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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第196回
島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
2−25(水)、ダイアン・リーヴス。
妹の息子が、慶応の法学部政治学科に合格したので、お祝いにジャズを聴きに連れていってやって欲しいと、妹が言った。六本木の「ブルーノート」に、今ダイアン・リーヴスが来ているので、ということだった。
ふうんと思い、気が進まなかったが承知した。お祝いなのだから、少々のことには我慢しなくてはならない。六本木と聞いて、六本木ヒルズ内の、行かなければ遅れる高額レストランに連れていけと言われたような、なんだか嫌な予感を抱いたのだ。
ぼくはだいたい、この手の格好よい場所には、普段は寄りつかないことにしている。みなが高級と考える場所は、経営者の側もきちんとそう意識していて、客をおだてて、つまりは小馬鹿にして、徹底的に金を絞ろうと待ち構えているものだ。日本人の場合、封建時代が長くて、田舎者見下しが一種の美徳とされる局面があったせいか、この計算がばれても恥とは感じないらしくて、どうにも馴染めないのだ。
ぼくはこれまで名の聞こえた「ブルーノート」にも行ったことがなかったし、ダイアン・リーヴスというジャズ・シンガーについてもほとんど知らなかった。そもそも流麗な女性ジャズ・ヴォーカルというものを、求めてまで聴くという習慣がこれまでにない。たぶんこの手のジャズは、CDも買ったことはないであろう。これは妹夫婦の趣味だろうと思う。息子もまた、両親の影響を受けてこの手の音楽が好きになったのだ。
しかし嫌いということでは無論ない。流れていれば心地がよい。ソファに心地よく沈んでいるような深夜、天井のBoseからこれが流れ落ちてくれば、本気になって入り込むこともきっとある。けれど、どんなふうに言えばいいか――。ぼくは小説書きもそうだが、ノミを奮って、これまでにないような建物を造っている時の熱気が好きなのである。この点はもうもいかんともしがたい。挑戦だから失敗するかもしれない、確実に綺麗なものができるという保証もない。そういう作業につい興奮する。
このやり方をすれば、確実に流麗な家ができる、という安全なやり方もある。これを馬鹿にする気はないし、これはこれでとても好きだ。けれど自分にまだ体力があるうちは、そしてジャンルがクラシックでないなら、それに没頭する気にはなれない。たまにはそういうものもいいが、そこにじっとすわり込む気はない。
ダイアン・リーヴスは、1956年デトロイト生まれ。ベーシストのチャールズ・バレルを叔父に、フュージョン・キーボード奏者のジョージ・デュークを従兄弟にもつ恵まれた音楽環境で育つ。高校時代にクラーク・テリーに認められ、75年に彼のバンドでプロ・デビューを飾った。これまでに活動をともにした顔ぶれは、ジーン・ハリス、セルジオ・メンデス、ハリー・ベラフォンテ、スタンリー・タレンタイン、レニー・ホワイトと、そうそうたるメンバーである。
サラ・ヴォーンやカーメン・マクレエなど大御所のスタイルをもしっかりと消化し、吸収していて、4ビート・ジャズからフュージョン、コンテンポラリー、さらにはブラジル音楽にいたるまで、幅広く歌いこなしたらしい。そのようにパンフレットに書いてあった。日本では「オー、ホワット・ア・フリーダム」が缶コーヒーのCFで使われて、なかなか知られているらしい。

ブルーノートは六本木かと思っていたが、行ってみれば、位置はもう原宿というべきだ。表参道の突き当たりに根津美術館というものがあるが、これの並びになる。とても雰囲気のよいライヴハウスで、ロビーで入れ換えを待っていると、壁にヴィデオの映像が繰り返し投影されていた。一種のプレ・ヴューになっている。ジャコ・パストリアス・バンドがまもなく来日するというから驚いた。ジャコはもうとっくに死んでいる。しかしぶんぶん流れるバスの唸るようなフレーズは、まさしくジャコのもので、つい興奮した。ああ、こういうのがいい、今からのステージがこれならいいのに、とつい思ってしまった。
電気楽器は、ちょっと弦に触れただけでも音が鳴る。かちんという金属音から、腹に響く野太い音まで、だから、マシンガンのように数を増やすこともできる。あれは何かの武器だ。こういうやり方が、やはりぼくは好きだ。マイルスも、いつまでもぼくは好きだろう。
何故か1人1人番号を呼ばれ、1組ずつ、監視されるようにして店内に入る。爆弾魔にでもなったようだ。入れば、やはりなにかひとつ違和感を感じて、案の定六本木ヒルズを思い出した。
