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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第198回
島田荘司のデジカメ日記
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2−27(金)、士別、サフォークランド。
早朝、羽田空港そばのホテルで目覚める。送迎バスに乗り込み、空港に向かう。これから北海道に飛んで、士別のサフォークランドという羊の牧場を、豪雪の中訪ねようという企画である。途中温泉にも入って、骨休めもしよう、できたらおいしいものも食べようという趣向、光文社A井さん、講談社M澤さん、それにPattyさんという総勢4人の旅だった。この人たちは、朝ホテルに集合した。
もちろんただの旅行というわけではなく、これも取材旅行である。詳細をここに書くと、先で面白くなくなるので伏せるが、いずれ光文社で書くことになりそうな小説のための、舞台探訪ということである。当初、小樽の「雪明りの路祭」というものも行程に加えようとしたのだが、残念なことに、すでに終了してしまっていた。男2人だけでは面白くないということで、A井さんが講談社に電話してM澤さんを口説いたら、あっさり行くと言い、そうなら親友のPattyさんも同行するという展開になった。
昨夜は、原書房「異邦の扉に還る時」のための仕事ををしていた。ぼくの家でペイント・ギターなどの撮影をし、I毛さんはぼくをホテルまで送ってくれてから、カメラ機材とともに横浜に向かった。寒風の中、夜っぴて撮影をしていたはずである。この本の冒頭の短編、「海と毒薬」というものに挿入する写真で、これは山下公園にある石段を、夜間にバルブ撮影する必要があった。だからそう簡単には終らなかったはずだ。ぼくが細かく指示をし、了解して彼は三脚を持って向かった。
しかし2月の北海道はもっと寒い。しかも飛来する場所は旭川、北海道でも1、2に寒い内陸部である。女性たちはアラスカにでも行くような重装備だったが、ぼくはほとんど軽装だった。そもそも直前まで仕事に追われていて、準備をしているひまもなかったし、北海道にはこの時期も含めて何度も行っている。列車の旅なら凍死の危険もあろうが、車なら、表に出なければどうということはない。ただし、運転は大変である。しかし、これももう充分な経験がある。不安はない。
飛行機の中では、ずっと「暗闇坂の人食いの木」の脚本に朱を入れていた。と言っても、これは自分の書いたものではないから、むろんこのように変えろという意味ではない。こうしてはどうかという提案である。受け入れるか否かはあちらの自由だ。ぼくがどんどん赤を入れていったら、ただ原作をなぞるだけの紙芝居になってしまうと彼らが考えることは予想している。だから、自分の作った物語という意識は捨て、脚本家の作った別の物語と考え、その内部を他人として訪問して、彼がやろうとすることを了解し、そうした上でもこれが不足している、と自信がある事柄だけを提案していった。
この作業は、着陸まで続けた。もし旭川の天候が悪かったなら、予定を変えて千歳に向かうことも考えられるので、この点了承して欲しいとアナウンスがあった。そうなら大幅に予定が狂うが仕方がないと覚悟していたら、空港は白一色の世界に沈み、遠くの山あいも、例の水墨画のようなまだら模様となっているのに、無事着陸はできるらしく、機はゆっくりと高度を下げていく。
空港のレンタカー・カウンターで予約を確認。サーヴィスのヴァンで店に向かう。しかしこの時、内心不安になった。雪が降ったばかりらしく、窓外は新雪で一面に純白、まるでスキー場のただ中だ。道の左右にできた雪の壁は高く、どんな雪国でも、車道はたいてい黒く見えているものだが、ここではそれがない。車道の中央まですべて真っ白で、左右の雪の壁との境界が不明だ。これは相当慎重になる必要がある。
