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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第159回
島田荘司のデジカメ日記
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4−6(日)、浅草の夜桜。
桜を求め、浅草も歩いてみた。仲見世通り、オレンジ通り、浅草寺の境内には桜はなかった。
かなり遅い時刻で、アーケードの仲見世通りは蛍光灯の明りばかりがしらしじらと残り、ひっそりとしている。浅草寺の二天門から松屋前の通りを渡り、隅田公園まで行くと、ここにはびっしりと桜が咲いていた。浅草の桜は、ここにかたまっている。東武浅草の駅から東武線のガード下、このあたりは「山高帽のイカロス」の舞台にした。彼方に見えるレストラン神谷バーも、あの短編に出した。
隅田公園は、思えば桜の名所だった。この公園は、吉敷のものの何かに書いた。細長い公園だが、ここに並ぶ木々は、ほとんどすべて桜だ。遅い時刻だったが、この夜、ここに酔客の喧騒はなく、うろつく浮浪者の姿もなくて、ひっそりとしている。桜の木の下、街灯の下を選んで車座になり、黙って酒を飲む若者の姿はある。そういう夜の中で、桜は静かに咲きあふれている。
公園を横切り、コンクリートの土手にあがり、越えたところの階段をくだって川べりに降りる。こちら側には桜はない。小奇麗な遊歩道があって、ここには相変わらずダンボーラー、つまりホームレスの人たちの借りの住まいが並ぶ。黒い水を隔てる対岸には、アサヒビールの建物、岡本太郎デザインの黄金のきんとん雲が夜空にある。
都市論ブームの頃、高度経済成長地代の象徴のような、黒ずんで貧しい、最低限の機能だけのこのセメント堤防は、「カミソリ堤防」と呼ばれてずいぶん嫌われた。そしてこの堤防の内側に遊歩道を付けて、ずっと海の方まで散歩ができるようにしようという計画が考えだされた。神田川にもつけ、水辺に沿って歩けば、東京の下町、主だった場所にはみんな歩いていけるというような、これは稀有壮大な計画だった。これにはぼくも大賛成で、ずいぶん熱中したものだ。
だがまもなくバブルがはじけ、企業群は日々借金の清算に追われ、政府は決して追いつけぬ不良債権を追って走りつづける不況の地代に入った。予算の限界で、水べの遊歩道は、隅田公園のこのあたりなど、ごく一部分しか姿を現していない。そして現れた夢の一部は、都民の憩いの場所というより、こうしてホームレスの解放区になった。女性たちは気味悪がり、陽が落ちればあまり歩かない。この計画を知った時、ぼくもまた、ホームレスが住みつく可能性までは考えなかった。
昔万博に岡本太郎デザインの「太陽の塔」が立った時、過激派が登って占拠した。降りた後には排出物が載っていて、みながひどい不快感を持った。作者の岡本太郎は、インタヴューのマイクを向けられると、「芸術は汚されるものだ」と語った。あれを思い出す。理想は、たいてい俗な要素によって足を引っ張られる。現れる夢は、政治家の質的レヴェルと同じで、庶民の暮らしの平均水準からそうは離れられない。これが絶えずわれわれに突きつけられる現実だ。しかし、ともあれ一部にせよ、この遊歩道は気持ちがいい。石の椅子にすわって、しばらく黒い川面を眺める。水が、足もととほとんど変わらない高さにあるのがいい。
江戸の頃、花火の時はいつもこの大川の川面が屋根舟で埋まったそうだ。桜の頃には、屋根舟を遡らせる。すると土手沿い、延々と桜が並んで絶景であったという。無粋なカミソリ堤防などまだ影もなく、緑の土手に薄桃色のかげりがはてしなく続けば、さぞ絶景であったろうと思う。こういう愉しみは、もうわれわれの世界からは永遠に去った。

失われたものを探して嘆くのはぼくの趣味ではない。良いものも去ったが、不治の病も、重度の貧困も消えた。かわりに今われわれにあるもの、たとえばそれは、ガラスの高層ビル群のきらめきか。夕陽の時刻のきらめき、そしてさんざめく夜景。ぼくは内側をガラス張りにしたレストラン列車を山手線に走らせ、夜景を観ながらのディーナ−、などという趣向を、都知事には考えてもらいたいと思っている。こういうことは、環状地上電車を持っている都市にしかできない。

腰をあげ、桜橋にも行ってみる。桜橋というくらいだからここは桜が多いかと思ったが、橋の両のたもとにひとむらあるだけだった。昔大川土手に並んでいたという桜の、これは名残か。しかしこの桜も、夜の中で美しい。
桜橋は、向島側は特に、低い道から長い階段があがっていて、モダンな意匠にできあがっている。するとやはり、ここに限ってホームレスのダンボール団地ができている。デザイナーはがっかりしているかもしれないが、何やら同潤会アパート群の逆を行くようで面白い。あの建設計画は、東京のあえてスラムふうの暗所ばかりをねらい、当時最新鋭のモダン・アパート群を配置していった。現在の表参道や代官山を見れば、その強引な計画も、充分成功したのではないか。しかし目の前のこれは逆だ。今度は最新鋭の場所をねらって、ホームレスが集まってくるようになった。

浅草に戻り、仁丹塔が立っていたありにも行った。すると、ミスター・ドーナツがまだある。これは懐かしい。ここはまだスターバックスになってはいなかった。昔このあたりをよくぶらついていた頃、ここでレモンティとドーナツを食べた。10年ぶりに入って食べてみたら、とてもおいしかった。
LAではクリスピー・クリームのドーナツが評判で、店の周囲を取り巻くほどの行列ができることもある。あれも確かにおいしいが、日本のここの方が、味は遥かに上品で、うまい。
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