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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第199回
島田荘司のデジカメ日記
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2−28(土)、初山別温泉へ。
五味温泉の炭酸泉を堪能した翌朝、例によった日本宿の定型、卵と味付け海苔と味噌汁の朝食をとって(アメリカから戻ると、何故かこれがおいしい)、続く今夜の投宿地、初山別温泉をめざして出発することにした。
荷物を持って玄関に向かう際、館内案内板を見ると、「エミュー牧場へ」、なる勧誘の張り紙がある。これはなんであろうとみなで思案し、番頭さんに尋ねたら、鳥だという。急ぐ旅ではないので、では途中、この鳥の牧場でも観ていこうかと相談する。
昨夜降雪があったらしく、雪だるまのようになった車の雪を苦労して払い、車内に入ってエンジンをかけてから、発進・ストップを何度か繰り返して、ブレーキ・ディスクから氷を落す。これをやらないと、いざという時にブレーキがきかず、事故になることがある。この土地の冷え方は、尋常ではない。
走りだしてみたら、ホテル前の道は、またしても左右に雪壁、路面も真っ白で、まるでラリー・コースだ。今は光線もよく、道と壁の境目もはっきり見えるし、対向車の姿も全然ない。ATでなく、4人も乗っていなければ、アクセルを床まで踏み、横を向いて走りたいところであるが、ここはぐっとおさえる。
「エミュー牧場知ってるか、ナビ子に訊いてみようよ」と、Pattyさんが提案する。よく喋るカー・ナヴィは、いつのまにやら女性軍にそう呼ばれるようになった。A井氏が入力して訊いてみたら、知っているという。どうやらなかなかの観光地のようだ。そこで、彼女の案内で走りだす。
広い国道をしばらく行き、曲がる指示にしたがって狭い道に入ったら、続いてさらに右だ左だと指示があり、案内通りに走っていったら、なんだか路地に入り込んで沈黙してしまった。「えー、ここなのぉ」と女性陣は不平の声をあげる。確かに何もありそうではない。ただの民家の集落地だ。降りて雪の中、右に左に歩いてみたら、民家の軒先に、「エミュー牧場」と書いた小さな看板を見つけた。しかし、どう見てもこれはただの民家である。
そこでA井さんがこの家の玄関に声をかけに行ったら、今は冬なのでやってないけど、そこの垣根のところから中を覗くのは自由です、という返事であった。それで家の脇の路地を入り込んで正面の垣根の向こうを覗いたら、庭先のような場所に、ちょっとした道ができている。寒さに震えてしばらく待っていたら、ダチョウのような背の高い鳥が、のっそりのっそりと散歩に出てきた。右手を見れば、板で囲った家がある。
茶色の羽根が全身を被い、首は細くて長く、頭部は黒いものが多い。歩くのは2本足で、どう見てもダチョウである。あるいは始祖鳥の生き残りようでもある。まもなくこれを追って別のエミューが出てきて、異性らしく、2羽で嘴を当て合って、接吻のような仕草を始めた。
人前でのこの態度に女性陣は気分を害し、えー、という声、これ食用なんだって、などという説明も聞こえる。なんだかよく解らなかったが、こういうものもこの地では観光資源であり、みなが見物にくるらしい。
名寄を過ぎたあたりで山菜日本蕎麦を食べ、一路日本海を目指した。初山別温泉というのは日本海べりにあり、海を見ながら露天風呂に入れるというふれ込みだ。これはぼくが希望したことで、もともとはオホーツクの流氷を眺めながら露天風呂に入りたいと希望した。しかしオホーツクの流氷ともなると、これはもっとずっと以前から予約していなければとても泊まれるものではないらしく、満杯だった。そこでやむなく日本海側を探してもらったら、ここが空いていたというわけである。
これも別に自分の趣味で雪中の温泉に入りたかったのではなく、まあそれもあるが、想定するある人物の足取りとして、こういう場所を巡る必要があったのである。そのために、小樽の雪明りの路祭りも、なかなかにそれらしかったのであるが、これは果たさなかった。日本海側の初山別という場所は、本来好ましくはない。というのは、士別を起点として眺めれば、五味温泉は右、つまり東、初山別は左、つまり西になってしまい、今回のようなルートは右往左往になってしまう。人は普通こういう動きはしない。
しかしわれわれの旅ならそれもまたよしということで、雪の中、山あいの道のドライヴを、ぼくは楽しんでいた。雪は、なんでもない景色も絵に変える。だから雪の季節に北へ旅すれば、景観で期待がはずれることはない。ひとつには、散文的な看板とか、外観を考えずに建っている建物などを、雪が覆い隠してしまうからだ。ささいな人の集落など、簡単に自然の営みにとり込まれてしまう。さらには遠景の山の立ち木を、雪はシルエットに変える。白いスクリーンに、影法師のような木々が折り重なって立つ様は、どんな水墨画よりも美しい。そもそもこういう画題の水墨画を、あまり観た記憶がない。
