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島田荘司のデジカメ日記
第188回
島田荘司のデジカメ日記
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11−30(日)、リチャード・ニクソン・ライブラリィ・アンド・バースプレイス。
オレンジ・カウンティ(郡)、ヨーバリンダ市の、ヨーバリンダ・ブールヴァードにあるリチャード・ニクソン・ライブラリィに行ってみた。これもトミーが教えてくれたものだ。この地で教育を受ければ、学校から必ず1度は連れていかれる場所らしい。
リチャード・ミルハウス・ニクソンは、ロスアンジェルスが生んだ唯一の米大統領である。LAの南、オレンジ・カウンティ、ヨーバリンダ市の出身になる。そして在職中にその職を辞任した、唯一の大統領でもある。第36代副大統領であり、37代大統領であった。
ヨーバリンダの彼の生家は、彼がこの地を去ってからも長く残っていたようだが、手入れはされていず、70年代から80年代の頃は、永久保存されるべきだと土地の支援者たちによって訴えられていた。そういう映像を見た記憶がある。LAが生んだ唯一の大統領でもあることから、こうして無事保存され、付近にライブラリィや、記念館も併設された。現在このあたりは、「リチャード・ニクソン・ライブラリィ・アンド・バースプレイス」と呼ばれる。
彼の生家は、記念施設の裏庭にあたる位置に、まるで先月建てられたように白く、美しく保存されていた。近くには墓所もあり、芝生の中に妻と2人、墓石を並べて眠っている。記念館の裏手には池も作られて、非常に美しい景観の施設だ。しかし彼の在職した当時、アメリカはとてもこのように端正ではいなかった。ヴェトナム戦争の真っただ中だったからだ。
彼の記念館の中には、さまざまなものが展示保存されている。地もとのホイッティアー校を2番の成績で卒業、デューク大の法学部で法律を学んだ。第2次大戦中は、海軍の補給士官を勤めたようだが、そういう時代の彼の写真が、ずらりと並べられ、貼られている。
さらには大統領選挙戦中に作られ、配布されたカラー・バッジから、すぐそばに実物のある生家の内部模型、今も語り草のジョン・F・ケネディとのテレビ討論のヴィデオまで、館内で観ることができる。そんなものに混じって、ヴェトナム戦に従軍した兵士に支給された琺瑯のカップ、歯ブラシ、サンダルまでが展示される。在職中の彼が最も心を砕いたものは、ヴェトナムで続く泥沼の戦いだったからだ。ウォーターゲート事件でホワイト・ハウスを去る時の、ヘリコプターの前で手を振る有名な姿も、大きくパネル展示されている。何も隠されてはいない印象だ。
彼が国際政治の檜舞台に姿を現した当時、政局はまことに困難で、彼の政治は苦渋の決断の連続だったが、そうしている間中、さかんに風刺漫画に顔を描かれ、まるで漫画に描かれるために出てきたような大統領だと言われた。政治に興味を持ち始めた頃だったから、ぼくもよく憶えている。
しかしいろいろに言われても、どうにも憎めない大統領だった。今も嫌いにはなれない。ウォーターゲートで腹黒いイメージになってしまったが、どちらかといえば善人であり、道化でもあった。彼がした苦労の跡を追跡すれば、現在拉致問題でさんざんに言われているわが首相の心中にも、洞察が届いてくる。拉致被害者家族の5人を連れ帰りながら、最悪の結果だ、首相としてのプライドはあるのか、などと被害者家族に罵倒されている。そして、サイレント・マジョリティはここでも沈黙する。政治とはそんなものだが、ニクソンの時が、まさにそうだった。

ニクソンを最も道化と感じさせたものは、ケネディとの大統領選、とりわけテレビ討論だった。彼はテレビという最新機器が作りだす影響力を、結局甘く見ていた。討論内容を詳細に検討していたのにも関わらず、夕刻でヒゲが薄く伸びているのを忘れていた。スタジオに向かう途中でうっかり膝を怪我し、どうにも顔色が冴えなかったのにもかかわらず、メイクアップを拒否した。加えてロケットではあなたの国が勝ったが、カラーテレビではわれわれの勝利だ、とフルシチョフに向かって発言していたことをうっかり忘れ、ミサイル技術のたち遅れを訴えるケネディ候補に、ロケットでもわが国は負けてはいない、そんな発言はわが国の威信を傷つけると発言して、ケネディに先の発言を指摘され、失笑をかった。
破れたニクソンは、もう中央政界への自分の出番はないと考え、おとなしく弁護士生活を送っていたが、思いもかけぬケネディの暗殺、続くジョンソンのヴェトナム政策の失敗で、大統領選への道が再度開かれる。そこに指名選挙でのロバート・ケネデイの暗殺までが重なり、共和党から出馬した彼は、見事第37代大統領に当選する。
大統領としての彼の最大の仕事は、ヴェトナム戦争の尻拭いだったと今の視線からは言える。日本人にとって太平洋戦争は、軍部の独走によって始まったが、アメリカのそれがヴェトナムだった。この時期の米軍は、奢りの頂点にあった。
