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島田荘司のデジカメ日記
第163回
島田荘司のデジカメ日記
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4−13(日)、村ドン氏のオペラ、「メフィストーフェレ」。
高円寺のセシオン杉並というホールに、Office Top Pigeonサイトの仲間であり、声楽家でもある村ドン氏の主演オペラ、「メフィストーフェレ」を観にいく。
セシオン杉並は環七に沿ったコンサートホールで、やってきたのははじめてだったが、新しくて立派な会場であった。日曜日のせいもあってか、広い会場の観客席は、オープン早々にほぼ満席になった。おなじみ光文社のA井氏と会場で待ち合わせたのだが、ほかにもSSKのメンバーたちの姿がちらほら見られた。
これは東京オペラ・シアターの主催で、ソリストは毎回オーディションで決まるらしい。ということは、村ドン氏はこれを勝ち抜いたということだ。頼もしいことである。これに世田谷児童合唱団も参加し、サポートする。オーケストラ演奏は、芸大出身の有志。
「メフィストーフェレ」は、アッリーゴ・ボーイトが19世紀末に作曲したオペラで、ゲーテの有名な戯曲「ファウスト」に材を採っている。だから舞台は、16世紀のドイツと、古代ギリシャということになる。パンフレットによれば、この作品は1868年、ということは日本でいうとちょうど明治維新の頃だが、スカラ座で初演を行った。しかしこれは冗長にすぎて、歴史上まれに見るほどの大失敗であったらしい。しかし後年、スコアも整理されて徐々に評価が高まり、今は多くの演奏家たちが演したがる有名作品のひとつに育っているという。ついでにいうと、今年はオペラというものがはじめて日本で公開されてから、ちょうど百年目に当たるのだそうだ。
オペラ・ファンにはよく知られているらしい「メフィストーフェレ」だが、日本で演じられるのは今回がはじめてだという。日本にもこの作品の隠れファンは多く、この記念すべき公演をNETなどで知り、関西や、さらに遠くからも大勢泊りがけで観劇に来ているのだそうだ。これは貴重で、記念すべき日にあたった。そして日本にも、こういった高級な音楽の人口は多いものと知った。

舞台装置は、建設会社勤務の村ドン氏の関係なのか、工事現場用のアングルを多用した、かなり前衛的な解釈だった。高く組んだこの足場で、地上から天上までの各層を表現している。
ストーリーは、若さに憧れる老いた哲学者ファウストに、村ドン氏演じる悪魔メフィストーフェレが、甘い契約を持ちかける。若さを望むお前の望みをかなえてやろう、しかしそれは現世でのこと、そのかわり冥界では、自分にしもべとして尽くせと言うのだった。ファウストは、「止まれ、お前は美しい!」と自分が口にできるような感動的瞬間をもたらしてくれるなら、その契約にのろうと答える。
かくして若さを手に入れたファウストは、マルゲリータという美しい娘と恋をする。逢瀬の際、彼女の母親の目を盗むため、メフィストーフェレから睡眠薬を受け取って母親に呑ませる。
メフィストーフェレは、ファウストを魔女の巣窟、ブロッケン山に連れ出す。魔界の者が集うそこでは、メフィストーフェレは崇拝される魔王だった。しかしそこでファウストは、病んで臥せるマルゲリータの幻を見てしまう。
彼女の母親は死に、ファウストとの間に設けた赤子も溺死させたとして、マルゲリータは牢につながれている。そして、ファウストの腕の中で息絶える。
メフィストーフェレはファウストに、美しいマルゲリータと恋愛しながら、「止まれ、お前は美しい」と言わなかったなと皮肉を言う。しかし打ちひしがれたファウストは、天上から聴こえてくる美しい声に強く心をひかれる。メフィストーフェレは必死に彼を引き戻そうとするが、ファウストは天界からの声に向かい、ついに「止まれ、お前は美しい!」と叫び、息絶えていく。ファウストの魔力も、天界からの天使の声に敗北する。
だいたいこういうストーリーである。舞台右にスクリーンがあって、ここに洋画鑑賞の時のような日本語訳の字幕スーパーが、舞台の進行に沿って写されていく。なかなか親切な仕掛けになっていて、理解しやすい。
若さを得たファウストとマルゲリータの逢引のシーンでは、色とりどりの傘が開いて置かれ、2人の若さや華やいだ心が表現される。
フランクフルトの復活祭の場面では、明治時代の女学生のいでたち、チャイナドレスの女性、シルクハットの男たちとか、イヴニングドレスの女性などが踊りながら街の雑踏を表現し、これも原作を超越した前衛的な解釈でこちらの意表を衝く。
主役村ドン氏のメフィストーフェレは、存在感圧倒的な儲け役で、彼はよくこれに応え、単身でよく舞台を支えていた。彼はもともと持って生まれた美声だが、悪魔は特にはまり役だった。人の弱さを衝き、誘惑し、怠惰な喜びにと引きずり込む冥界の魔王、その不気味さ、怖さがなかなかよく表現されていた。
村ドン氏は明大の電気工学の出身で、芸大でも音大でもない。それでこれだけ大勢が脇を固める舞台の主役を張れるのだから、持って生まれた美声というだけでなく、存在感と、演技者としての天分もある。駕体がよく、体力派で、だから一種の威圧感も出る。むろん出演者たちはみなよい声の持ち主だし、才能があるが、村ドン氏がいないところをイメージしてみると、かなり寂しい気分が来た。
いずれにしても、ロックやフォークでなく、このような本格的な音楽が、街の有志によって企画され、練習され、定期的にコンサートホールでかけられているとは嬉しいことだ。こういう音楽こそ、歌舞伎や日本舞踊のように家元制度化せず、街の有志のものであって欲しい。
マイクを使わず、フル・オーケストラの向こうをはって、ろうろうと会場に響き渡る人の肉声はよいものだ。舞台最前列でこれを聴きながら、日本も一等国になったものだと、妙な感心の仕方をしていた。
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