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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第177回
島田荘司のデジカメ日記
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8−28(木)、ネヴァダ・ステート・ミュージアム。
翌日、トミー・ナイトに会った。彼が母親と暮らしているコンドミニアムを訪ねる。トミーはずっとLAで暮らしていたが、お父さんが老衰で亡くなり、お母さんが車椅子になったので、彼女の世話をするために、生まれ育ったラス・ヴェガスに引っ込んだ。この清潔で、芝生の手入れの行き届いたコンドミニアムで、終日母親の世話をしながら暮らしている。
以前彼が言うには、朝起きて、母親のためにパスタなどの朝食を作る。母はベッドから、あれを取れとか、ああしろこうしろと要求を叫び、不平を言う。たまらないよ、というようなことだった。
しかし会ってみると、その母親は非常に穏やかで礼儀正しい人で、車椅子の上から手をさし伸べながら、あなたのことは息子からよく聞いていますよ、と柔らかく言った。威張っても媚びてもいず、こういう老婦人には、日本ではまずもってお目にかかれない。リヴィングの鏡台の上には、以前彼のことを写真入で紹介した、「季刊・島田荘司」が載っていた。帯が逆さに付いているのは、彼が漢字が読めないからだが、彼はこの本を、母親に見せているのだろう。
この時の彼は少しあわてていて、ネヴァダ・ステート・ミュージアムを君に観せたい、早くしないと閉まってしまう、すぐに行こうと言う。それであたふた出かけた。
博物館は、もらったパンフによれば「Easy to find」と書いてあるが、異邦人にはなかなか辺鄙な場所に思えた。住宅街の一角にあり、周囲には一軒の商店もレストランもない。土地の人に案内されなければ、まず来ることはないだろう。館内は、整備された日本の博物館とは違い、多少掃除した物置のような風情である。中学や高校が、父兄相手に開く研究発表のオープンハウスのようでもある。しかし気取っていなくてよい。
そういう典型がネオンサインの展示だ。これなどは、展示というよりもただのスクラップ置き場で、これがいったいどうしたのだと思っていたら、「これはエルヴィスの『ヴィヴァ・ラス・ヴェガス』に写っていたネオン・ボードになんだぜ」とトミーが言った。ほうと思い、写真を撮った。
エルヴィスは、たくさんのアイドル映画を撮っているが、その代表的なものが歌と踊り、恋と冒険の例の主演シリーズで、これを真似たものが加山雄三の若大将シリーズだった。東宝のこれは、面白いくらいに中身が似ている。とはいえ、この加山若大将も案外できがよくて、ぼくはけっこう好きだった。真似が先に決まっていたのではなく、加山氏という才能がいて、そこにたまたまエルヴィスの映画があったのだろう。もちろん加山氏にとっても、エルヴィスは永遠のアイドルだった。
このエルヴィス映画の最高傑作が「ヴィヴァ・ラス・ヴェガス!」だった。この映画は何度も観たし、今でも好きだ。この映画が傑作になった理由は、相手役のアン・マーグレットの魅力によるものだったといってよい。とはいえネオンの展示とは、いかにもラス・ヴェガスという印象で、しかしアンティーク・スロット・マシンとか、有名ショウガールの写真展示などはさすがにない。
博物館らしいフロアは、古代のネヴァダ砂漠の動物を紹介した部屋で、ここにはかつてはマンモスもいたらしい。さまざまな哺乳小動物もいて、現在の砂漠になる前は、気候が冷えていた時代もあるようだ。
最も興味があったのは、ネヴァダ核実験の様子を伝える写真展示だった。ごくささやかなコーナーだったが、ヒロシマから来た者には避けて通れない場所だ。この展示はいわばアメリカの汚点であり、恥部だから、告発的な意味合いもある。社会主義圏でなら到底許されない展示だろう。
この問題には多少知識がある。戦後の核実験被爆事故としては、1954年ビキニ環礁沖でアメリカの水爆実験の死の灰を浴びた、日本のマグロ漁船、第5福竜丸の事件が有名である。23名が被爆、その一部が間もなく亡くなった。福竜丸はしばらく打ち捨てられていたが、夢の島に博物館ができ、提示された。
