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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第184回
島田荘司のデジカメ日記
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11−6(木)、六本木ヒルズ。
六本木ヒルズや丸ビルの悪口は、なかなかよく聞えてくる。いわく、ビルに入ってるレストランが、目の玉が飛び出るほどに高い、その上すこぶるつきにまずい。店員たちは例によってマニュアル通りの作り笑いを浮かべ、しかし内心では、押しかけるミーハー客たちを小馬鹿にし、舐めている。
まあこれは成りあがり日本、あり得る日常ではあろう。昔から赤坂や六本木のレストラン、またバーの店員は、若い客を見れば、おまえ無理してここ来たな、どうせ安アパートの電気こたつから這い出てきたのだろう、というような冷笑顔をいつもしていた。かといって金がありそうな中高年は、やっぱりイモだと小馬鹿にするので、結局尊敬する客がいなくなる。この手の店の店員は、客全員を冷笑軽蔑するから、天皇陛下のごとき無根拠な優越意識に陥っていた。軽蔑しない相手は外国人だが、彼らにはこんな店珍しくもないから、値段が高すぎるとよくクレームをつけられていた。
北京でも有数のまずい中華料理屋が入っていて、しかしそれでもここは、半年先まで予約でいっばいだとか、日本人の新しいもの好き、あるいは流行に進んで踊る体質は、なにも今に始まったことではないが、六本木ヒルズ程度のものに狂乱する姿は異常だ――。
まあそれはそうであろう。しかしこの手の悪口は、どうも毎度ピンと来ない。こんな店、どうせぼくは行く気はないからだ。どっちでもよいのである。
あるいは亀井静香氏が、かつての総裁選の時言っていた。地価の馬鹿高い六本木は、外国人投資家しか住めない。あんなところに住んでいるのはニッポンから銭をかすめ取ろうとする禿鷹ばかりで、中にはすっかり禿鷹の巣になったビルもある。言われてみれば六本木ヒルズには、ブランド店やレストランばかりでなく、住居用のマンションもある。
これもまあ、たぶんそうなのであろう。これらはみんなたぶん当たっている。日本人は、背の高い新しい建物には、昔から無抵抗だった。それも「1番高い」という惹句に、すこぶる弱いのである。自分の意見や感覚がないから、「1番高い」ものになら安心して騒げる。遠くは大正、浅草十二階、それから昭和の東京タワー、霞ヶ関、住友三角ビルに横浜ランドマークタワー。新宿都庁には、激しい嫉妬で怒りの大声をあげてもいた。そして今また飽きもせず、六本木ヒルズに熱狂ということらしい。
しかし思えばこの「ヒルズ」とは何であろう。六本木のどこに丘があるのか。アークヒルズあたりから始まった慣習らしい。まさかとは思うが、やっぱりLA、ヴィバリーヒルズの真似なのであろうか。とすれば、遣唐使の時代から遥かに時代の下った21世紀の今日、いまだ猿真似ニッポンの文化的原理は健在なのであろうか。やはりこれは悲しきわが前例重視、突出への恐怖、模倣DNAというものの産物なのであろうか。とそうと思えば、わが民族の行動形態に、ある種の恐怖感も湧く。
六本木ヒルズは缶ビールだという声も聞く。確かにそうも見える。けれども夜、無数の窓にいっぱいの明りをともして立ちあがる円筒形は、周囲に並ぶものがないので、なかなか目に新しくてよいデザインだ。日本人建築家のセンスは、そう捨てたものではない。アメリカ西海岸などには、このレヴェルで企画会議を通ったのか、と驚くような、なかなか未熟なデザインの構築物も多い。六本木ヒルズの(そう思ったら、こんなふうに堂々と使うのがちょっと気恥ずかしくなった)、上部のちょっと曲線を使った形態や屋上のでっぱりは、鉄腕アトムの顔など思わせて、なんとなく懐かしい。
ともあれ、せっかくだからちょっと寄ってみようかと、ミーハー的発想で出かけた。近くに行くついでもあった。それを消化してからなので、着いたのは夜になった。展望台が閉まるぎりぎりの時間帯で、登ってみたら人けが全然ない。おかげで、ずいぶんのんびり観られた。
なかなかの見晴らしだったが、妙にあっさりとした内装だ。東京ふうの、和風アールデコとぼくがひそかに呼んでいる、あの感覚の冴えもない。あまり悪口を言うのは、人の尻馬に乗るようで本意ではないし、エンパイアステートビルの展望台にだって、それほどの感動があったわけではないが、アルミの銀色がそこここに鈍く光るシンプルさ、と言ってもこれは、充分に計算されつくしたシンプルさではなくて、ただ必要最小限の柱や壁という、プレハブふう簡素にも見える。同じモダンでも、トッパンホールのロビーのような、アートをしっかり組みこんでこっちに観せてくるような、あの頑張りもない。
足もとに降りてうろうろ歩いてみたら、確かに迷路のようで解りにくい。しかし広くて新しければ、それは最初はそうであろう。映画館やバーが入っている。エスカレーターを上がり降りしてみれば、ここにはぎっしりと人が乗り、黙々と上下している。ちょっと立ち停まらせるような綺麗な眺めの一角もあって、ぼくには悪くないと思ったのだが、このあたりの住人以外にはよそよそしい、あの感覚。ある種の拒絶感は相変わらずだ。
どこにも入らなかったから被害はなかったが、確かにこれで値段が馬鹿高ければ、気分も悪いであろう。しかしこれはこれで、六本木という土地柄を代表もしている。六本木とはそういうところなのだ。いずれ馴染むのではないか。これに悪口を言うのは、六本木を塒にして、これまでさんざん地方者を馬鹿にしてきた六本木族ではないのか。そういう人たちには、それはこんなふうな、見知らぬ地方者たちを根こそぎかき集めるような装置は、困った代物なのであろう。
と思っていたら、あれからずいぶんして、回転ドアにはさまれて子供が死んだというニュースが流れた。しかも以前にも同じような事故があったのに、ビル側はなんの手当てもしなかったのだという。とすればやはりこれは、わが伝統とはいえ、客を舐めて冷笑していると言われても仕方がないところか。
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