ことの始まりは、キューバ危機である。カストロの制圧したキューバへの上陸作戦を、アイゼンハワー前大統領はケネディに引き継がせ、成功の確率は90%と保証した。大戦の英雄である職業軍人の保証で、ケネディはこの作戦にサインをする。しかし無残に失敗、首都に核ミサイルも届こうかという、膝もとの小国の赤化を許した。ケネディは激怒し、CIAを解体するとまで言い放ち、以降軍を信用しなくなって、不仲は史上最悪となった。このために彼は軍を動かせず、むざむざベルリンに壁を築かせてしまった。
軍を信用しないケネディは、ヴェトナムにも深入りする気はなかった。この介入はいわばフランスの奢りの尻拭いで、正義性は乏しかったし、勝利してもこの小国から得るものは少ない。しかし赤化勢力の拡大を懸念し、しかもたび重なる世界大戦の勝利で奢る軍部に、赤化闘争の最前線に介入しないなどという弱腰は、とてつもない非常識に写った。赤子の手をひねるような小国に手を出さず、キューバに次いでみすみす赤化させるような馬鹿者は、リーダー不適格であり、抹殺する以外に道はなかった。これもまた、彼ら一流の正義である。
かくしてケネディはダラスで暗殺され、軍の意を汲むジョンソンは、トンキン湾で不当に攻撃されたと嘘をついて、全面戦争に突入していく。しかし高温多湿のジャングルは、2次大戦時とは勝手が違い、ロシア、中国による正義の全面支援を招いて、闘いはみるみる互角になっていった。戦は長引き、国内には反戦デモが吹き荒れるようになり、2次大戦時と同等の火気と予算を投入しても、勝利はおろか、停戦の見通しも立たなかった。
つまらぬ大国のメンツなどは捨て、ヴェトナムからの即時撤退をスローガンに指名戦に立候補したロバートは、ニクソンの膝もと、LAで暗殺された。これに大国の世論を感じ取ったニクソンは、ホワイトハウスに入ると、一定量の勝利をおさめたのちに名誉ある撤退、というアメリカのメンツを立てるシナリオを画策して、反戦ヒッピー旋風が吹き荒れる社会に向け、「サイレント・マジョリティに」と訴える有名なテレビ演説を行う。これは感動を呼び、支持は得られて、ニクソンはヴェトコンの補給路を断つと宣言、カンボジアやラオスにまで侵攻して、結局戦線を無意味に拡大してしまう。以降馬鹿げた軍事費と死者を出し、ただ時間が長引いたのみで、米国は開闢以来の敗戦をきっすることになる。
政局のあまりのむずかしさに苛立ったニクソンは、政敵民主党のオフィスに盗聴マイクを仕掛けることに同意する。しかしこれが露見、有罪宣告を受けることが確実視される。現職大統領の有罪宣告という不名誉を回避するには、宣告前に職を辞すほかはないところまで、彼は追い詰められた。さらには、関与を立証するホワイトハウス内での録音テープから、大統領にあるまじき下品な罵り言葉を遣っていたというおまけまでがつく。これが世に言う「ウォーターゲート事件」である。彼はクエーカー教徒の家に生まれ、子供時代は飲酒、ダンス、罵り言葉の厳禁という厳格な教育を受けていたのに、である。

彼が幼少時代をすごした家は、外観はケーキのように愛らしい、瀟洒な佇まいだが、中は異様に狭い。彼には何人もの兄弟があったといわれている。この小さな家で、よく暮せた思うくらいに狭く、暮し向きは貧しかったと思われる。しかし狭い家だが、居間にはピアノが置かれて、教育熱心な両親であったことをうかがわせる。だから彼は、ピアノの弾ける数少ない大統領でもあった。
「ウォーターゲート事件」での有罪宣告が有効になる前に、ニクソン大統領は職を辞し、跡を引き継いだフォード大統領は、調査終了を待って、大統領権限を使って彼を恩赦にした。大きな汚名も遺したが、ニクソンはスペース・シャトル計画を発進した大統領でもある。彼の苦渋は、要するに前任者の失策の尻拭いだった。これに大国としてのメンツも立てねばならず、判断に苦しむことになった。道化といえばその通りだが、ヴェトナム介入は彼の罪ではない。
日本の拉致問題も同様である。国内の世論は、拉致という犯罪を成したのは向こうであり、問題を隠蔽してきたのも向こうだ。正義をもってこれを糾弾することは当然至極であり、できない首相は腰抜けだ。ただこういう了解である。加えて世論の盛りあがりで多数派を自認し、強気にもなっている。かつての「三浦事件」とも大差がない構図だ。
しかし北朝鮮国民は、視線を拉致から30年ばかり遡らせ、日本による植民地統治の理不尽を重点的に見ている。拉致といっても日本のものは数えるほどの被害であり、植民地時代の日本がやった暴力は、この百万倍もの犯罪だと考えている。この見方が正しいとは言えないが、日本人にこの種の議論がいっさいないのは危険である。
一国の首相なら、これもまた視野に入れなくてはならない。国を代表すれば、多数派にまぎれて糾弾を騒ぐばかりではすまない。どんな世界でも、頂上に立てば立場はむずかしい。
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