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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第186回
島田荘司のデジカメ日記
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11−14(金)、水道橋のトッパンホールにリュートを聴きに行く。
琵琶を聴いてから東京に戻っていたら、高校の後輩の高橋春彦君という人から、ほとんど10年ぶりに連絡があって、トッパンホールでリュートを聴かないかと言う。エドゥアルド・エグエスというリュートの演奏家を東京に呼んだのだが、日本人にはまだ知名度がないので、入りが今ひとつなのだという。まだまだ空きがあり、彼のためにもいっぱいにしたいので、同郷のよしみで値引くから、是非入って聴いて欲しいという。
彼は、こういう渋い外国人タレントを日本に呼ぶ、海外文化交流の振興を目指すエイジェントに勤務している。以前にも彼らが呼んだモンゴルの音楽家とか、中国人の演奏家のコンサートを、これは確か中野坂上のホールで観た。こういう発想には共感するし、興味もあるので、声をかけてくれるのはありがたい。
それにしても、あんまりタイミングがよいのでびっくりした。琵琶を聴いた時点で、続いてリュートを聴くことなど考えてもいなかった。しかし、リュートのことは内心考えていた。琵琶を思えば、シタール、ウード、カーヌーン、ギターと、連想はたちまちシルクロードをさまよってしまう。そうしていたら、リュートのコンサートが向こうから飛び込んで来た。これは何かの啓示かと驚き、すぐに承知した。後日郵送されてきたきたティケットには、「エドゥアルド・エグエス。リュート・コンサート」とタイトルが銘うたれていた。
琵琶とリュートとは、述べたようにシルクロードを介してつながった血縁者である。まさしく端と端であるが、これらの原点には、アラビアンナイトにも登場する「ウード」がある。これはアラビックで、正確には「アル・ウード」と言う。これがヨーロッパに伝わって「リュート」になった。リュートは、語源もそのままウードから来ている。このリュートがギターになり、電気と結びついて、今日のエレキ・ギターにもなっていく。
ウードの祖先は、ササン朝ペルシアの「バルバト」という楽器であるといわれる。アラビア語の「ウード」の方が有名になって、「バルバト」という呼び名が滅んだので、古代ペルシアの末裔であるイラン人は、その民族的誇りから、最近「バルバト」の名称を復活させたと聞く。バルバトとウードは、どうやらまったく同じ楽器らしい。
ユーラシア大陸の西端イベリア半島は、6世紀から15世紀まで、コルドバを中心にしてアラブの支配下にあった。この時代にウードは、ヨーロッパに伝えられてリュートになった。
一方バルバトは、シルクロードを運ばれて東方にも伝えられ、中国の琵琶になっている。その手前で南下して、インドのシタールやビーナにもなっていったと考えられる。そして唐の時代の琵琶が、極東の日本にも伝えられて、御物として正倉院にもおさまっているわが琵琶になった。そう考えれば、この弦楽器の旅路はまことに雄大なロマンで、これらが創りだす音楽を、逐一聴き較べてみたいという欲求が湧く。そしてそういう機会が、向こうから飛び込んできた。
しかし初来日というエドゥアルド・エグエスという音楽家に関しては、まったく知識がない。パンフには、以下のような紹介がある。エドゥアルド・エグエスはブエノスアイレス生まれ。ミゲル・アンヘル・ジロットと、エドゥアルド・フェルナンデスにギターを師事。アルゼンチンのカトリック大学にて作曲を学び、スイスのバーゼルにあるカントルン・スクールにてホプキンソン・スミスに師事、1995年にリュートのディプロマを取得。
卒業後はイタリアに移り、主に古楽の分野において幅広く活躍中。気鋭の若手リュート奏者として世界的に注目されている。日本ではM・Aレコーディングス・レーベルより、「J.Sバッハ。リュート作品集 vol.1,vol.2」が発売されており、「レコード芸術」の特選盤にも選ばれている。今回の来日は、アルゼンチン共和国大使館文化部との協賛により、実現した。

