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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第175回
島田荘司のデジカメ日記
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8−19(火)、メトロポリタン美術館と、エムパイア・ステート・ビル
メトロポリタン・ミュージアムに入ってみると、美術書でしか観たことのなかったビカソやダリ、ルノアールの、目に憶えのある作品が大挙してあった。スーラーの点描の名作、「グランドジャットの日曜日」も見つけ、おお、これはここにあったのか! と感激した。この作品は、確か「眩暈」の中で書いた。あの頃、ここにあるとは知らずに書いていた。
これら世界遺産的名作が、ガラスの被いもなく、ごく無造作に壁にかかっている様子にも驚く。何億円しようが、絵は絵だと言わんばかりの様子が伝わって、これもニューヨークのよいところだ。あまり考えすぎない。だから東京のような、おのぼりさんを見下すような気配がなく、よってこちらも緊張がない。何かにあまり敬意を示しすぎると、反動で軽視する対象を背後に見つけてバランスをとろうとする。それが人間の心理だ。
さらに素晴らしいのは、売り物の名作ひと握り以外、写真撮影が自由だったことだ。これは以前から思っていることですが、デジカメが登場した今、すべての博物館がそうあるべきだ。売店のパンフレットやスライドが売れなくなる、とみな手堅く発想するのだろうが、手持ちカメラのスナップで、周到に撮影した写真以上のものが撮れるわけもない。撮った写真を彼が友人に見せれば、宣伝となる要素もあるはずだ。
作品にダメージを与えるのはストロボの光で、これは1日何万回も浴びていれば確かに絵が退色する危険はある。だからこれは禁止すればよい。それだけの話だ。するとますます手触れせず、ピントの合った写真は撮りにくくなるから、当初の目的は達せられる。
とはいえ、蛍光灯の光もずいぶん深刻なのだが。この光は、印刷物にはかなり強い退色現象を起こす。書店の文庫棚など、日本の書店のものは背表紙の色がまったく退色していないが、それは出版社が定期的にやってきてカヴァーをかけ替えているからで、これは読者にとっては委託販売制度の利点だろう。アメリカの書店は買い取り制なので、在アメリカの日本語本の販売店もまた買い取りとなる。するとカヴァーがかけ替えられることはなくなるから、こちらの書店の文庫の背は、色によっては真白になっている。天井の蛍光灯のせいだ。
美術館、博物館は維持費がかかる。あちこちからの収入をあてにしなくてはいけないということはよく解る。しかし英国のおもだった博物館が、経営が苦しいのに何故未だに無料を維持しているのか。これは近くで暮らしてみるとよく解るが、無料なら何度でも入れるからだ。時には散歩のたび、日に2度も3度も入る。自分の家の応接間の置き物のように親しく接することができないと、この美術品の内包する美や思想はなかなか解らない。本来なら、市民の共有財産たる名作は、街の広場にでも置くべきなのだ。
国家が国民を思い、育てるとは、要するにそういうことなのだろう。そしてこれが、ローマ以降の「都市」というものの精神だ。ここで写真撮影を許可することが、ニューヨークの多くの才能をきっと育てている。こういう英断は、日本も是非見習いたいものだ。

メトロポリタン美術館を出て、エムパイア・ステート・ビルにまた行ってみた。今度は入れるのかと思ったからだが、はたしてやっていた。入ってみると、気が遠くなるような長蛇の列だ。あまり気が進まなかったのだが、せっかくだから並ぶことにした。
「アン・アフェアー・トゥ・リメンバー」、邦題は「巡り逢い」という、ここの展望台を舞台とした有名な恋愛映画がある。アメリカ女性が最も好きな映画だそうで、何度もリメイクされている。最も有名なものは、ケイリー・グラント、デボラ・カー主演のものだろう。ぼくはそれしか知らないが、これを下敷きにしたメグ・ライアンの「スリープレス・シアトル」という近作もあって、これは観た。ケイリー・グラントが、雷雨の夜に待ちぼうけを食わされるこのビルの展望台が、なんだか江ノ島の鉄塔の展望台みたいにみすぼらしかったから、あれが本当にそうなのか、確かめてみたいという思いが以前からあった。それがなければ、登らなかったかもしれない。
このビルの建設には、それなりに面白いエピソードがある。クライスラービルは、言うまでもなく自動車成金のウォルター・クライスラー社長が建てた。エムパイア・ステート・ビルの方は、これはGMの副社長だったジョン・ラスコムの発案になる。彼もまた自動車産業で功なり名を遂げた人物だったが、ニューヨーク知事だったアルフレッド・スミスが大統領選に立候補した時、手助けをして友情を深めた。
ところがスミスはひどい訛りがあって演説が不利だった上に、ローマ・カトリック教徒だった。彼が大統領になれば、ローマ法王にアメリカがコントロールされると有権者たちが危惧したところに加え、禁酒法に明確な反対姿勢を打ち出した。当時の空気ではこれは不道徳とみなされ、見事に落選した。同時にラスコムもまた、政治活動を許さないという方針を打ち出したGM幹部によって、会社を追われることになった。
