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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第185回
島田荘司のデジカメ日記
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11−9(日)、千葉の古寺で平家琵琶を聴く。
湾岸道路を成田方面にひた走り、千葉県の山田町山倉の観福寺に、平家琵琶の語りを聴きにいく。高速道路を降りたら、道は狭くなり、山間に分け入っていくような印象だ。
演奏者は鈴木まどかさんという若い女性で、吉祥寺の住人である。そんな縁で、彼女とはちょっとした面識がある。お父さんは写真家で、吉祥寺の街の変遷を撮りつづけ、一部にはよく知られている。
まどかさんは日本女子大大学院修士過程を修了、現在は同女子大の被服学科の非常勤助手を務めている。同じく同大付属桜ヶ丘高校の、非常勤講師でもある。
ある日まどかさんは、母方が代々平家琵琶を語る家柄であったことを知り、しかも現在これの後継者が絶えていることを知って、一念発起して自分が継承者になろうと決心した。以来演奏と語りを学び、単身稽古を続けるかたわら、この古典伝承芸能の文化的な側面、彼女は専門が被服科であるから、とりわけファッションの面までを研究して、卒論は「平家琵琶の伝承とその服装」だった。
現在はこうして個人的に演奏活動を続け、呼んでくれるところがあれば、バスに乗り、電車に乗りして、どこにでも実費で出かけていく。彼女はまだ運転免許がないのである。そうして21世紀の今日、一般に平家琵琶を馴染ませようと孤軍奮闘している。もっか講談社の現代新書のシリーズに、平家琵琶についての著作を執筆中で、もうじき出版される運びになっている。

観福寺は、正確な住所は千葉県香取郡山田町山倉1934-1。関東88ヶ所霊場の、第45番札所ともなっている。この寺でまどかさんは、平家物語の「橋合戦」と、「鵺(ぬえ)」を語る。
行ってみれば観福寺は、住宅街のただ中ともいえる場所に建っていたが、そもそも密集した住宅街ではないし、寺の建つそこだけは高台なので、寂れた土地にぽつねんと建っていると表現しても、そう間違いではない。周囲には商店も飲食店も喫茶店もなく、寺からどちらの方角に向かってでもいい数分も歩けば、草木の被う山の中に入ってしまう。
寺自体、道からの石段をあがり、本堂を左手に過ぎて、正面の高い石段を登りつめれば、その高台のお堂前からは、周囲を埋めて広がる緑が見降ろせる。石段を下って境内に戻れば、演奏会がある本堂へのとっつきには、青銅製の龍が一頭立つ手洗いがある。
本堂に入れば、畳敷きの広間にはたくさんの座布団が敷き詰められ、長椅子も用意されて、もう土地の人たちが大勢詰めかけて待っていた。われわれが想像する以上に、琵琶の語りを愛好する人々は世に多いようだ。
まどかさんがすわる席もすでに用意され、録音の機材もセットされている。こういうあたりが源平の時代とは違うところだが、寺の風情自体は千年の時を経ても変わっていない。
オレンジ色の法衣をまとった住職が現れ、演奏前にちょっとした宗教的儀式を行う。座布団の上にすわったわれわれの頭上に、色のついた、蓮の葉のような紙片を撒いてくれる。これを拾って持ちかえり、身につけていればご利益があるのだというから、ぼくも拾って財布に入れた。

まどかさんが登場する。目に鮮やかな原色の衣装をまとっていて、被服は彼女の専門であるから、平家物語の語りが全盛をすごしていた時代の、これは再現に相違ない。
ぼくは琵琶や平家物語に関しては、ほとんど知識というものがない。眼前にして聴くのも今日がはじめてである。昔好きであった東宝映画に、にんじんくらぶ製作、ラフカディオ・ハーン作の「怪談」があり、この中の最有名のエピソード、「耳なし法一」で馴染んでいたくらいである。
昔琴の演奏家たちとお付き合いがあったおり、女性演奏家たちが、琵琶の方が琴よりずっとよい音がするんです、と口を揃えるのを聞いて驚いた記憶がある。ぼくの耳には、到底そうは思えなかったからだ。これは琵琶の音が貧弱とかといった意味ではむろんなく、共鳴体が小さいのであるから、箱の大きな琴の方が、物理的に有利に決まっていると思ったからだ。
映画、「耳なし法一」での演奏は誠に見事なものであった。壇ノ浦での平気滅亡という劇的な場面のせいもあるが、この中での琵琶は、爪弾く、かき鳴らすといった領域を遥かに超えて、がんがんと弦を叩くようだった。その激しさは、正倉院の御物といった上品な気配は微塵もなく、聞き手の精神を揺すりたてるような、打楽器そのものの激しさであった。
琴の演奏家たちが琵琶の方がと言うのは、正倉院の奥の間に収納されているという歴史的な経緯から、楽器としての格を感じて、その遠慮のゆえであろうと推察したが、しかし壇ノ浦の場面での琵琶は、まさしく鬼神が乗り移ったというふうで、楽器が示すある極限を見せていた。こういう仕事を、たとえばピアノなど、よくできた楽器は時に行うが、確かに琵琶の持つ激しさは、これはただものでないとこちらに感じさせた。琴は、どこまでいってもお上品に取り澄ました印象が強い。
とはいえ、琴ほどに演奏者に重労働を強いる楽器はなく、これほど男に向いた楽器もない。またこれくらいに袖のある和服には適さない楽器もないのだが、面白いことには、どんなに馬鹿力があり、どれほど綺麗な音がたてられれたにせよ、これほどに男が、振袖の女性に勝てない楽器もない。

しかし始まったまどかさんの琵琶演奏は、まことに女性らしい、上品なものであった。琵琶という楽器は、思えば当然のことではあるが、これほどに典雅な、穏やかな調べも奏でられるものと知った。ギターなどとは違い、歌う調べに、和音中心の装飾音をつけるといった解釈ではなく、琵琶自体、独自の旋律を奏でて歌にからんでいく。その意味では三味線とも似て、合いの手のようなセンスで、ちょっと語りの旋律を引きたてる。
まどかさんのたてる音は、女性らしく小さなものなので、声が低音に沈むおりなど、こちらが身を乗り出して耳をそばだててしまう。すると表を通りすぎる風が、窓辺の障子をがたがたと揺すっていく。その乱暴な響きにはっとして、彼女の語りの声や、弦の響きが異音に負けそうにさえ感じる。そんなおり、この古い寺が、源平の戦で荒れ果て、僧も見棄てた草深い山間の廃屋のように錯覚されて、心がちょっと波だった。シュールな絵画を前にした時のような気分のざわめきで、平家の落人の霊があたりを徘徊し、鵺の不気味な羽音が、草木を揺すってすぎるような心地がした。
琵琶の調べはまことに自然音と一体で、このような音楽の聴き方は、新鮮な発見である。鳥の声、虫の音、もしもそれらも聞えたなら、これもまた、演奏に深く染み、溶け込んでいたに相違ない。
表に出て、地もとの人に混じってすのこの上で靴をはいていると、あたりはもう薄暗い。日が落ちたせいではなく、厚い雲に隠れたせいだ。霧に似た小雨が、靄のように風に乗り、舞っていた。暗くなったせいばかりでなく、あたりの風景がどこか変化したように思われた。
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