車自体は、カローラの四駆が押さえてあるからまず心配はない。手続きをして走りだしたら、小雪がちらつきはじめて、案の定道と左右の壁との境界が見えない。視界はひたすら白一色で、それが雲の上の陽光に輝くものだから、ますます凹凸が解らない。センターラインなど見えず、道のどっち側を走っているのかも不明となる。その上に雪まで降りだしたから、ますます視界は悪い。
さらには道順が不明だ。言葉で道を教えてくれるカーナヴィが装備されていたのだが、扱い方が解らない。A井氏がこうなればアナログでと、地図と首っぴきで道を探すが、道路標識も雪に埋もれているし、行き方が解っても、曲がる角がどれだか解らない。田舎道と雪で、目印というものがない。当分の間往生した。
ずいぶん進んで、ようやくわずかでも舗装が黒く見えている国道に出た。交通量も増したから、多少ほっとする。けれどもレストランがない。これでは士別まで何も食べられそうにない。空腹だったが、時間も迫っているので、このまま高速道路を探して乗り、一路士別に向かうことにした。
高速道路に入れば、順調に走れる。昔こんな雪の頃、ドイツのアウトバーンも走った。雪道走行の危険は、要するにブレーキを踏むからである。その制動力が強すぎれば、タイヤは当然グリップを失う。グリップを失うほどの過激なハンドリングをやれば、これも同じことが起こる。あるいはグリップを失うほどの強いトルクをかければ、これも同じだ。
惰性で直進している限りは、路面が凍結していようと、雪が覆っていようと、あるいはそれらがランダム交互の凸凹でも、車はまっすぐに進む。ブレーキを踏めば、この時はじめて路面状況の影響を受ける。だから強いブレーキは禁物で、要はそういう局面を作らないことだ。ブレーキを踏むなら、ずっと手前から、撫でるように踏む。運転に、先までを読んだ、そういう段取りを作るのがコツだ。
食事をしなかったから、士別にはほぼ予定通りに着いた。公民館で、サフォーク牧場の人が来るのを待つ。この人が来たら、彼の車について牧場に向かう。
そもそもこの牧場に来たのは、士別が町おこしの一貫で羊の牧場を作り、この羊たちの毛を刈り、これを紡いで毛糸を作り、染めてカラフルにし、さらにはこれを編んでセーターや帽子、バッグやアクセサリーを、すべて自分らの手で生産するという産業を始めたからだった。羊の飼育から毛糸の製品までを、市民の手たけで一貫してまかなう。そしてこの事業は、主婦たちが中心になっている。そこに羊という動物の世話に憧れ、都会から若い娘たちがやってきて住みついている、こういう事実を知って、興味が湧いたからであった。こういう女性たちを取材してみたいと考えた。
牧場の男性の先導で、雪に埋もれた山道を登り、サフォークランドの「羊飼いの家」という施設に到着する。ここはぐるりを見渡せるガラス張りのレストランで、現在眺望は一面の雪景色だが、夏は広大なグリーンにラベンダーが咲き乱れ、羊たちがシープドッグに管理されながら遊んでいるのが見えるはずだ。サフォークというのは羊の種類の名称で、オーストラリア産らしい。
ここでA井さんに、この施設に送ったファックスというものをはじめて見せてもらった。作家、島田荘司氏、翻訳家、嵯峨冬弓氏、講談社編集者、M澤N子、光文社編集者、A井N則が、刊行を計画している単行本のため、取材にうかがいます。よろしくお引き回しのほど、お願いいたします、と大型活字で麗々しく印刷されていたから、度肝を抜かれた。
これではまるで大取材団のような印象で、テレビのクルーでも来たようである。関係者が大勢集まるのでは、という厭な予感を抱いた。ぼくの方は軽い思いつきでやってきているので、さほど下調べもしていない。あんまり大勢に集まられては、なんだこの程度連中かと立腹もされかねないし、何よりあまり世話になっては、後でよいことしか書けなくなる。エッセーならそれでもよいが、小説でそんなことをしていては、ドラマが起きない。この次からは、もうこういう大々的なものは入れないで欲しい、入れるならごく控え目なものを、とA井氏に頼んだ。