山あいを縫う道を抜けたら、ふいと日本海が見えた。海は灰色であった。上空もにわかに翳り、どんよりと重く、水平線は灰色の靄に沈んで所在が不明だ。天候も怪しくなり、小雪が舞いはじめた。このあたり、遠景には利尻島が浮かぶ姿も見えるらしいが、この天候では影も見えない。残念なことだが、流氷の白い姿もない。流氷接近は、オホーツクの側だけなのである。
パーキング・スペースがあったので車を停め、柔らかくて厚い雪をぷかぷか踏んで、波打ち際が見えるあたりまで行ってみた。日本海から吹き寄せる風は暴力的なまでに冷え、しかも強くて、髪は舞い、頬は痛く、まことに堪えがたい。なんとか波打ち際が見えるあたりに着けば、波自体はそれほど荒くなく、まるで海水浴場のように寄せている。しかし今あそこに飛び込めば、たぶん死ねるのであろう。
車に戻り、眠気をもようしてきたので、運転をPattyさんに変わってもらった。山越えはもうすんだから、ここからは初山別温泉は近い。こういう時、A井さんは戦力にならない。運転免許証を持っていないからだ。
海岸線をただ南下するだけだから、カー・ナヴィが何も喋らなくなった。「あ、ナビ子、沈黙した!」、「運転手替わったからだ!」、「女だと教えてくれないんだ」などと、前席に移った2人組が会話している。
かなり走り、右折だとナビ子が言った。「あ、渋々言ってる」。そのあたりには天文台もあり、この一帯だけで通用するものだが、星に名前を付け、命名の証明書を発行するというサーヴィスもやっているらしい。しかし、今はすべてが雪の中で休業中だ。
初山別温泉に到着する。鍵をもらい、廊下を進んで自分の部屋のドアを見ると、星座の名がついている。ぼくがおとめ座、M澤さんが天秤座だったから、交換してもらった。ミステリーだと、この後どちらかが間違って殺されたりするのである。部屋の縦長の窓に寄れば、遥か北に向かって続いていく、雪にまみれた海岸線が望める。
集合時間を定め、それまでに少し時間があったから、ぼくはこの窓の手前のデスクで、「暗闇坂の人食いの木」の脚本に、修正提案の朱を入れる作業をしばらく続けた。
それから浴衣とどてらを着て、ぶらぶら風呂に入りにいった。ここの浴場は、泊り客以外も気軽に入りにこられる。こういう施設はこの頃地方に増えた。たいてい高いが、このホテルは村営だから、宿泊料金も、入浴料金も安いようだ。しかし、入浴客は意外に少ない。
浴場は広く、シャワーになった打たせ湯、サウナ、ジャクジ、普通の浴槽、そしてガラス扉を開け、日本海からの冷気にいっ時堪えれば露天浴槽がある。ここが実に気持ちがよかった。望み通りの露天風呂が待っていた。裸身に感じる冷気などいっ時のことで、湯に沈めばたちまち暖気は回復する。
露天風呂とはいえ、頭上には屋根がある。なければ、大量の雪が浴槽に降り込むからだろうか。大勢が海を見られるよう、浴槽は横長に造ってある。海の方向にはガラスの填まった手すりがあり、これは風よけだろう。しかしこの手すりの上、屋根との間は、まったくの吹きさらしである。希望通り、日本海を眺めながらの露天入浴がかなった。しかもこんな冷気の中、外に出てくる粋狂な客はいないと見え、まったく人けがない。だからまるきりの独占状態で、30分くらいも1人入浴していた。
夕食は、河豚のぶつ切り、味噌鍋だった。山菜もたっぷり入っていて、実にうまく、暖まった。テーブル席が並んでいたが、われわれはスリッパを脱いであがる座敷を選んで陣取った。席は選び放題、客の姿は、われわれのほかにはあと1組だけなのだった。まったく意外である。オホーツク側は満杯だというのに、こちらはがらがらである。オホーツク側と日本海側では、これほどに人気の差があるのであろうか。これも流氷という第1級の観光資源の、集客力の差か。
ビールで乾杯し、鍋に舌づつみを打ったあと、いつもならさあ夜の巷にとA井さんが言いだすところであるが、せっかくの演歌的北国の夜、出かけようにも周囲はただの雪原で、巷などどこを探してもない。そこでA井氏、館内を探索して、スナックがあることを突きとめて来た。この際せっかくだからと、そこに行ってみることにした。
ところがこれが、まったく健康な店なのであった。カウンターの中に女性が1人いるだけ、アルコールはあるが、なんとかサワーが数百円という健全料金である。村の青年団のような人が、ひっそりとカウンターで飲んでいるだけ。そうしていたら、高校生の一団ふうな集団が入って来たりして、さすがのA井さんもすっかり戦意喪失、気合が入らなくなった。M澤さんがもしも講談社を退社し、別府市長か大分県知事選に立候補したら、われわれは応援演説に駈けつけなくてはならない、というような真面目な話だけして、さっさと部屋に引き揚げたのだった。そういう初山別の夜であった。
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