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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第208回
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4−24(土)、尾道。
大仕事が終って、24日は東京に戻るだけ、この日は休暇ということになった。原書房のI毛さん、講談社のK木さんもまじえ、SSKのメンバーみなで尾道でも歩いてみようかと計画していたが、K木さんは急用ができて早めに帰京してしまい、SSKのメンバー、千日紅さん、有紀さん、いちごさん、あるいはたかこさんなどとは連絡が取れないという。それでI毛さん、えいこさん、如月さんという4人で、尾道の街を歩くことにした。
福山駅から、在来線の緩行に乗って尾道まで行く。よい天気で、窓から見える山肌が異様なほど間近い。くっきりと生々しく、木々の1本1本までがよく見える。昔、満州から日本に戻った経験のある高齢者と話したことがある。彼は日本に戻ってきて列車に乗ったら、窓から見える日本の山々があんまり身近くて、懐に飛び込んでくるような気がしました、と語った。なんだか感動したから、まもなく書いた処女作品「占星術殺人事件」の中で、この台詞をそのまま遣った。あの人が見た列車の窓からの山というのは、きっとこんな様子だったのだろうと思う。アメリカから戻ったぼくも、今やはりそんなように感じる。このあたりだったのだろうか。
尾道の駅前に出ると、何やらにぎやかで、お祭をやっていた。背後を振りかえれば、尾道駅の小さな駅舎の上に、観光城がそびえる。あいかわらず華奢で、石垣から城への連続がやや不自然だ。もし秀吉がこの城を攻めたら、綱をかけて引き倒したかもしれない。この城も、ぼくが福山市にいた頃に建った。
尾道もまた、20年振りくらいだろうか。右手には銀色に輝く円筒形のモダンな建物ができていて、やはりかなり印象が変わっている。しかし駅舎だけは昔と変わらない。駅前の狭さも、これは変えようもないが、相変わらずだ。だっとばかりに駈けだせば、すぐ海に落ちるだろう。
尾道には確かうまいラーメン屋があった。尾道は、尾道ラーメンという伝統のスタイルがあって、名前は忘れたが、その店はこの代表格だった。吉敷竹史も食べたに違いないから、これからそこに行って昼食にしようと提案した。
I毛氏が駅の売店に戻り、観光ガイドを買ってきた。これのラーメンの項を開いて探したら、名を思い出した。「朱華園」だった。荷物はコインロッカーに押し込み、ガイドブックの小さな地図を頼りに、みなでぶらぶらその店に向かった。
駅からは、かなりの距離があった。アーケード街を抜けていくと、沿道に駄菓子や玩具、金魚すくいの屋台がずらりと並ぶ。はっぴを着て、白く化粧をした子供たちが群れている。どうやら今日は港祭りというものらしい。朱華園はこのアーケード街が終るあたり、祭の雑踏がやや鎮まるあたりにあった。
おさだまりの行列ができている。行列の後尾につき、前方を見れば、彼方の山肌に竜宮城のような建物があり、ロープウェイのラインが、これに向かってあがっている。何やら山のいただきの桃源郷のようで、こういう趣向も福山市にはない。
行列が進んで店内に入れば、昔この店を訪れ、うまさを絶賛した壇一雄の文章が壁にある。運ばれてきたのを見たら、まことにオーソドックスな醤油ラーメンであった。ずっと昔に食べた記憶があるが、あの以降、札幌ラーメンとか塩ラーメンとか、さまざまな流行がこの国にあった。朱華園のものは、その以前の古典的なスタイルを守って、ここまで生き延びてきている。これは立派なことだ。食べてみると、評判通りにうまかった。以前食べた時よりも、ずっとうまく感じた。
ラーメンで腹ごしらえをして、ロープウェイに向かって歩いていった。切符を買ってプラットフォームに上がると、駅員のおじさんが、あの鎖のあたりまで前進して待ってくれと言ったが、土地の言葉なので誰も理解しない。ぼくが先にたって階段をあがった。
ゴンドラが下ってきた。乗り込んで発進を待てば、けっこう乗客が乗ってくる。祭の人出なのだろうか。車内は立ち客でぎっしりになった。やがて音もなくロープウェイは発進し、後尾の席から遠ざかる駅舎を見たら、さっきまで自分が立っていたプラットフォームは、遥かな地上にあって、何やら宇宙船の発進基地のようだ。
みるみる、うなぎの寝床のような尾道の街の全景が望める。細い海は川のようだ。そこに橋がかかり、貨物船が尾道に向かって進んでくる。街にはビルも目立つが、高層のものはない。街全体を、厚く緑が被っている。上空からは緑が目立つものだが、この街は特にそんなふうだ。やはり地方都市だからだろうか。