こういう核実験の犠牲者は、実はアメリカにもいる。1951年以降、米軍はたびたび核爆弾と歩兵訓練を組合わせた演習をやっている。これは今日の視線から言えば無意味に危険なもので、知識のない兵士をだまし、受ける身体的なダメージをはかろうとしたものとしか見えない。
当時、核の脅威は軍上層にもそれほど知られていなかったのは事実だろうし、核爆弾の閃光や爆風、轟音などに兵士がおびえないように馴れさせる必要もあったろう。また使用した核は水爆ではなく原爆で、汚染度は水爆よりは低かった。しかしそれらはすべて言い訳で、塹壕に身を潜めた兵士の前方で核爆発を起こし、直後に前進を命令して兵士を放射能の中に入れることに、どのような戦略的意味合いもなかった。戦場で核爆発があれば、そこから退避するのが戦略というものである。
こういう訓練に参加させられた米兵は、延べ25万人から50万人にのぼるといわれ、その大半が訓練直後に脱毛髪などの異常を体験しており、退役した現在は、彼らのほぼ全員が、何らかの健康問題を抱えていると言われる。
博物館を出て、トミーは廃棄されたネオンサインが置かれている空き地を見せてくれた。しかしこの日は中には入れず、塀越しに見られただけだ。
続いてメイン・ストリートたるラス・ヴェガス・ブールヴァードに戻り、ミラージュに入って、ガラスの中にいる白いトラを見た。砂場でおしっこも披露してくれ、へっぴり腰のその様子は、まったく猫と変わらない。しかしこのトラが、この少し後、ショウのステージで人間の喉を噛む事件を起こすことになる。彼は命には別状なかったが、もう再起はできないだろうといわれる。
華やかなメイン・ストリートから1本入った通りに、エルヴィス・プレスリー博物館がある。ここでは常時、エルヴィスのそっくりさんがショウをやっている。狭いシアターに入ってみると、なかなか場末感がただよい、日本の温泉地にあるストリップ小屋のようだ。10人程度の客とともに待っていると、白い例のエルヴィス後期のコスチュームに身を包んだ、割合小柄な人物が出てきて、大音響の伴奏とともに、エルヴィスの歌を本物そっくりに歌う。これがけっこう決まっていた。姿は似ても似つかないが、声はそっくりで、アクションも堂に入っている。ジョークも面白く、ステージ・マナーも上等で、魅力があった。
これだけ似ていて上手なら、こういう生活もよいのではと納得させられる。彼自身、これが天職というふうで、誠に愉しんで演じている。歌手として、これでよいのだろうかと悩むような風情はまったくない。
ステージが終って土産物ショップに出たら、彼もついて出てきて、ナイス・ジョブだったねと言って手を出したら、ありがとうと言って握り返した。トミーはラス・ヴェガスでは歌手として有名だった時期があり、なかなか貫禄を見せて彼と話していた。
それからまた彼のコンドミニアムに戻り、夜まで話した。彼はいろいろな思い出の品を出して見せてくれ、父親、母親、そして兄などと撮った写真を、びっしりと貼りつけたボードを何枚も持ってきてくれた。
トミーもヴェガスでは有名だったらしいが、彼の兄はメジャーなロック・グループにいて、もっと売れていたらしい。日本にいては彼の名前を聞くことはなかったが、若くして脳腫瘍で死んだという。才能を嘱望されていたらしい。
晩年のお父さんが、家でヴァイオリンを弾いたり、ギターを弾いたりしているヴィデオがあって、これも見せてくれた。映像の中での父親は穏やかな人で、日本ではまずお目にかかれない、親友のような父親像だった。穏やかに話し、微笑み、そしてギターでブルースを弾く。日本では親父といえば三味線か大正琴、せいぜいカラオケで演歌なので、彼の老いたつま先から流れ出る枯れたブルースには、いたく感動した。
トミーはよい家族に恵まれている。この家族あって、彼のようなキャラクターができたのだろう。日本でなら、彼のような大男が家でごろごろしていたら、家族をはじめ隣近所から、さぞひどいことを言われるに違いない。今頃は自殺の方法を考えている頃だろう。ピストルが買えるここでなら、死を手に入れるのは簡単だ。
しかし死刑同様、彼を殺しても利益を得る者など実はどこにもいない。得たように見える利益がもしあるなら、それは自身の卑屈さを語る証明書でしかない。母親の世話をする者を雇うには金がいる。金を稼いで介護士に渡すのなら、いっそ自分で直接車椅子を押せばよい。母親だってその方が嬉しいはずだ。人生は短いのだ。
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