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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第157回
島田荘司のデジカメ日記
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4−3(木)、千鳥が淵の夜桜。
文芸春秋社のご存知菊池夏樹氏に連絡を取り、たまたま今日本にいるので桜を観たい、文春の近くに桜の名所はないかと尋ねたら、それなら千鳥が淵じゃないですかね、と彼は言った。それで、では一緒に千鳥が淵の桜を見物しましょうという話になって、九段下のホテル、グランド・パレスのティールームで待ち合わせた。
このホテルは懐かしい。以前菊池氏がぼくの担当編集者だった頃、このホテルに缶詰になって、「夏、19歳の肖像」を書いた。このホテルは下の駐車場が大きく、自動車評論家の徳大寺有恒氏などは、ここに所有の数台をみんな置いて常宿とし、対談等もすべてここで行っていた。ぼくもこの缶詰の時、ポルシェに乗ってきて、仕事の合間に菊池氏と、麻布あたりにドライヴに出たりした。菊地氏は当時ディーゼル・ベンツに乗っていて、彼も古いドイツ車が好きで、そういう点でも話が合った。
この日、ティルームでは「三浦和義事件」の話になった。彼の方から話題に出してきたのだ。文春の彼とは、これまで「三浦事件」の話はなんとなくタブーだったが、この日彼が話に出したのは、三浦氏の「銃撃事件」の最高裁判決が出て、無罪が確定したからだった。
ぼくは彼の無実を知っていたし、ぼくとしては控訴審の無罪判決でこの事件には決着がついていたから、もう特に関心は持っていなかった。無罪確定は当然だったし、そう予想もしていた。しかしみな、最高裁で無罪は覆ると思っていたのか、今回確定の運びになってから、驚いたようにこの話題を出してくる。この日の菊池氏もそうで、確定でようやくあきらめがついたというふうに、「島田さんは、突っ走ったうちの週刊誌とのバランスを取ってくださったんだと思うな」、とさばさばした口調で言った。
しかしそれでもやはり多少悔しいのか、「でもどうして島田さんがあの事件に関わったんですか?」と訊いてくる。みな本格の島田と、ロス疑惑との結びつきが解せないらしい。これはよく訊かれる。みんなロス疑惑を、何やら俗でいい加減なものの代表のように見ているのだ。それで秋好英明氏のことを話した。三浦氏が、秋好氏が信頼して長く手紙のやり取りを続けていた数少ない獄中仲間であったこと、そういう秋好氏の勧めと訴えで、この事件を調べはじめたことを説明した。
「ああそうですか」、と彼は納得したようだった。時にそんな勘ぐりをされることがあるが、対文春対抗馬というような意図で、誰かがぼくを担ぎ出したわけではない。まったく自主的な行動だったし、当初はみな驚くばかりで、賛成する人はいなかった。冤罪立証に成功するなど、夢想さえできる人はいなかったはずだ。たまたまLAに移り住んだ矢先でもあったし、疑惑報道の先駆けだった北岡和義氏ともLAで知り合えていた。当時あった「オーパス」という雑誌に秋好氏との手紙のやり取りを載せたら、その中でぼくがしたフリーモント・アヴェニューの現場の位置への言及を読んで、いきなり三浦氏当人から手紙が来た。これはまだ、秋好氏に勧められて彼が書いたというわけではなくて、三浦氏がたまたまマイナーな文庫情報雑誌、「オーパス」を愛読していたのだった。あれやこれやでこれは関わる運命だと考えた。
文春とはこれまで、「三浦事件」をはさんで少々間の悪い思いをたびたびした。「銃撃事件」の控訴審無罪判決で世間が揺れていたあの日も、たまたま羽田編集者をはじめとする文春の数人と、赤坂プリンスで会っていた。羽田さんというのは、ロス疑惑当時、週刊文春の安倍キャップの下で、記者として最も先鋭的な活躍をした当人である。ぼくは文春とはしばらくつき合いが途絶えていたのに、たまたまこの時に限り、当時あった漫画雑誌「コミック・ビンゴ」で漫画原作を書いて欲しいと依頼され、羽田氏と会っていた。羽田氏は今は週刊文春に編集長として戻っているが、当時はこの漫画雑誌の編集長だった。ぼくにとってというより、彼ら文春にとって、いかにも間が悪い展開になっていた。この日羽田氏は黙りがちで、犠牲者の三浦氏に替わって、ぼくが文春のばつの悪い顔を眺める役に廻ったようだった。こんなふうに、「三浦事件」に関しては妙に因縁めいた展開があり、これは関わった人たちがよく言うことだが、ぼくの場合もまたこんなふうだった。

