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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第191回
島田荘司のデジカメ日記
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2−10(火)、ミントンハウス対談。
ミントンハウスがまだ存続していることを知り、また昼間のハッカ茶館の椎根さんとも知り合いになったので、「ミタライ・カフェ2」では、冒頭でミントンハウス対談をやることにした。椎根さんだけでなく、ミントンハウスのマスター川上さんにも入ってもらい、3者で座談会にしてもいい。そう思って原書房のI毛さんに連絡をとってもらったら、OKという返事なので、この日ミントンハウスに出かけた。
川上さんとはこの日が初対面だった。あるいは昔、この店で会っているのかもしれないのだが、ぼくにも彼にも互いの顔に記憶がない。昔は金もなかったし、常に車かバイクだったから、カウンターにすわってアルコールを飲んだことは1度もない。だから、今となってはこんなに馴染みがある店なのに、われわれの挨拶は、だから「どうもはじめまして」だった。
簡単な対談だからすぐに終了し、音楽を聴いたり、記念撮影をしたり、ミントンハウスの昔の写真や、川上さんの写真などを見せてもらい、昔運河に浮かんでいたジロウ丸という喫茶船について消息を尋ねたりした。この船について書きたいという思いがずっとあったのだ。
この喫茶船は、当時元町にあった芸術家の若者集団がプロデュースしていたもので、詳細は解らないが、あとで調べてみると彼は言ってくれた。なんでも船の上で、一時期は演劇もやっていたという。これはぼくは知らない。今でも石川町の駅前あたりにはなんだかあれこれ船が浮かんでいるから、あれらがその生き残りではないかと椎根さんが言うので、I毛さんと行ってみることにした。

石川町駅前の水は、とてもきれいだった。清潔で涼しげで、オランダの飾り窓の女たちの地区を思い出した。昔飛行機の乗換えでアムステルダムの空港に降り、時間がずいぶんあったので、電車に乗って街を見に出かけた。駅前のあたりは建物が古く、傷んでいて、そう綺麗という印象はなかったが、皮肉なことに、飾り窓の女たちの地区が、まるで文教地区のように綺麗だった。水は澄み、周囲に緑が多く、まるで風景画だった。朝だったから、特にそう感じた。あの時見た運河を思い出した。
中村川運河には、確かにいろいろと船が浮かんでいた。これらはみんな、今は動かない廃船なのだろう。白く塗られた、なんだか立派な鉄の船もある。何に使われていたのか。演劇というなら、このくらいの大きさの船でなくてはできなかったろう。
ぼくの知るジロウ丸は、こんな立派なものではなくて、木造のごく小さな船だった。屋根はあったが、たぶん昔は石炭を運んでいたとか、それとも何らかの資材を運んでいたような、そんな性格の船だったのではないか。川上さんの話は、2つの船が合体したもののように思った。
頭上の高速道路が作る大きな日陰の下には、水没した船もある。いっとき綺麗になったが、今またこんな沈船が増えた。「煙突男の死」を思い出す。あれは昭和7年だったか、労働争議のからみで、大煙突の上に何日も篭城して有名になった人物がいる。記憶が不確かだが、川崎あたりの煙突だったように思う。やがて天皇陛下の列車がその下を通る予定日が迫り、こんな男に天皇を見降ろさせるわけにはいかないというので、会社側が折れ、組合は全面勝利した。煙突男は英雄となり、全国的に有名となった。
ところが彼は、それから何年かして、この中村川運河に浮かんだ。泥酔して落下し、水死したのだろうということになったが、この事件には未だに完全な説明はつけられていない。その事件以来、この運河は妙に陰惨なイメージをまとうようになった。
オランダには、こういう沈船の風景はなかった。探せばあったのかもしれないが、運河の手入れはよく行き届いているように見えた。あそこには、頭上で陽射しを遮る高速道路もなかった。大きな陽陰が、人をして、こんな船廃棄もやりやすい心理状態にするのであろう。だがいずれにしても、オランダの運河を思い出させるほどに、ここも綺麗になった。

I毛さんの車で、みなとみらいのスターバックスや、久し振りに暗闇坂まで廻ってみた。その頃には日が落ちていて、暗闇坂は文字通り暗闇の中だった。「くらやみざか」と書いた石碑は、以前と変わらず立っている。藤並家に見たてた学校もそのままだ。変わったものは、坂の中途、家並が切れる道の先に、明りをともしたランドマークタワーが伸びあがって望めることだ。ここから意外に近いらしい。「暗闇坂の人食いの木」を書いた頃には、こんな風景はなかった。
坂道の中途に喫茶店でもあれば、入ってしばし感慨にふけりたかったのだが、この周辺には、一生懸命に探しても喫茶店はなかった。
今東映の香月さんというプロデューサーとつき合いがある。彼が御手洗のものを何か映画化したいと言うので、何回か会って話すうち、親しくなった。可能ならシリーズ的に映画化していきたいのだが、1番最初にと彼が持ち出したものが、この暗闇坂が舞台の「暗闇坂の人食いの木」だった。たぶん、あの作の横溝ふうの雰囲気が、日本映画に馴染むのであろう。それとも、ある種の馴れを感じさせて、とっつきやすいのかもしれない。とはいえこの映画、まだできるものか否か、見当もつかない。
またふいと思い出したのだが、あの作品を書いている当時、岡嶋二人さんと割合親しくしていて、会う機会も多かった。この中の1人、徳山さんという人が妙に俳優の資質を感じさせる人で、何かの余興で時代劇の鬘をかぶらされたら、あまりに決まっていたので驚いたという話が、3人で話している際に出た。彼は獅子座で、あの田村正和さんと同じ年、同じ月、同じ日の生まれなのだと言う。
作中、坂の中途に「ライオン堂」という玩具屋があることになっているが、これは実際にはない。この店主が、徳山さんをモデルにした。けっこうセリフもあり、名前は別のものを考えるのが面倒で、そのまま徳山とした。ライオン堂は彼の獅子座からの連想である。先の話が妙に印象に残っていたものだから、書いていて、ちょっとこんな悪戯をする気になった。
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