では、このラインを細くして、ライン上に乗っていてた「KAPPA NOVELS」の文字を、縦書きで左端ぎりぎりに並べてみた。そして画像は、このラインを跨いでタイトル文字用のスペースにも広げてみた。横ラインのヴィジュアルの出来が、想定のレヴェルまで行かなかったが、自分としてはこのデザインはまずまず気に入っており、悪くない出来と今でも思っている。
しかしカッパノベルスのデザイン一新は至上命令で、A井氏を含め、カッパのトップ、W辺編集長など日夜頭を痛めているようだった。やるということならぼくも反対ではなかったから、どんなものが出てくるものかと楽しみにしていた。するとここに、画期的な新コンセプトが現れた。帯をとんでもなく幅広にして、全体の2/3部分を覆ってしまう。下は白一色、この帯に、画像もタイトルも著者名もすべて入れてしまおうという発想である。
このアイデアは、東京からの電話によって、口頭で聞いた。この話を聞いて、ぼくは開口一番、素晴らしいと言った。それはいい、必ず成功しますよ、この話だけでデザイナーに百万円払ってもいい。意表を突いた、実に見事な思いつきだった。カッパがスタートして40数年、ついに全面刷新に踏みきるだけのコンセプトが得られた。ぼくなども、こういうことはまったく思いつかなかったので、やはり世間には才能がいるものだと感心し、これならきっとうまく行くと考えた。

ところが後日、白紙を束ねたツカ見本が送られてき、これには暫定的にタイトルも著者名も入っていたのだが、一見して首をかしげた。文字があまりに小さすぎるのだ。位置もよくなく、自分の感覚からすると、ここに配した理由が理解できなかった。そこでまもなくかかってきたA井さんの電話に対し、開口一番、これでは駄目ですよ、と断言した。文字が小さすぎ、30年前のデザイン感覚だ、こういう端正さ、上品さがよいデザインと考えられた時代も確かにある。当時は歯科医の看板でさえ、広大な白スペースの右上隅に、**歯科と小さく書かれたものだった。だが今はもうこういう時代ではない。熾烈な平台目立ち競争、棚での視認度戦争の時代である。ライヴァルたちの文字も小さかった時代ならこれでいいが、今は軒並み黒ゴシック体で、しかも可能な限り大きく、太くしている。そもそもカッパノベルスのこれまでの歴史を振り返ってみて欲しい、タイトル表記は、明朝体小ぶり文字から、ひたすら大きく、太くしてきた歴史である。今この文字でスタートしても、確実に失敗するから、明日からすぐに文字を大きくしていく歴史が始まる、これは断言できるので、自分の「龍臥亭幻想」は、もういっそ大きな活字にしたい。自分が指定する書体、位置、大きさにして欲しい、と要請した。
ところがA井氏、それはできないのだと言う。デザイナーからの厳格な指定になっているのでと言う。それは絶対に困るとぼくは言った。カッパのためにならない。そもそもこの「龍臥亭幻想」は、厚い1冊本で行こうと提案していた。背の面積が広大になっても、タイトル文字が薄いツカ本と同じであれば、面積対比で文字は見かけ上縮んでいく。まったく予想外の、愕然とさせられる展開であった。
けれどもA井氏は、今回の本も、前回の「龍臥亭事件」と同様、上下2冊の本に分けたいと言う。そういうことなら、背中の視認性の問題は解消される。しかしこれから厚手の本は必ず出てくる、では今回は了承しますが、このデザインは、3ヶ月もたないでしょう、と断言した。
続いて、画家は誰にしましょうかと問われるので、このコンセプトの持つ非常なおとなしさ、目立たなさならば、よほど破天荒な画風を持つ人にやってもらい、ショックによる視認性底あげをもくろむほかない、そうなら、これはもう横尾忠則さんしかいないでしょう、と応えた。
ところが一難去ってまた一難で、横尾さんは今個展を目前に控え、日夜製作に没頭の毎日、とても本の装丁はできないという。しかしどうしてもと言われるのなら、あらすじを送ってもらえるなら、過去の作品群から内容に合った作品を見つけると言われた、そうA井さんは報告する。これはもう選択の余地はなかった。そうしてもらうようにと言った。
そして横尾さん提供の画像が送られてきて、素晴らしく綺麗な絵画作品だったから感激したが、当初期待したような衝撃性は内包していなかった。誰もがイメージする例の横尾流ではなく、端正な心象風景画で、しかしこの美は非常に気に入ったから心を動かされた。ぼくは長く横尾さんのファンであったし、今度のカッパの新コンセプトに組み合わせれば、ショックはなくとも、確実に美しいものに仕上がることが確信できたから、喜んで了承した。ただ、こちらの気分がかなりの激しさを持って先行しているのに、追ってあがってくるヴィジュアル群が、どれも押しなべてもの静かであることに、ちょっと不安を感じた。
かくして、この日のルノアールでの見本本との対面になるわけだが、「龍臥亭幻想」は、見事に綺麗な顔を持っていて、充分に満足した。手に持つと、述べたようなこれまでのあれこれが思い出されて、ちよっと感慨を持った。
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