それからホテルを出て、ぶらぶら九段会館の方に向かった。靖国通りを渡り、お堀端に出ると、そこはもうたわわな印象で頭上に咲いた桜の世界だった。九段坂の舗道は、桜の花をいっぱいに付けた枝の下、淡い暗がりになっている。坂の舗道は、桜見物の人たちで渋滞していた。
人をかきわけるようにして、九段坂をゆっくりとあがっていった。車道越し、右手に見える靖国神社の大鳥居も、薄桃色の桜の花の塊の上に覗く。
内堀が、遥かな眼下にある。このあたりはまだ牛が淵だ。小山の斜面のように見える対岸は、武道館のある北の丸公園になる。田安門をすぎ、インド大使館の手前を左に折れると、いよいよ千鳥が淵に沿った、圧倒的な桜の並木道が始まる。
これは、まったく見事なまでの桜のトンネルだった。歩いても歩いても、桜の花の天井が延々と続く。対岸の斜面も、ところどころに桜の淡いかげりが、貼りつくようにして被う。この眺めも独特で、見事なものだ。千鳥が淵の水面は、ここでもやはり遥かな眼下で、アヴェックが操るボートの姿がちらほらと浮かんでいる。
人の波に背を押されるようにして、ゆっくりゆっくりと歩む。すると徐々に陽が落ちていく。太陽が隠れていくのは、右手フェアモント・ホテルのビルだ。ここにも「三浦事件」の幻影がある。このホテルのティー・ラウンジで、銃撃させて殺したとされた妻一美と、三浦氏は知り合った。三浦氏は、武道館のコンサートに行った白石千鶴子をここのティールームで待っており、そこに同じくコンサート帰りの友人を待つ一美がいた。三浦氏はさっそく話しかけ、そこに千鶴子が戻ってきて、2人の女性はこの時ここで、生涯ただ一度のニヤミスをしている。この時千鶴子は、「綺麗な人ね」と一美のことを評した。
陽がすっかり沈んだ。すると千鳥が淵の桜のトンネルに灯が入った。無数のライトに下から照らされ、圧倒的な量の桜が、漆黒の夜空の手前で白く浮かび上がった。闇に呑まれ、もう千鳥が淵の水面は見えなくなる。替わりに桜があたりを圧し、ますますその存在感を増した。桜、桜、桜――、視界には、桜以外の何も見えなくなった。そんな状態が、歩いても歩いても、いつ果てるともなく続く。
ところどころ、桜の天井が高くなる。トンネルには、たまに中途に広いスペースがある。そういうところでは立ちどまり、上を見る。すると、そこには雄大な桜の天蓋ができている。漆黒のスクリーンの手前に、桜の花がびっしりと埋めたドームがある。それをじっと見つめて立つと、ゆるゆる視界が廻りはじめ、眩暈が起こるような錯覚が来る。
陽が沈み、周囲から桜以外のものはみんな消えた。ビルも、車も、ネオンも、エンジン音の雑踏も遠のき、あるのは桜のトンネルだけ。そして世界は江戸にタイム・スリップした。このままこの不思議な花のトンネルを歩き続け、いつかどこかに抜けたなら、きっとそこは江戸だろうと感じる。
江戸のぼんぼりは、もっとずっと暗かったろうが、江戸の庶民はこの季節、この千鳥が淵までそぞろ歩きに来て、これと寸分たがわぬ世界を見たに相違ない。
はじめて桜の魔力を見たような心地がした。圧倒的な桜の群生のもとには、磁場に似た何かがある。陽が落ちれば、その威力はさらに増す。
そうか、これかと思った。この眩暈のするような気分を味わいたくて、日本人は太古の昔から、夜の桜を眺め続けたのだ。それは威圧され、不安をかきたてられ、しかし同時に、うっとりと睡魔にも誘われるような、特有の酩酊感だ。
ここの桜はほかと少し違う。井の頭公園もいい、三渓園も禅林寺もよかったが、一種怖いようなこの感じは、千鳥が淵の夜桜にしかない。
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