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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第213回
島田荘司のデジカメ日記
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10−4(月)、映画「華氏911」
東京にいると雨が懐かしく、雨の吉祥寺に歩み出てサンロードを歩いていたら、五日市街道も近いアーケード街どん詰まりの映画館で話題の「華氏911」をやっていたから、ふらと入って観た。雨の匂いが充満した館内には、もう旬が過ぎたのか、それとも雨のせいなのか、案外人の入りは少なかった。
この映画には、以前よりコメントの要を感じていた。マイケル・ムーア監督の主張には、基本的に同意的であるし、こういう映画の製作が無意味なこととも、誤った行為とも思わない。ただ観覧後、大感動、目からウロコでブッシュは極悪人、大いに弾劾されるべきだ、というまでには同調できず、この映画のチープな作り方にも抵抗感が来て、観る前以上に冷静になってしまった。

日本人であること、その幕末以降の足取りまでを心得てこの映画を観れば、そう簡単に尻馬には乗れないなという気分になる。尻馬というのは、右翼的、好戦的なブッシュ政権の、ということでもあるし、決して左翼でなく、修正右翼的なこの映画の主張にも、といった意味である。念のために断っておくが、左翼的であったらもっと乗れない。
とはいえ、この映画に同意できる箇所はずいぶんとある。ぼくは基本的にイラク戦争は必要なかったと思っているし、911テロからイラク攻撃を発想する過程には、無理な飛躍がありすぎると考えている。イラクには石油があるから攻撃したのであり、アフガンには天然ガスのパイプラインを引きたいから攻め込んだのであり、もっと犯罪性が明白な北朝鮮には、ロクな戦利品がないから攻めずにいる、というのはその通りであると思う。以前からぼくも、この通りに考えている。
次のイラク戦を睨んでいるからアフガンでは戦力を温存し、そのために戦略行動が不徹底になってアルカイーダもオサマ・ビンラディンも取り逃がした可能性があり、現状のピースキーピングも中途半端なものになっている、という主張も、まあそんなものであろう。
ジョージ・ブッシュは、父親の時代からサウジアラビアの石油富豪ビンラディンの一族と親交があり、親爺が幹部をしているコングロマリット、「カーライル・グループ」への彼らの投資額の影響を懸念して、オサマの掃討を手ぬるく演出した可能性があるというなら、また911テロの直後、米本土からのすべての航空機の離陸が禁止される中、ビンラディン一族所有の自家用ジェット機のみは全機フリーパスであったという主張が事実であるなら、これはゆゆしい問題であり、追求されるべきという主張に同意する。
大統領側近で、テロ対策の専門家であったリチャード・クラーク氏による、911テロ発生翌日の大統領たちとの会話内容の告白も、あんまりこちらが想像している通りであるから、なかなか興味深い。大統領は唐突に、「イラクを攻撃するんだ」と言った。クラークはきょとんとして、「イラクは関係ないですよ。テロリストはサウジアラビア人だし、首謀者のオサマ・ビンラディンはアフガンにいるし」と言った。するとラムズフェルドはこう言う。「アフガンなんか攻撃してもロクなものがないからな」。
すなわちこの映画が主張するところの、「アメリカは911テロと関係のないイラクに攻め込んで、アメリカ人とイラク人が無意味に死傷している」、「そんな無駄のせいで、テロリストがやりたい放題になっている」、という主張にはほぼ同意する。アメリカがイラクを攻撃したのは石油の支配権、それが言いすぎなら影響力確保のためであり、イスラエル支援のためであり、それは国内のユダヤ系市民からの、「イスラエル最大の脅威の排除」要請が以前より根強かったゆえで、すなわちユダヤ系の票確保と、白人優位イメージへの補強という構図は、誰の目にも隠しがたいものがある。このあたりは映画の主張する通りで、米国議会には黒人が見当たらず、富裕白人たちの社交クラブ的雰囲気があることは否定しがたい。

ただ「敵から金をもらっている人間を、国の最高司令官にすえておくことはできない」という主張あたりからは、やや議論になってくるように思う。そうでない方がよいには決まっているが、オサマがサウジの一族の厄介者であることも確かであるし、誰が大統領になろうとも、サウジの石油が米国の生命線であることには変わりがない。そうならビンラディン一族には、どんな大統領でも敵対はできないであろうし、イラクの石油への影響力保全が成せない大統領なら、間違いなく国民から無能のそしりをまぬがれないであろう。
だからこのあたりをあれこれ突くのは、政治家の場当たり戦略のようでいささか苦笑気分となる。この問題を遠慮なく徹底していけば、大国アメリカは石油を手放し、イギリスあたりのポジションにまで後退せよ、という主張になってしまいかねず、ムーア監督の主張は、そこまでのものではあるまい。
さらに、911テロが起こった当時、ブッシュ大統領がとある小学校を訪問していて、側近による事件発生の耳打ちを聞いても、ただ放心した顔をして子供たちの前で絵本を読み続けたとか、大統領就任から8ヶ月、半分以上の時間をホワイトハウス以外ですごしたとか言い始めると、かつての「ロス疑惑」ふうに、なりふりかまわず悪いイメージをかき集めたといった姿勢が露見してきて、いささか影響力の低下を感じた。
否定的なフィルムをつないでいけば、どんな政権に対しても、この程度の映画はできるであろう。ムーア氏が前クリントン政権に対すれば、お色気重視でさらにうまくやれたかもしれない。こういう感想は、アメリカの知的階層にとってもおそらく同じであったろう。もっと要所を冷静に、効果的に突いていけば、さらに説得力が増して、ブッシュ再選阻止も射程内に入ったのではと感じられた。
この稿を書いている今は、もうブッシュが勝利しているので、米国内ではブッシュは史上最悪の政権だといった声も聞こえはじめている。ジョージ・メイソン大学がまとめた415人の歴史学者アンケートでは、81%が「ブッシュは失敗の政権だ」と答え、ホワイトハウス詰めを57年間務めたヘレン・トーマス記者は、「ブッシュは史上最悪の大統領」とコメントしているようであるし、2001年のノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカーロフも、「これは200余年の米史上、かつて見ない最悪の政権である。外交、経済、環境の諸問題において、極度に無責任な態度をとり続けている」、とコメントした。そうならブッシュは、もうこれ以上の再選を気にしなくてよいわけだから、事態はさらに悪化する危険もあろう。