2人は失業者になったが、ラスコムには資産があった。しかしスミスにはなかった。そこでラスコムは、失意のスミスのためにエムパイア・ステート・ビルを建ててやる決心をして、ウォルドフ・アストリア・ホテルが建っていた5番街の土地を手に入れた。そして当時全米一という定評があったスターレット・ブラザース建設会社と契約して、世界一のビルを、たった1年で建てることにした。ラスコムは、クライスラーを成りあがり者とみなしており、彼の名の付いたビル以上の高さのビルを建てる決心をしたのだ。
エムパイア・ステート・ビルは、週に4フロア以上というペースで天高く成長を続け、計画通り1年後の1931年に完成した。しかしこの時、旗竿によってわずか60pの足下にまでクライスラービルが迫ったので、展望台階をもう1階足し、そのさらに上に、高さ60mの飛行船係留塔を建てると言いだして、マンハッタン中の度肝を抜いた。世界一のビルの先端に飛行船を発着させ、乗客を簡易階段で上下させると言うのだった。
これがどこまで本気であったかは、今となっては謎だが、係留塔の中にエレヴェーターがあることはよく知られている。しかし何度かの実験の末、飛行船の係留には失敗して、この計画は立ち消えになった。けれどもこの係留塔のおかげで、エムパイア・ステート・ビルは決定的な世界一となり、係留塔のアールデコふうのシルエットのおかげもあって、完全無欠の外観をも獲得することになった。そして摩天楼の最高傑作といわれた。
行列の忍耐は、ティケットを買うまでに1時間、買ってから展望台までは2時間という調子で、それでなくても連日歩き廻って疲れていたから、立っているのが苦痛になった。あちこちで女性が床にすわり込みはじめ、その頭上を、ドイツ語、イタリア語、ヴェトナム語らしいものが飛び交う。みんな世界中からここにやってきている。
このビルができた当時は大恐慌のただなかで、もう高層ビル・オフィスの需要はなくなったといわれた。だから32年5月1日の落成式以降も長い間、埋まった部屋は全体のわずか23%というありさまで、エンプティ・ステート・ビルと陰口を叩かれた。唯一あてにできたのがこの展望台の収益で、これがビル全体の収入の2%を占めた。しかしこのビルが大赤字であることは、誰の目にも明らかだった。
やがて第2次世界大戦の勃発で、高層ビルはますます過ぎ去った豊かな時代の象徴とみなされ、建てようとする者はなくなった。それまでの多くの高層ビルが、せいぜい建設費を回収できたかどうかといった程度の収益で、それでも建設するのは、要するにオーナーの虚栄心だった。ラスコムの赤字解消は、だから戦後の好景気の到来まで待たなくてはならなかった。しかしそのおかげでエムパイア・ステート・ビルは、貿易センタービルができるまでの42年間、世界一の座を保持した。
ようやくエレヴェーターの順番が来て乗り込んだが、これが途中で1度乗り換えなくてはならない。映画「巡り逢い」には、そんな様子は登場しなかった。
なんとか展望台に着く。妙に狭苦しい感じで、映画とはまるで違っていた。「巡り逢い」の展望台はフィクションで、どうやらセットらしい。
人について進んだら、ついと屋外に出たので驚いた。「巡り逢い」とはまるで違っている。建物を出たら、地上3百数十mの真っ暗な回廊が、やや冷えた外気の中をぐるりと巡っていた。セメントの手すりの上に、非常に背の高い金網が建ててあって、夜景はこの金網越しに観ることになっていた。
やはりさすがの眺めだが、いい加減疲れていたし、思っていたほどの感動はなかった。周囲が人でごった返していたせいもあるし、建物自体がかなり古びていたこともある。1階ロビーの意匠は素晴らしかったが、中の廊下などはもう少々やつれて、大型のイトーヨーカ堂のようだ。
さんざめくような世界一の都市の光景だったはずだが、新宿のパークハイアットからの夜景も、そう負けてはいないと感じた。すぐ手近にクライスラービルの明りが見え、これは綺麗だった。タイムズ・スクエアの、パラマウントビルも見つけられた。大時計の外周部が赤く光っていて、これも綺麗だった。北面に廻ってみたが、セントラルパークの暗がりは、手前のビルのせいでほとんど見えなかった。
開館当時の展望台の映像を観たこともある。このセメントの手すりあたりがわずかに写っていただけだが、まぢかに見れば、まぎれもなくこれだ。アールデコふうの模様に見覚えがある。映像によれば、当時金網はなかった。
考えてみれば、この無造作は大変なことだ。今の高層ビルなら、どこもガラス越しに下界を観せるだけで、見物客を屋外には出さないだろう。ここが屋外なのは、このビルがバベルの塔の流れを汲む、石積みの摩天楼だからに相違ない。つまりは設計者にとって、ここはギザのピラミッドの頂上と似たような解釈で、そう考えれば、この古さ加減にまた別の感慨が湧く。
ともかくこの夜景が、今回のぼくのニューヨーク探訪の、フィナーレというものだった。
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