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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第203回
島田荘司のデジカメ日記
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4−17(土)、ふくやま文学館の2人。
福山行きが近づき、義弟から何度もメイルが入るようになった。彼が心配してくれているには、4月23日〜6月6日までふくやま文学館で開催される「島田荘司展」だが、展示品が乏しいというのである。もっと展示品を出すべきなのだが、自分も仕事があって東京には行けない。文学館のスタッフもなかなか動けないし、また東京まで行く予算も文学館にはない。
当人がまだ生きているのだから、ぼく自身が福山まで記念品を運んでいければよいのだが、こちらも住まいはアメリカという最悪の状態である。東京から、たとえば小田原くらいに距離が近ければなんとでもなるが、福山は大阪も通り越した遥かな彼方で、遠すぎる。
以前帰国しているおり、孫の受験で東京と往復している母親に、品物を託そうかとも文学館に提案してみたのだが、これは遠慮らしくて返答がない。義弟は、心配して何度も文学館を覗いてくれているらしい。こっちも心配になり、では少し早めにポルシェで福山に入り、これに記念品を積んで運ぼうかと提案してみた。そしていっそポルシェもロビーあたりに展示したらどうかと言ったら、これはいろいろと責任が発生するのでむずかしいと言う。
なかなか大変なものだなと思っていたら、突破口を見つけたと彼が言ってきた。文学館の男性スタッフに遠慮しておとなしくしていた女性たちが、ごうを煮やし、自費で東京に行くと言ってくれたらしいのである。ありがたいことだった。来るのは2人だと言う。
それでこちらも考えた。彼女たちは休日を利用して取りにくる。猶予は1日しかないから日帰りである。吉祥寺まで取りにきてもらうと、中央線が手強い。荷物には、少なくともB2のパネルとギターがある。これらを持って、女性2人に混雑する中央線に乗ってもらうわけにはいかない。新幹線の駅までこちらが運ぶのが合理的だから、東京駅まで車で運ぼうと考えた。
しかし一計がひらめいた。彼女たちは御手洗さんのものを読んでくれているので、横浜を見たい、できたら馬車道など撮影もしたいという。そうならいっそ横浜で落ち合うことにして、こちらは車で横浜まで品物を運んでいけばよい。メイルでそのように提案したら、願ってもないとのことだったので、そう決定した。
早朝福山と岡山を発つというので(スタッフの1人は岡山在住である)、午前中に横浜に入ってもらい、馬車道のポニーでランチをして、ランドマークタワーを観てと、いろいろ観光コースを提案して、それらをすませてもらった午後に、赤レンガ・モールの前で落ち合うことにした。そこから山下公園や港の見える丘公園、また山手十番館にでも行こうと言った。その後車で新横浜まで送っていくから、新横浜で品物を手渡したいと言った。
2人の動ける日は、文京区民会館講演の翌日の土曜になった。土曜日の横浜はなかなか人出があって、赤レンガモールの前はかなりにぎやかだった。少し手間取ったし、土曜日で道が混んでいたから、ちょっと遅れてしまった。駐車場に車を入れてあわてて駈けていったら、2人組みが立って待ってくれていた。福山市の文学館の学芸員と事務担当というから、どんな女性たちかと思ったら、あんまり綺麗な2人組だったからびっくりした。
事務職が二井岡さん、学芸員が小川さんといい、面白いことに、2人とも名前は由美というのだそうだ。二井岡さんが福山在住、小川さんが岡山在住で、彼女が学芸員で国文学科出身、近代日本文学を専攻した。この時の教授の1人が、現在のふくやま文学館の館長、磯貝さんなのだそうだ。
開港記念館前の広場や、ペリーと阿部正弘が和親条約を結んだ際、そばに立っていたという玉楠などに案内した。この樹は開港記念館の中庭にまだ健在だか、関東大震災で1度焼けている。もう駄目かと思っていたら、ススの下から芽が出て、とうとうここまでに成長、復元した。
山下公園から遊歩道で人形博物館の脇を抜け、フランス山から港の見える丘公園まで登って、外人墓地を見てから山手十番館に入った。小川さんは三島や太宰に詳しく、太宰は全作品を読んでいるという。そういう一群が、彼女の研究対象であったらしい。ふと思いついて、彼の「饗応夫人」は読んでいるかと訊いたら、読んでいると言う。この作品のモデルになった画家、桜井浜江さんの住まいは、石塚桜子さんのマンションの隣りにある。ふくやま文学館は、もともとは福山出身の文豪、井伏鱒二さんの記念館として計画された。その井伏さんに師事していたのが太宰さんなので、文学館は太宰関連の資料も割合揃えている。桜井さんにインタヴューしてみたいですかと訊いたら、それは是非と言うことなので、では桜子さんに尋ねてみましょうと言っておいた。ただ桜井さんは高齢なので、急ぐ必要があるでしょうとも言った。
話し込んでいて、気づけば時間が迫ってしまっていたので、あわててタクシーを拾い、まず赤レンガ・モールそばの駐車場に向かい、タクシーは待たせておいて車から品物を取り、積んでそのまま新横浜に急行した。
B2のパネルに昔描いたLPロンリーメンのジャケット用イラスト。ラッカーで彩色したギター。昔童話を書こうとして、途中まで描いて放っていたイラスト数点。自作のピアノの模型。昔聴いていたLPレコード、などなどだった。ほかに光文社から「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」の自筆原稿も借りだして送ってもらったし、「占星術殺人事件」の英訳原稿も、あとでファイルをメイル送するつもりでいる。これだけあれば、なんとか格好がつくであろう。以前この日記で、二子玉川で観た「五木寛之展」について述べたことがあるが、こうしてはからずも、自分もやってもらえることになった。ふるさとだからこそで、そう考えたら、故郷はやはりありがたいものと思う。
新横浜駅で彼女たちと別れた。この前の活字倶楽部の面々といい、この種のイヴェントは、実質上女性たちが動かしているのだなと知った。若い彼女たちが動きださなくては、なかなか実のあるものにはならない。
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