A井氏は、しかし彼らはそれが仕事ですし、今は冬でひまですから、大丈夫でしょうと言う。ところがそうではないのである。先月だったか、ここはテレビ取材があったばかりなのである。日本人は、テレビに出ると偉くなったと錯覚する人種である。すると、なかなかまずいことも起こり得る。偉い人には負担はかけないことが、雪道走行と同じく処世のコツである。
案の定大勢が集まり、くれた名刺にはみな、「サフォーク研究会」と書かれてある。会長、副会長までが来てくれた。実質上この会を支えている女性たちも何人も集まってくれる。しかし彼女たちは、ここではまったく発言しなかった。聞きたかったのだが、そっちに話が持っていけない。大勢が横で待ってくれているので、おちおち食事もできない。食事には羊の肉もある。
この雪の中、羊はどうしているのかと訊くと、眼下に見える「世界のめん羊館」とか、飼育舎の建物の中に入っているという。世話係に若い女性が多いのは事実で、彼女たちは全国から集まってくれている。彼女らはこのふもとにアパートを借りて住み、自転車や徒歩で通ってくる。夏に観光でやってきて、人手を募集していると聞いて、そのまま住みついた人もいるそうだ。士別の駅前では無料で自転車の貸し出しをやっているから、これに乗り、飛び込みできた人もいるらしい。人手が足りなかった時代の話である。しかしそういう人も、だいたい2年程度で辞め、新しい人に交代していくらしい。
町おこしでこういうことを始められたのですかと問うと、いやそういうことではなく、ほかにも産業はあるという。それに羊は昨今の思いつきではなく、以前から農家が副業として飼っていた。しかしこれからは、この羊に力を入れたいのだと会長は言った。日本には今、狂牛病やニワトリの病が蔓延しているので、羊肉は有望だろう。しかし羊はそう繁殖力が強い動物ではないので、商売として効率がよいわけではない。最近オーストラリアに視察に行ってきた。オーストラリアには、そんなふうにして、もう何度も行っているのだという。
村上春樹氏の「羊をめぐる冒険」は、この牧場がモデルになっているのだと会員の1人が言った。あんたも真似して、あんな小説を書く気か、というような意味のことを言う。そうでなく、ミステリーだと言うと、そんならトラベルものか、と言い、だんだんおじさんは、こんな聞いたこともない連中のために自分らまでが集められ、不愉快になってきたらしい。この土地に五木寛之先生の所有する土地がある、いくら待っても別荘を建ててくれないんだと言ったあと、あんたも金ができたらこのあたりに土地を買ったらどうだ、まああんたなら五木先生の足もとあたりで充分だ、と言ってわははと笑い、A井氏がこの後に行く五味温泉までの道順を尋ねたら、ついに「あんた運転は大丈夫なんか!」と怒りだした。とうとう堪忍袋の緒が切れたらしく、軽装備の都会者が雪道をなめて、という例の定型ストーリーが頭に浮かんだようであった。ぼくはどうしたことか、この手の威張りおじさんに出遭う頻度が高いのだが、いったいどうした理由からなのであろう。
まあこのような純粋日本人が居てくれたから、これは小説もできそうだと感じ、ありがたかくもあったが、と言ってもひどいのはこの1名だけで、ほかの人たちは友好的で、魅力のある人たちであった。
それから車で少し下り、「世界のめん羊館」に行く。ここは円形になっていて、世界中の羊が約30種、一堂に集められている。もちろん生きた羊である。このうちの14種は、日本中でもここでしか見られないものらしい。みな人懐こく、寄ってきて鼻のあたりを撫でさせる。犬と同じだ。これはアメリカで言うところの「ペッティング・ズー(触れる動物園)」である。
