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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第202回
島田荘司のデジカメ日記
4−16(金)、文京区民会館で講演。
東京都と福山市での講演のため、4月6日に帰国した。福山市では、ふくやま文学館が開館5周年の記念行事として、「島田荘司展」を開催してくれるという。そこでこれに付随して、福山市にあるエクトパルクというホールで講演をして欲しいという話になった。そういうことなら断れないと思い、「本格ミステリーとは何か、その意味」と題して講演をすることにして、演題を伝えた。
そうなると、秋好さんの支援で資金を作らなくてはならないOTPの東京講演も、自動的に決まった。福山市の講演が4月23日木曜日、鮎川賞の審査会が4月19日月曜日と決定されているので、これらに支障がない日にちということで、16日の金曜日とした。
会場は当初南雲堂の社内会議室を考えていたが、申し込み者が増えてきてさすがに手狭に思われたから、南雲堂の星野さんが調査し、文京区民会館が安く借りられることを見つけてくれ、会場はこちらに決定した。福山市とは遥かに離れた文京区民会館だから、ここでの演目は福山市と同じでよかろうと考え、こちらの実働は少ないものと楽観していた。
ところがそうしたら妹夫婦からメイルが入り、福山に来るなら、母校の福山誠之館高校でも講演をして欲しいという。妹のご主人が今誠之館高校のPTA会長をしているので、是非この機会にこちらもという。彼らの長男はこの春に誠之館高校を卒業したが、次男はまだ在学している。妹のご主人、つまり義弟の斉(ひとし)氏は、文学館の「島田荘司展」の開催にも大いに尽力してくれているから、彼の顔を潰すわけにもいかない。やむなく承知して、日にちはエクトパルク前日の22日とした。
するとこれはエクトパルクと同じ福山市であるから、双方の講演を聞いてくれる父兄も考えられ、同じ演題というわけにはいかない。そこでこちらは、「鎖国の終り、世界に出よう」と題して、別の内容の話をすることにした。そうなると、新たに原稿を書かなくてはならない。
こういう題にしたのは、この誠之館高校を創設したのが阿部正弘公という人で、福山藩の藩主であったが、黒船来航時は徳川幕府の中枢、老中主席筆頭という地位にあって、開国に大きく関わることになった。そういう史実があるからである。
そうしたら、ちょうど福山駅北の文化ゾーンで、文学館とも隣接している広島県立歴史博物館が、この講演の翌日、4月23日からひと月間、「阿部正弘と日米和親条約」と題した記念展示をするという。なかなかよいタイミングになった。

中央線、水道橋駅で降りて、白山道路を文京区民会館まで歩いていった。着いてみたらまだ時間が少しあるので、会館そばの喫茶店で休んでいたら、いきなり島田さん、と名を呼ぶ人がいる。見ると金田賢一さんだった。一緒にヴォランティア活動をしているオオトリさんと一緒だった。ついさっきまで、みのもんた氏の「思いきりテレビ」に出演していたのだという。こちらでぼくの講演があるというので、その足で廻ってくれたと言った。偶然ここにいて、ぼくを見かけたのだそうだ。
金田さんは、TVK神奈川テレビのお昼の番組の司会が決まったそうだ。週1〜2回のペースで、しばらくやることになる。ミステリーのコーナーを設けたいので、1度番組に遊びにきてくださいと言った。ミステリー対談などができればいいという。「暗闇坂の人食いの木」はちょうど横浜が舞台だから、映画がうまく進行しはじめたら、役者さんたちと一緒に出るのもいいですねと応えた。この番組作りの勉強もあって、今日は講演を聞きにきてくれたのだろう。今日は安井ひろみプロデューサーも来てくれるはずだから、後で紹介すると言った。
文京区民会館の控え室にいると、金田さんと安井さんが見えたから、お2人をひき合せた。ぼくとしては、今度の吉敷のシリーズのレギュラー配役のどれかに、金田さんに入って欲しいと願っている。しかしもうぼくは日本を離れて役者さんの名前も顔も知らないし、配役に口を出す気はない。一応安井さんに、そういうお願いだけをしておいた。
時間になった。暗い袖の通路を通っていきなり舞台上に出ることになったが、壇上に立って眼下を見たら、席にはみんなデスクが造り付になっている。なかなかよい会場だ。これならメモを取りながら聞くのによい。ちょうど大学の講義室のような感じだ。
講演は久し振りなので、用意すべき原稿の分量がよく解らなかった。以前の講演のものを見ようと思ったのだが、もうどこに行ったのか解らない。そこで適当に書いていったら、ずいぶんな量になった。この講演録は、「ミステリーの書き方」といったふうなタイトルをつけ、南雲堂が出版したいと言ってくれている。後で本にするのだからという思いもあって、ついつい筆がすべり、ずいぶんな量になってしまった。
このくらいは話せるだろうと思ってその原稿を持って壇に上がったら、驚いたことに、全体の2/3程度しか話せなかった。あまり早口になるわけにもいかない。ゆっくり話したら、2時間程度の時間はすぐに経ってしまう。これなら原稿などごくわずかでいいと知った。
あっという間の2時間で、借りている会場には時間制限がある。この後でサイン会もあるから、日本のミステリー史の説明だけで、講演は終えなくてはならなかった。質問も、ほんの2つ3つしか聞くことができない。質問に答えているアドリブのスピーチの方がみな湧いてくれ、盛りあがる。こういう時間をもっと設けるべきであった。しかし、味のある話をしようと思うなら、どうしても原稿は要る。けれどみんな静かに聞いてくれて、話しているのは楽しかった。

それから別室に移ってサイン会になった。日大のオナギ教授が、国文学の教授を伴ってきてくれた。国文学の教授が、面白い内容だったと言ってくださり、これは嬉しかった。サイン会の行列は長くなり、モップを持った清掃のおばさんたちや区民会館のスタッフが、背後から無言でプレッシャーをかけてくるのではらはらしたと、後で南雲社長や岩波先生が言っていた。
終了したら、大急ぎでオフ会の会場に移動する。付近の居酒屋だったが、1室には入りきらず、上下の2層になっていた。美容師のリョウさんが、若いガールフレンドを伴ってきていたり、三浦事件など実事件を追っていて、前から会いたいと言ってくれていた記者の人も来ていて、楽しい時間だった。龍一さんからおいしい日本酒の小瓶2本をいただいた。彼女は精神科の看護婦さんなので、仕事の話を少し聞いた。岩波先生がそばにいればよかったのだが、大勢なので、姿は見えなかった。金田さん、安井さんも、この会まで付き合ってくださったから、みなに紹介した。
龍一さんにいただいた日本酒がとてもおいしく、酔ってしまったので、この日は南雲さんと早々に会場を抜け出した。まだ時差ぼけもあっので、朝までのカラオケには付き合えそうもなかった。集まってくれている人たちは大半この近くに宿を取っていて、後て聞けば、やはり近くのカラオケボックスに繰り込んだようである。
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