この違和感というのは、よそ者、地方者を拒絶しているような、例の冷笑的優越意識と、したたかに計算された上での行儀要求心、そしてジャズを聴く客の優越心を巧みにくすぐり、おだてながら、裏でしっかりと儲けようという、持ち上げた客の背後で舌を出す、あの磨き抜かれた東京特有の技量を感じるのである。だから同じ音楽でも、アメリカで聴くのと東京で聴くのとでは、全然別ものに感じる。日本のものは、清潔で高級な印象には仕立ててある。これは大したものだと思うが、しかし楽しさという一番大事なものが削ぎ落とされて、妙に馴染めない。
店内にはまるで教室のようにぎっしりと椅子とテーブルが並び、案内された席にすわれば、ステージは真後ろだ。終始首をひねらなければ見えないから、すっかり筋肉痛となる。すぐ横には別の客が詰め込まれるから、窮屈だし、これで隣りと会話しないのはすこぶる珍妙な感覚だ。アメリカならこんな近くで、好きな音楽を聴く者同士なら、見ず知らずでもたちまち会話してしまう。
料理は馬鹿高く、ビールは気取ったつもりか輸入ものばかりだ。そしてこれがコップに少なくなれば、すぐにウェイターが飛んできて、これ次、よろしいですか? と例の慇懃な口調でプレッシャーをかける。飲まない気か、貧乏人だなと薄笑いを口もとに用意する。こういう上品な脅迫技術も、マニュアルにあるのであろう。ここは高級レストランだ、土地代が高いのだ、100円でも多く出せと悲鳴を上げているような、場末的超高級感覚は、釜が崎の賭場にでも迷い込んだようで、なかなか神経が落ちつかない。
メキシコ国境に近い、サンワンカピストラーノという街のライヴ・ハウスにチック・コリアを聴きにいった時は、これでいいのかなと申し訳なく思うくらいに安かった。そしてみんなが熱狂し、楽しかった。ブルーノートはあんまり狭いから、少し椅子を後ろにさげてすわっていたら、ウェイトレスが後ろを通れないので慇懃に嘲笑し、怒りだす。通れるように間隔を空けていない店の造りの方には、まるで問題意識が行かないらしい。すべて客の行儀のせいになり、これもまた懐かしい、あの学校感覚である。
ダイアンのバック・パンドが、4ビートのオーソドックスな演奏を始めたので、ストロボをオフにしてデジカメで撮ったら、実にまあよく監視しているもので、すぐにすっ飛んできて、「お客様!」と叱責される。ああ日本だったなとまた思い出す。どこに行っても行儀の教室である。
ちょっと思い出したが、これはジブリ美術館でもそうだった。当初撮影禁止と知らなかったので、これも展示を傷めないようにストロボをオフして写真を撮っていたら、ジブリ・アニメに出てきそうな白髪の館員おじさんが、好々爺的外観とは裏腹に、放火現場でも見つけたように怒りだしたからびっくりした。ただで入れてもらったのだったかと、思わず記憶をたどってしまった。
まあよその国のことは知らないだろうから、この烈火の道徳立腹も当然しごくなのであろうが、1日80人が黙々と死ぬわけだなと、今更実感する。日本人にこの話をすれば、全員が監視ウェイトレスと館員側に納得することにも感心する。しかし六本木プラザの冷笑態度には、これは何故だが腹が立つらしい。土地代が高いから、みんながぴりぴりして、もっと金を出せと立腹し、出さなければ嘲笑し、貧乏人扱いするぞの脅迫技術。さらには安心して相手を舐めたり、立腹したりするために、行儀発想が埃をはたいて持ち出され、盾にされるから、道徳ニッポン、みな何も言えない仕組みになっている。
これなら確かに、社会がデフレに填まれば簡単には脱却しない。金を遣うこと自体、もともと不愉快な行為だったのだ。それでも遣わなくては村八分だから仕方なく遣っていたのであって、遣わなくても暮らしが大丈夫なら、いったい誰が好き好んで金など遣うであろう。さらには、なるほどと言うような完璧な道徳武装、こうなればもうクレームつけなどあきらめて、黙って死ぬほかはなかろう。
ダイアンが出てきて、「今夜は魂を自由にして、心から自由にふるまってね」と語りかけたので、なんだか皮肉を聞くようで可笑しかった。しかし、彼女の歌唱自体は見事なものであった。特にスキャットは、喉を用いた楽器のようで、人間業ではない。そしてゆったりと美しいメロディに立ち戻れば、こちらの気分を柔らかく扱い、癒すようである。このようなオーソドックスな音楽も、たまにはいい。

またしても日本を感じた宵であった。終電までにはまだ時間があったので、若い彼と、表参道をぶらぶら下って原宿駅まで行った。途中、安藤忠雄氏による同潤会アパートの改築現場がある。これの進行具合を見たいと思ったのだが、金属壁で被われていて、まったく見えなかった。もっか、地下部分を徹底工事しているのであろう。ダイアンの歌に大いに感動しているらしい彼だったが、このビルの工事に関しては、何も知識がないらしかった。
表参道の向かいに、非常に夜間の演出が見事なガラス張りのビルがあった。全体が薄もののカーテンに包まれ、華奢な化粧品パッケージのようにファンシーだ。あの中には何があるのかと空想させる、清潔で、上品な印象。こういものもまた、日本にしかない特有の美的感覚だ。
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