世話をしているのは若い女性2人で、1人は大阪から来ているという。もう1人は地元出身で、動物の飼育を教える学校があり、そこの出身なのだと言った。卒業したら、学校でこういう場所を紹介してくれるそうだ。非常に明るい性格のよい女性で、「あなたはこんなに毎日羊、可愛がっているから、羊の肉が出たら食べられないでしょうね」と訊くと、少し迷ってから、「私、食べちゃいますねー」と言ったから驚いた。
羊は湿気を嫌う。嫌うというのは、病気になりやすい。だから藁は、いつも乾いたものに替えてやらなくてはならない。羊は可愛いが、この冷気の中、数も多いし、大変な力仕事のようだ。女性が1〜2年で交代していくのも解る気がする。それにこのあたりにいたら、若い男性に会う機会もない。
もうひとつの飼育舎は、これは公開しているものではないらしい。普通の四角い建物で、もっと広く、もっとたくさんの羊がいた。ここには子羊もたくさんいる。群をなし、母親らしい羊のそばにたまっている。生まれたばかりらしい赤子の羊たちは、囲いを作ってもらい、母羊と一緒に入っていた。暖気をとるためか、中にライトが入っている。ひよこと同じだ。
子羊たちは、食用肉として出荷されるという。これはなんとも厭だった。子羊の肉はもう食べまいと、心に誓った。羊はシープであるが、子羊の肉だけをラムと呼び、昔から食用の肉として存在している。
この舎の世話係も、若くて可愛い女性だった。これは本当に顔だちがよく、A井さんがそわそわしはじめたくらいの美人である。彼女も動物の世話を教える学校の出身、飛び込みでここに来たら、人手を探していたから入ったという。では今でも仕事はあるのですかと問うと、もうないですねと言う。しかし面白いもので、北海道の富良野もほど近い士別だから娘が集まる。東北では、これほど人は集まらないそうである。

それから士別駅前に出て、主婦たちが毛糸を紡いだり、染めたり、セーターを作ったりしている工房を見せてもらった。この女性たちが、特に筆を裂きたいほどに性格がよかった。明るく、よく胸を開いて話してくれる。こちらが頼めばなんでもやって見せてくれた。足踏みで糸を紡ぐ実演を、2階でやってみせてくれた。
1階には、毛糸を染める工房がある。素の毛糸はだいたい白い。黒い羊からは黒い毛糸が作れる。白い毛糸は、玉ねぎの皮、白樺の皮、よもぎの葉、くるみ、セイタカアワダチ草などで着色する。よもぎは美しい緑色に染まるが、玉ねぎの皮で、あざやかな黄色に染まっていたのには驚いた。
工房の窓から、士別の駅舎がすぐそこに望めた。まったくの駅前だ。ずいぶんいい場所にありますねと言ったら、でもみんなこの駅は素通りしてしまい、降りる人がないんです、と1人が言う。
この建物の店先で、いろいろな製品が売られている。毛糸の製品とかサフォーク・ラーメンなるもの、あるいはジャム、女性たちは調味料など、いろいろ土産物を買い込んで、われわれは士別を後にした。
一路五味温泉に向かっていたら、艱難辛苦のすえ、ついにA井氏がカー・ナヴィを動かせるようになった。「その先の角を右折です」などと性格のよさそうな女性の声が逐一報せてくれるので、A井さんは地図係から開放である。実際この音声カー・ナヴィは重宝で、雪深い特徴の乏しい道、日が暮れてくればあたりは漆黒で、もしこの機械がなければいったいどうしていたろうと、心配になるくらいに便利なものである。しかし女性の高い声が頻繁に車内に響くので、女性たちは何故が黙りがちになった。
人家の明りもいっさいない山奥の道、どうにか五味温泉に到着した。「貴重な炭酸水の湧き続ける山あいの湯」、とパンフには書いてある。部屋に落ちつくと、雪の中に立つ裏の木立に、イルミネーションがまといつかせてあった。風呂に入ると、露天風呂のスペースからもこれが見える。炭酸泉は、別名「心臓の湯」ともいうらしい。心臓病によいらしいが、心臓を患ったことがまだないので、ありがたみは解らない。
その夜は、鹿の肉を鉄板で焼いて食べる、ちょっとこの地のジンギスカンにも似た特有の料理に、みなで舌づつみを打ったのであった。
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