コンサートは午後7時半からだというので、飯田橋駅を降りて、高速道路の下をぶらぷらと歩いていった。途中には古い大衆食堂の蝋細工のメニューなどが沿道に見え、よい感じだった。
トッパンホールに早めに着き、入口でポスターを観ていたら、高橋氏たちスタッフがヴァンで乗りつけてきて、割引価格でティケットを売ってくれた。
会場ホールは、大変立派なものだった。全体を木目で囲まれ、天井の高いホールは見た目にも暖かいし、落ちつく。音響効果もよいと感じた。入りが悪いようなことを言っていたが、みるみる人で埋まっていって、ぼくの席から観る限りはほぼ満員になった。
リュートを抱え、エグエス氏が登場する。ネック先端の、糸巻きの部分が大きく折れ曲がっている。そう、このような楽器だったなとこの時思い出した。ウェイヴのかかったグレーのほう髪、大柄な体躯の、しかし繊細そうな話し方をする、好ましい人物だった。
始まった演奏も、繊細という言葉がぴたりだった。大男の指先から奏でられる繊細で安定した調べに、いきなり引き込まれた。歴史を感じるとは、まさしくこういう瞬間を言うのであろう。最初はヴィゼーの組曲、へ短調であったが、アルプスの北の、冷えて湿った空気を感じた。ウードが奏でるアラビアの音楽は、ベリーダンサーが現れる様子を見ても、どこか官能的な気配がただよう。乾いた空気ながら、その調べはねっとりと肌にからみつき、南の脂味が感じられる。
エグエス氏の演奏は、こういう脂味がすっかり抜けて感じられた。ギリシアのからりとした微風とも違う。海の匂いはなく、北ヨーロッパの清潔な、ある種道徳的な調べだった。カトリックの風味とでも言おうか。学問と、信仰の匂いがした。
以前スポーツカーに狂っていた頃も、よくそんなことを考えた。アルプス南のフェラーリには、開放された官能の匂いがある。しかし、アルプスを北側に越えた土地のポルシェには、数学的な端正さがある。エグエスの演奏も、まさしくそのようだった。まるで数式のように、冷静で、真面目で、学者の抗議のようにかっちりとした、しかし同時に詩人の言葉のような、華奢で華麗な音群があふれる。水瓶から零れ続ける細い水が朝日にきらめくように、その華奢な音は、延々ときらめいている。
ヴィゼーは17世紀後半の人で、ルイ14世のギターの先生だったそうだ。17世紀後半は、フランスももうギターの時代であったらしい。リュートは、15世紀までには欧州に入っているわけだから、それも当然なのであろう。
曲が終るたび、エグエス氏は神経質に弦のチューニングを行う。これが、ギターのコンサートよりも多いように感じた。こういった理由から、時代はギターにと移っていったのであろう。演奏家ではない一般の人間にとって、おそらくリュートは、扱いがむずかしすぎたのであろう。それとも、そういったところを改善しながら、ギターが生みだされたものに相違ない。
チューニングを終えると、エドゥアルドは、こんな大きな会場ははじめてなので、今とてもとても神経質になっています、とまんざら冗談でもない口調で言った。そんな言葉から、彼とリュートが属するこぢんまりとした世界が知れるような心地がして、また彼のそういう飾ろうとしない正直さがたいそう気に入った。このような音楽を奏でるにふさわしい、まさしくその資格を有する人物と感じた。
演奏がバッハとヴァイスに進む頃には、どうしても琵琶よりも、リュートに軍配があがるような心地がしてきた。比較採点になど意味がないし、そんなことは百も承知しているが、それでもこの音楽の持つ厚み、理論、計算された和音とか、その表現体系などに、深く感じ入ってしまった。
これは、骨董美術を鑑賞するような古い音楽なのだろうが、歴史のある時点で、すっかり完成していた。そしていかに埃をかぶっていようとも、その美はいささかも色褪せてはいない。とてもよいものを聴かせてもらったと感じた。シルクロードの音楽が、冷えた欧州の知性によって整理され、高められて、この極東の地に再飛来したのだと感じた。
演奏会が終り、ロビーに出ると、高橋君が待っていて、エグエス氏のCDを2組をくれた。曲目を見ると、今夜演奏されたヴィゼーのものも入っている。これは大変嬉しかったからよく礼を言った。以来、このCDは愛聴盤になっている。
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