いただきに着く。そこからもう1度尾道の街を見降ろす。対岸が見えて、錆びついて廃墟のように見える造船所のドックがある。この風景はよい。ここには住んだことがないのに、福山よりも懐かしい。対岸の山の緑、手前の緑、人間の集落は、その隙間隙間に行儀よく広がって、箱庭のようだ。そして緑のみずみずしさのゆえか、奇妙に清潔な眺めだ。
福山との違いを考えた。福山市は、確かにこんな箱庭のようなこぢんまり感、そして山の緑、木々の緑、帯のような細い海、そこに浮かぶ船、そして何より、これらを箱庭を観るように見降ろせる適当な高台があることで、尾道市に負けている。こんな景色は都会にはないから、住人が久方ぶりにここに戻れば、激しい懐かしさでせつなくもなるだろう。ちょっとした詩ができたり、文章が浮かんだりもする。
文学の小道にそって下っていった。この地を訪れ、ちょっとした作品を遺した文学者の文字群が、石に刻まれて点々と立っている。松尾芭蕉の詠んだ一句、金田一京助の言葉、林芙美子の「放浪記」の1節もあったが、これがまさしくさっき述べたようなものだ。帰省する列車の窓から、久し振りに故郷の風景が見えたら、懐かしさで涙があふれていた、というものだ。
右に左にうねりながら道を下っていけば、上空をUFOのように無音で通過していくゴンドラが見える。そしてところどころ木々の切れ間から、一衣帯水の海が見えた。
途中の茶店で甘酒を飲んだら、ここのおばちゃんがとても性格がよかった。店の頭上、大岩の上には、球状に研磨された石がぽつんと載っている。ロープウェイの中に録音のガイドが流れていて、昔このあたりには、夜間海からも望めた光る石があったという伝説がある、というようなことを言っていた。これが、その光る石に仕立ててあるのだろう。
文学の小道は、最後には長い下りの石段になって終わる。そのあたりからも、青いかけらのような海が見える。右手には古い木造の3階建てが立ち、風景画を描きたくなる景観だ。昨日の鞆もそうだったが、地方には何故風景画を誘惑する景色があるのだろう。また何故東京では、この誘惑にかられないのであろう。たまたま子供のおりから、そういう風景画を目にさせられたせいか。鞆の絵など、もう何枚観たか解らないくらいだ。だからあの港町を歩けば、なんだか油絵の具の匂いも嗅ぐような心地がする。ここ尾道もそうだ。
そういえば福山市は、街中ではこの誘惑が少ない気がする。あるとすればそれは、ただ城跡付近だ。風景画も、文学も、人間の同じ場所、同じ感性から現れる気がする。そうなら福山市は、やはり人にそうさせる何かが、不足しているのであろう。中途半端に都会であるせいか。
山陽本線の錆びたレールを踏み切りで跨いで、文学の小道は完全に終った。国道を横切れば、さっきのアーケード街だ。アーケード街を、ほとんど駅のあたりまで戻ったあたりに、「芙美子」という喫茶店があった。店内には何も変わったところはなく、うずしおセットという、茶菓子と緑茶のセツトがある程度だが、店内の突き当たり、ガラス・ドアを押して裏庭に出ると、その先に「林芙美子ゆかりの家」というものが遺されている。自由に入ることができ、靴を脱いで2階に上がることもできる。
もう板も朽ちかかっていて、階段は上がるのも不安なほどの古さ、1階も2階もすこぶる狭い。ちょうど江戸深川資料館にある江戸の家のようだ。2階には鏡台があり、古い革製の大型トランクが置かれて、放浪の女流作家の仮住まい、といった演出がなされている。しかしこれは、彼女の生家ではないらしい。作家になってからなのかどうか不明だが、一時期2階に下宿していたことがある、といった家らしい。
駅前に戻り、港祭の雑踏に入ってみた。海べりにステージが造られていて、この上で群舞が進行していた。厚化粧したおばちゃんの一団が集合写真を撮っていて、面白かったからぼくも1枚撮った。
駅の真正面にあたるコンクリートの護岸にもたれ、川のような海を見てみたら、向こう岸にごく狭い砂浜が残っている。こんな駅前に砂浜とは、となんだか不思議な気分になった。戦後、太平洋岸の砂浜はどんどん潰されて、工業地帯になったり、テトラポットが折り重なったり、宅地になったりした。尾道には、駅前にまだこんな場所があるのだなと思った。これも風景画的な眺めだ。
如月さんとは、尾道の駅前で別れた。彼女はこれから在来線で倉敷方面に戻り、それから吉敷の足跡を追って、出雲まで一人旅をするのだという。尾道が起点とは、なかなか具合がよさそうだ。
われわれはタクシーで新尾道駅まで行き、新幹線で東京に戻ることにする。タクシーを使わなくてはいけないほどに、新幹線の駅と在来線の駅とは離れている。林芙美子を輩出し、暗夜行路に描かれた尾道だが、JRにはそんな扱いを受けた。しかしそんな街の方が、文学には馴染むということか。
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