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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第167回
島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
4−25(金)、安藤忠雄建築展2003。
雨の中、東京ステーションギャラリーに、「安藤忠雄建築展2003、再生−環境と建築」を観にいく。
建築家の仕事にはいつも興味がある。昔は黒川紀章という建築家の仕事が面白くて、「ノマドの時代」なんていう、彼の文明論の著作まで追いかけて読んだ。
彼は、「カプセル概念」ということをさかんに提唱していた時期があって、ぼくもこれに共鳴し、中にベッドがある1人用のカプセルを設計して、ボール紙で模型を作ったりした。これは今思うとなかなかよくできていて、芝生の庭などに置き、1人で篭るためのものなのだが、鈍角の部分を持っていて、外から押して百度ばかり転がすと、中でベッドがパタンと片付き、机と椅子が現れるという仕掛けだった。眠りたくなるとまたもとの角度に押し転がし、ベッドを出して眠る。
書いていて気づいたが、これを応用したようなトリックをひとつ、以前に作ったような気がする。してみると、あのカプセルもまた、ぼくの物理トリック志向の原点であったのかもしれない。
もう今はないのかもしれないが、黒川紀章設計のカプセル型マンションが新橋にあった。これはツリー型の構造を持っていて、枝に成る実のように、サイコロ型の小部屋が中央の幹にたくさん取り付いているデザインで、窓は丸く、これに扇のようなかたちに和紙のカーテンが付いていた。閉めるには、ぐるーりとこれを円形に広げて遮光する。開ける時は逆に、扇を畳むような格好に一箇所に圧縮し、まとめる。
ぼくは本気でここに住むことを考え、不動産屋をあたってここを下見にいった。デビュー作は、つまり「占星術殺人事件」は、ここで書こうと思っていたのだが、理由は忘れたが果たさなかった。たぶん空いていなかったか、狭すぎるかしたのであろう。それとも高かったのだろうか。今でも憶えていることは、もう製作から年月が経っているので、このユニークな扇形の遮光装置は大半が壊れていて、住人はみんな普通のカーテンを付けていたことだ。

今は安藤忠雄氏の仕事に興味がある。以前唐十郎の芝居が浅草であった時、空き地に臨時に建てた木造の芝居小屋を、安藤氏が設計していた。川側の一角は、唐氏の要請でテントになっていたと思う。唐十郎のテント芝居も、ずいぶん追いかけて観たが、この浅草の時は特別で、芝居のあと、なんと唐十郎氏と近くの居酒屋でいっぱいやることができた。そして安藤氏の仕事についても唐氏と少し話した。
あの頃、安藤忠雄氏は知る人ぞ知る建築家で、今ほど大きな存在ではなかった。今は世界中にファンがいて、東京大学の教授というだけでなく、ハーヴァード大の教授まで勤めている。東京大学建築科といえば、明治の頃ここの前身にイギリスの建築家、ジョサイア・コンドル氏が招かれてきて教鞭を取り、これが日本の建築学の原点になった。彼の教え子である辰野金吾がこの東京駅を設計したわけだが、その赤レンガ駅舎で展覧会を開いている安藤忠雄氏が、今やアメリカの若い建築家を教えている。
ところがこの安藤氏、昭和16年の生まれだと思うが、大学を出ていない。高校も出ていなかったかもしれない。建築の勉強も独学だと聞いた。それがアメリカで教鞭をとり、日本のおもだったプロジェクトにはみんな関わっている。よほどの勉強をしたのであろう。いったいどうやったのか、これはたいしたものだ。
原宿表参道の、同潤会アパート立替計画、神戸、六甲の集合住宅群プロジェクト、瀬戸内海の直島コンテンポラリー・アートミュージアムのプロジェクト。それらばかりではない、海外にこそ、その真価は発揮されている。パリ、セーヌ川の河原に造るピノー現代美術館、アメリカ、フォートワース現代美術館、などなど。いずれも後世に遺る、しかも日本国のイメージを大きく変え得るような、まことにうらやましい規模の仕事だ。彼は、ついにここまで大きくなっている。
