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島田荘司のデジカメ日記
第201回
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
3−5(金)、吉敷竹史シリーズ、テレビ化ミーティング。
赤坂プリンス・ホテルの旧館1階にあるナポレオンというバーで、午後の1時から吉敷もののミーティングをした。参加は脚本を担当してくれる旧友の高田純氏、原作を預けているプロデューサーの安井ひろみ氏、MMJというオフィスの千葉氏、光文社のA井氏、それにぼくであった。
高田氏とは、20代後半の頃に、スポーツニッポンという新聞で「キャンバスナウ」という若者向きページを一緒に作っていたことがある。高田氏と石原慎一氏という2人が中心人物で、何人かがこれに参加する格好だった。その後しばらくつき合いが途絶えていたが、最近彼の小田原の家で園遊会があるというので、誘われて参加し、再会した。
これに誘ってくれたのが、高田氏のサイトに出入りしていたPattyさんだった。園遊会は彼の家の庭で行われたのだが、そこで高田氏の紹介で、プロデューサーの安井さんと出遭った。彼女は高橋克彦氏の原作も預かっていて、NHKの大河ドラマ「北条時宗」も、彼女が話をまとめた。
この席で2人から、テレビ局で島田荘司の名前を出しても、「島田さんからは原作もらえません」、という話になっていることを知った。局のディレクターたちが、みんなそんなふうに口を揃えるそうだ。この世界で「島田荘司」の名前が勝手に歩いて、えらく偏屈で性格の悪いもの書きとなっているふうなので、びっくりした。だが、心当たりがないことでもないので、説明した。映像化を辞退しているのは御手洗のものだけで、吉敷ものの方はむしろ望んでいる。御手洗ものだってふさわしい人がいて、日本型の勘違いがなされないなら時代になれば、むしろ映像化は望んでいるのだ、といった話をした。
実際吉敷のものなら、日本人にも勘違いは起こらないであろうし、むしろ得意な分野ではあるまいか。御手洗ものは、20世紀のあの時代ばかりでなく、今でもまだむずかしいかもしれない。しかしもう読者の拒否感も薄らいできている印象だし、原作の数も増した。初期数作の段階なら、注目度の高い映像で、とんでもなく変なことをされると即刻原作の息の根も止められかねないが、もう今なら何をされても大丈夫だろう。
またそんな覚悟までしなくても、たとえば今の御手洗さんでなく、青春の一時期の若い御手洗さん・石岡君ならば、映像化の可能性もある気がしている。原作の今とはまったく別の世界、推理の屁理屈はさして口にしなくとも、恋愛と青春の香りのする若者映画なら、これは一種の定型なので、スタッフも作れる自信があるはずだ。そうヘンテコにならずに日本映画が御手洗ものを作れる、そのあたりが妥当な位置なのかと思う。
こんな方法もある。そのためには原作をまったく離れ、スタッフとともにまるで新しい番外編を作る、そんなことでもいいかと思う。映画自体が一種のパスティーシュとなる、そうならどこも、誰も、傷つけずにすむ。
しかし吉敷ものならなんの心配も要らない。そういうあれこれを考える必要もない。彼の闘い方は、志ある日本人なら、日常的に憶えがある種類のものであろう。高田氏ならば、脚本家としての経験も実力の申し分ないから、こちらの抵抗感は全然ない。