映画には、息子も娘も軍隊に入り、これを誇りにしていた愛国婦人のライラという母親が出てくる。彼女は、「ぼくはブッシュに怒っている。絶対にあいつの再選を阻止しなくてはならない」という手紙を遺して息子がイラクで戦死した途端、イラク戦争の無意味に目覚め、ムーア監督と一緒にホワイトハウスに向かう。
ホワイトハウスの前には老婆がいて、「みんなが戦争で無意味に死んでいる」と訴えている、これに同調しようとするライラに別の女性が近づいてきて、「この人は左翼のヤラセなのよ、演技よ」とささやきかける。するとライラ氏、「私の息子も死んだのよ! これもヤラセ!?」と激昂する。すると彼女は、去りながらライラに言う。「でもみんな死んでいるのよ」。
ホワイトハウスはテロ避けのフェンスで被われていて近づけない。その場に泣き崩れ、息子に謝るライラ、「正しい戦争と信じていた私は、なんて馬鹿だったの」。
同情すべき場面ではあるが、これは監督の完全な意図通りであり、期待した通りの展開であったことだろう。観ているうちにこういうことを考えて、どうしても気分が醒めてしまう。米国が石油と白人優位のために銃とミサイルを向けた敵国にも、同じ悲しみで泣いている母親は無数にいる。米国サイドのこの母親の場合、息子が死ななければ、イラク戦争の無意味さには気づかなかったはずである。

米国民、真珠湾は知っていても、東京大空襲はほとんどの人が知らない。口に出すか出さないかは別として、「原爆投下は正しい選択であった」、と考える人たちが実は大半である。その大部分は、求められたらそうはっきりと口にも出す。これがアメリカの現実である。これに対して憤る必要はない、彼らの気持ちも事情も理解はできる。しかしそうなら、ムーア監督のこの正当な主張にも、冷静でいるほかはない。ブッシュ陣営もまた、現実的であろうとしているだけだからだ。
        イラクを攻め、北朝鮮を攻めないアメリカ。この点はクリントンも自伝で告白している。自分はアラファトとのテーブルを離れ、北朝鮮に行こうとしていた。あの時行っていれば、現状の一部は改めさせられていたろう。アラファトに行ってもいいかと尋ねると、行かないでくれ、もう少しここにいてくれと彼が言うから、それで自分も、OKぼくも中東の方が大事だ、もう少しいよう、と応えた。しかし結果は空しく、イスラエル問題を好転させることはやはりできなかった。
石油と人種問題でイラクを攻めたアメリカを責めたいなら、資源と人種問題で朝鮮半島、中国大陸を攻めた日本人は、一通りの反省を行ったのちでなくてはならない。アメリカから石油を停められると、日本はたちまちインドネシアを攻めたが、この理由をオランダ人のアジア人への傲慢とした構図も、フセイン政権の傲慢排除を戦争目的としたアメリカと同じである。むろんアメリカの場合、国連合意という発想を視野に入れていたからまだよほどマシだという主張はあり得るが、それを言いはじめると、ことは列強植民地政策の問題となって長くなる。
京都議定書を蹴り、世界の警察なら、よそよりも石油や食料の潤沢な備蓄が必要なのは当然であり、警察行動中に他国に多少の威圧感を感じさせてもやむを得ない、アメリカが駄目になれば世界の秩序は崩壊し、これは世界の庶民にとってこそ最大の不利益である。そのように組んだ理屈は、江戸時代までのわが侍の、庶民への睥睨優越思想と完璧に同一である。こういうことをわれわれは、うっかり健忘してはいけない。

「華氏911」を観覧し、無批判にムーア監督に同意する日本人は、ハリウッドR映画の見すぎで、自分が白人になってしまったという錯覚が前提にありそうである。これは文明開化以降、全体の8割だった農民がそのままサラリーマンに移行し、2割しかいなかったはずの武士に全員が変化したミステリーとも関連がある。これは今や無根拠な確信ともなり、プレジデント誌の「信長論・秀吉論」等をわがこととして読んでいる現実の延長である。
この種の自己暗示力はわが民の特技であるが、陪審制を持たないわれわれ、もっともらしい現実に直面する都度都度、常に常に冷静であろうとする練習を積まなくてはならない。
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