展覧会で、撮影はいけないと知らず、ピノー現代美術館の模型の写真を撮ったら、そこで注意されたので、この模型の写真だけはある。
会場は決して広くはないが、直島などは大型の模型に組んで見せ、小型のモデル、図面、スケッチ、ヴィデオ、そして大型スクリーンを使って観せる映画までが用意されていて、非常に充実したものだった。
安藤氏といえば、かつての黒川氏もそうだったが、型破りな行動をする人としても知られる。かつての阪神淡路大震災の後、震災復興事業の一環として、専門の建築でなく、白い花を植えようという運動を主催した。モクレン、コブシ、ハナミズキなどの木を、25万本ほど集めた。
彼はこういう精神の持ち主で、自然主義、平和主義、環境重視主義者で、破壊でなく、そこからの再生を提唱する思想を持つ。これはあの小野洋子氏などとも共通する心性で、この優しさが、彼をついにここまでの存在にしたといえる。しかし作品を観て歩くうち、だんだんに奇妙なことに気づいた。これはぼくの個人的な受け取り方だが、こういう思想家の仕事から、逆説的に「軍事」というキーワードを感じたのである。妙に闘う男の風景というようなものを、あちこちから感じていった。
典型は直島だ。これは島の土地の稜線を邪魔しないよう、明かり採りや、空気入れの開口部が空間に向かって大きく開くが、このアート・ミュージアム・コンプレックスは、すべてが地下に造られていて、完全な要塞としての外貌をしている。事実この施設は、その気になれば軍事要塞にも転用できるのではないか。
原宿の同潤会アパートもそうだ。それはアパートの背丈を通りの並木以上にしないための配慮ではあるが、施設は大半地下を掘り下げて造られる。太平洋戦時にこれがあったなら、さぞ重宝したであろう。たまたま今、ぼくが日吉に遺っている海軍省巨大地下壕跡を調べていたせいもあるが、こういう感想を感じた。
もうひとつ、これもまた、たまたま考えていた小説のアイデアと合致したせいもあるのだが、マンハッタンの高層ビルに発想した、ガラス張りのペントハウスが大変に面白かった。高層ビルの最上階近くに、水晶のような巨大な透明四角柱が斜めに入っている。壁面から斜めに侵入し、90度向こうの壁に突き抜けている。このガラスの四角柱を、ペントハウスとして使おうというアイデアだ。
これには非常に触発されるものがあり、この模型の前に長く佇んで、しばらく考え続けていた。自分の内側にあるストーリーを、修正しようかと悩んだ。ともあれ、これもまた、マンハッタンの高層ビルに突き刺さったガラスの砲弾のように見え、闘う男でなくては見えない風景が、ここにはあるように感じた。

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの安藤氏だが、破れたコンペもまたある。たとえばニューヨークの911テロの跡地、グラウンドゼロの再使用では、安藤氏の多目的ドームは採用されなかった。また新京都駅、あのコンペティションでも安藤氏のアイデアは敗れ、原広司氏の案が実現した。あれは素晴らしい作品で、安藤氏もこれは認めている。彼もまた、それなりに挫折を知っている。
この展示会の会場で、ぼくは画期的なアイデアを得た。今ぼくは「島田荘司全集」の配本を始めようとしているのだが、この装丁についてだった。全集だから函入りにするつもりでいるが、この函を、トレペ的なグレーの、半透明なプラスティックにする。ちょうど曇りガラスの函のような感覚だ。そこから、建築設計図的な線を多用したデザインの、グレー地の角背本を引き出す。
安藤氏なら、このような本を設計するのではないかと感じたのだ。これはまだ誰もやっていない良いアイデアと思われ、少し興奮した。依頼する予定でいる戸田さんのセンスとも、たまたまうまく重なるように思われた。そしてこの時、多少迷いがあった装丁家の選択だが、戸田さんに決定することができた。戸田さんに提案してみようと思う。
建築は面白い。当代一流の建築家の仕事は、いつもぼくに大きな刺激を与えてくれる。
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