そのような話をしていたら、安井さんから、それなら原作を自分に預からせて、動かせてくれないかという申し出があった。もちろんいいですよと2つ返事で了承した。高田氏も是非やってみたいと言ってくれた。
そうしたら、とんとん拍子に話が進んで、この日のミーティングになった。実質上、収録時の采配を振るうことになる千葉氏というプロデューサーを、彼らは見つけてくれた。彼も、非常に有能そうな人物だった。
放映はTBS、月曜午後9時からの2時間ワク、よほどこけない限り、これからシリーズとしてずっと出していく。吉敷作品大半の露出を目指す。何作か先には、特番ワクとして「奇想、天を動かす」もやる。こういったとてもよい話になっていた。しかしそういうことなら向こう十年も続くことになり、よく考えておかないと、通子役の女優をはじめ、配役たちが老けてしまいそうである。
吉敷役には鹿賀丈史さんが乗ってくれていて、彼はすでに「灰の迷宮」などを読んでくれ、是非やりたいと言ってくれている。早く撮りましょうと言って、もう5月後半からのスケジュールを空けてくれたそうだ。鹿賀さんならば文句はない。吉敷役にはぴたりであろうと思う。
余談だが、彼は10月12日生まれで、ぼくと同じ月同じ日である。名前は偶然にも吉敷と同じだから、なんだか縁があったのだろう。もう1人、10月12日生まれのスターがいる。真田広之さんであるが、そうならいっそ御手洗さんはもう1人の10月12日、真田さんで行くのもよいのであろうか。でも真田さんは殺陣の名手であるから、当分時代劇のフィールドから動かないであろうが。彼の「たそがれ清兵衛」は実によかった。「ラスト・サムライ」よりもぼくは好きである。
後は高田さんの問題で、5月末と収録が決まってしまったのに、脚本はまだ1行もできていない。はたしてできるものかと思い、訊くと、他に仕事が入らなければ問題ないという返事である。
この時も、だいぶ以前にテレビ化原作のことでぼくが怒っていたという話を高田氏がした。これがぼく自身にはまったく記憶がない。なんでも業界の大物、寺本幸司氏も巻き込んでいた。テレビ局がぼくをなだめるために、当時親しくしていた寺本氏に引っ張り出したらしく、それで寺本氏から高田氏にも話が行った。内容を聞くと、御手洗短編のどれかを、主人公を女性に替えてやらせて欲しいといったような話だったらしい。
思わず苦笑したが、確かにそれは受け入れがたい。最初からそういう話し方をしてくれていれば、こちらも断るなり意見を言うなりできたろうが、途中でこっちの顔色を見て話を変える、などということは当時日常茶飯であった。今でも憶えているのは「糸ノコとジグザグ」で、製作していったら、一部ナマ放送、局をあげての力作になったので、原作から名前をはずしていいかと問われた。これなども絶句である。
御手洗さんの態度をそのまま女性がやっては、ただ威張った女になりかねない。あれは変人の男だからいいのである。そんなあたりを考え、相手の無思慮、つまりそれでどんなドラマができるかの洞察力不足に、こっちも若かったから気分を害したのであろう。それとももっと別の理由があったのだろうか。
この時の話もそうだったが、こちらが腹を立ててあちこちの大物を引っぱり廻した(ぼくがやったのではないのだが)というだけのストーリーになっていて、その前に相手が何をしたかは絶対に伝わらない。これではこちらが威張り屋になるばかりである。当時はこちらも若輩であったし、にこにこ従順であったから、相手はプロ意識をもってこちらに接し、操作しやすいと踏んであれこれをやったのであろう。まあそういう印象は残っている。

テレビ化の第1作を何にするかという話になり、よければ「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」をやらせて欲しいのだが、という提案が千葉氏よりあった。かまいませんが、「はやぶさ」はすでに1度やっていますよ、と答えた。その時の役者は誰ですかと問われるので、吉敷は三浦友和さん、ほかに松原千秋さん、三波豊和さん、丹波哲郎さんも、中村刑事役でちらと顔を出してくれていた、そんな話をした。
鮮度ということをうるさく言う業界だし、先まで続けるためには1作目で他と差別感を出す必要もあろう。そのためには圧倒的に変わったもの、ショッキングな内容を持つもの、たとえば「出雲伝説」などを1発目に投入してはどうかと言ったら、いや、局の方に「はやぶさ」のシチュエーションを話したら、「死んだはずの女がはやぶさに乗っていた? そりゃ面白い」という手応えをすでに得ているので、と千葉氏は言う。穴井氏も、三浦さんの「はやぶさ」はもうずっと前なので、鮮度は問題ないでしょうと言い、そういうことならとぼくも了承して、放映1作目は「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」に決まった。
ただこのワクは、裏にSMAPの手強いバラエティ番組があり、視聴率はもっかやや低迷気味という。が、ともかく頑張りましょうということで、ビールで祝杯をあげた。今後このチームで、吉敷シリーズはテレビに露出していくことになる。

それから新館のマーブル・スクエアに移って、東映の香月さんに会った。高田氏、安井氏、A井氏にも同行してもらって、高田氏を香月氏に紹介した。みなで少し話し、あとは2人になって、「暗闇坂の人食いの木」の脚本の話をした。
ぼくはこの脚本の中で、藤並家の屋根の上の青銅のニワトリが、羽ばたくたびに聞こえる怪しげなオルゴールのメロディを、全編を通して使ってはどうか、つまり何度か聴かせるようにしてはどうかということ、ほかにもある人物をミスディレクションとして動かす方法に提案を持っており、それらを朱で書き込んだ脚本を持参していた。検討して欲しいと言って、これを香月氏に渡しておいた。
それから香月氏と食事をして、彼にタクシーで送ってもらって帰宅した。
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