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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第161回
島田荘司のデジカメ日記
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4−10(木)、桜散る、井の頭公園。
井の頭公園の桜が散りはじめた。花びらが水面を白く埋めて浮かび、足漕ぎ式の白鳥は、その上に跡を残して進んでいる。
毎年の一時期、井の頭公園の池にはこういう様子が現れる。岸に近い場所などは、降雪のように花びらがすっかり蓋をして、上を歩けそうな心地さえする。しかしこの様子も数日のことで、花びらはいつのまにか水に沈み、姿が消える。これが桜の季節の終わりだ。だから公園の池の底は、何千年にもわたり、沈殿した花びらが変化した泥でできているに相違ない。
公園内の道で、歩くと妙にふかふかする場所がある。これも、花びらや落ち葉によってできた土だからなのであろう。土の色はしているが、まだ完全に土になってはいないのだ。

池のぐるりの桜は、だんだんに色が変わっていき、日に日にもとの緑色に近づいていく。これが毎度不思議なのだが、1週間もすればすっかり真緑になる。とても同じ木には見えない。いっぱいに花を付けていた時には、葉っぱはかけらも見えなかった。花の季節には、葉はすっかり姿が消える。
これはジャカランダもそうだ。満開の季節はひたすら真っ青で、全然葉が見えない。花というものは不思議だ。自己主張の季節、彼女たちは葉っぱという脇役が、ほんのわずかでも見えることを許さない。
白粉が徐々に剥げ落ちていくような桜たちの彼方で、ゴジラの樹は、今やすっかり骨だけになった。この樹もまた、変化が実に早い。日々観察していると、あっとい間に骨になり、また時期が来れば、1週間ほどでみるみる青々とする。植物というものは、こちらが思っているほどのんびり屋ではない。いざという時の変わり身は、実に素早い。

駅前に出て、ルノアールで人と会って戻ってきたら、「人間彫刻・円盤投げ」という不思議なものが公園の一角に立っていた。体に白粉が塗ってあるが、手抜きなのでまだら模様で、散りゆく池の桜に合わせたわけでもあるまいが、全然大理石に見えない。みな、これはいったいなんだろうと、恐々遠巻きにしている。
しかも「円盤投げ」と書いてあるから、円盤を投げるのだろうと思い、じっと立って待っていたが、煙草を吸っているばかりで全然何も投げない。酔客が集まってはやすと、煙草を持っていない手をすうっと降ろし、下の料金箱を示してばかりいる。これでは「円盤投げ」ではなく、「煙草を吸う人」か、「料金箱を示す人」だ。
しかしまあ、こんな出し物が出るくらいなら、サクラ散る、自殺ニッポンもまだ捨てたものではない。
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