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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第158回
島田荘司のデジカメ日記
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4−5(土)、雨の鎌倉、雨の開港記念館前広場。
雨が降ると、何故か横浜に行きたくなる。カリフォルニアに居ると、東京の雨が懐かしい。
実際に雨の中を歩いてみれば、イメージしているほどによいものではなく、ただ寒かったり、風が雨粒をあおれば服が濡れ、ただ不快なだけだったりもする。
けれど、車で体験する雨はいいものだ。これもたぶん、車が好きになった理由のひとつだ。カリフォルニアの陽光の下をオープンカーで流す、これも応えられない車の愉しみだが、フランス映画「男と女」のように、気に入った音楽をカーステレオで聴きながら、ひたすら雨の中を行くドライヴもいいものだ。
そして、大きなガラスが填まった店に駈け込む。表から確かめておいた窓際の席にかけ、雨が打ち、水滴が伝う窓をじっと見つめながら、好きな小説の一場面を思い返したり、自分の作る話を脳裏で進めたりする。
もっとも、これも実際にはそんなふうに綺麗にもの思いに沈むようなことはまずない。頑張って小説のことを考えようとしても、その時に心を占めている俗事の方が生々しくて、気づくとそっちばかりを考えている。
小説家の日常は、ぼくに限ってはそういう闘いが多い。いかにして俗事に負けず、高級な思索を維持できるかだ。デビューの頃は俗事が少なくて、小説書きの方に頭を専用できた。今はなかなか俗事発想が増えてしまって、これがまともな脳の回転を邪魔する。この俗発想に頭を完全に占拠されたなら、それが作家生命が終ったということなのであろう。
とはいっても、この俗事もくだらないものばかりではなくて、たとえば死刑問題で、自分への反論に対し、再反論の文面を何時間も考えていたりする。これはけっこう有意義で、そういう時、法の新解釈に思い当たったりもする。このように、「議論のイメージ」というものはなかなか生々しくて、一度脳に侵入されると容易に追い出せない。小説展開の妄想は、たいていのところ、あまり強い力を持っていない。特に滑り出しのあたりは、弱くて淡いことが多い。まあそう簡単には言いきれない、いろんなケースがある、しかし、おおよそそんなところだ。

この日、雨が降っていたから横浜にでも行ってみようかと思い、車で走りだした。第三京浜を出たら、まだ時間も早いし、鎌倉まで行くかと考えを変えて、横浜新道に入った。
いつもの抜け道を駆使し、鎌倉に着いたら、時間の駐車場に車を入れ、傘をさして段かずらにあがってみた。そうしたら、そぼ降る雨の中で、この参道が満開の桜並木になっていた。
これは内心期待していたことだったか、まだ陽は高かったし、足もとはぬかるんでいる。歴史の香りなら、ここも千鳥が淵に負けていないはすだったが、傘の下、寒さに身をかがめて鶴岡八幡宮まで歩くこの時は、ただ寒いなというだけで何も感じなかった。
理由を今考えれば、たぶんここの桜は背丈が揃っていて、しかも背が低いから、なにやら中学生の行進のような幼い印象がある。千鳥が淵のものは、時に巨木も混じるから、そういう場所では咲きあふれる花の位置が高い。これが下からのライトを浴びてぼうと光り、覆い被さってくるような威圧感がある。桜の下には死体が埋まるというが、そう、桜という木は畏いものなのだ。畏いから美しい。これがまた日本人の思う神の姿と重なり、間違いなく日本型の感性を作っている。
八幡宮の境内にも、桜はあちこちにある。これらがそぼ降る雨に濡れる風情はいいものだ。しかしみなおとなしい木で、畏い桜はない。
畏いというなら大銀杏だ。この樹は人の血を吸っている。樹のあたりには柵が立っていて、石段を上がれないようになっている。上はどうやら工事中らしい。ひき返し、ミルクホールでお茶を飲んでから車に戻り、横浜に向かった。

赤レンガ・モールの少し先から、山下公園まで続く遊歩道は気に入っている。特に夜の帳が降りてのち、この遊歩道上から振り返って眺める観覧車や、みなとみらいの光景が好きだ。アメリカにいてここが懐かしくなる理由は、アメリカにジャパンTVという日系人向けのチャンネルがあって、ここでは主としてNHKの番組が観られるのだが、この局が番組の合間に用意するブリッジの映像がみなとみらいなのだ。NHKのニュース番組の合間にも、よくここを写す。見るたび、だんだんに懐かしくなる。この夜は雨だったから、ネオンをまとった観覧車は、白く靄う夜空に、淡く霞んでいる。
遊歩道の中途から、大桟橋通りに降りる階段を下る。アメリカにいて、この開港記念館前広場にあるカフェバーに、むしょうに入ってみたくなった。いつも前は通るし、昔から存在を知っているのだが、まだ入ったことがない。いつ来ても中はがらがらで、客の姿を見たことがない。いつも夜で、それも雨の日だったりするせいだろうが。
この夜も、客の姿はなかった。表の広場に出されたプラスティックの椅子やテーブルが雨に濡れ、水滴をたくさん載せている。窓際の席は、予想通り空いていた。ここにかけ、最初に述べたように、ガラスを伝って落ちる水滴を眺めてものを考えた。思った通り、とても気分のよい席だった。
幕末の頃、目の前のこの通りから向こう、マリンタワー側は外国人の居留地だった。店があるこっち側は日本人の居留区、目の前のこのあたりはそれらが合流する場所で、海から商品があがっていったん積まれ、役人のあらためを受ける場所でもあった。この役所を運上所と言ったが、だからこの界隈は非常に賑わう場所だった。運上所の周囲には一膳飯屋がひしめき、ロスアンジェルスのように、さまざまな人種が入り乱れて食事をとっていた。
白い日本のご飯を外国人は食べたろうか。食べたと思う。今LAでは、日本食は健康食とみなされてポピュラーだが、白米のご飯は、アメリカ人にはサラダと考えられている。だから彼らは何もかけず、黙々とご飯だけを食べることをする。むろんみながみなそうではないが。だからここで、漬物程度しか付かない白いご飯が出されたとしたら、異国人にとってはサラダバーだったろうと思う。
幕府が、異人相手に商売をしたい者を募ったら、役人の予想に反して大変な希望者が押し寄せた。臆病でことなかれの役人とは違い、庶民は異人を恐れてはいず、歴史上まれなビジネスチャンスの到来をよく見抜いていた。
とまあいったような、この時は雨を見つめて、割合まともなことを考えた。
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