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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第154回
島田荘司のデジカメ日記
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3−31(月)、横浜、三渓園。
横浜本牧の三渓園に、桜を観にいった。今回、たまたま桜の季節に東京にいるので、あちこちの桜を観てやろうと考えている。
三渓園は前々から気になっていたのに、これまで訪ねたことがない。場所や道がよく解らなかったことと、駐車場がないだろうから、自動車では行けないだろうと考えていたせいだ。しかし駐車場はあるという。そこで確実をもくろんで、平日に出かけた。
案内標識が不充分なので、案の定下の道でかなり迷ったが、時差で早朝起きが苦ではないから、園に着いたのはお昼時だった。駐車場にすんなりとはいかなかったが、案内の人の指示でしばらく路上で待っていたら、順番が来て駐車場に入れた。
入場料300円なりを払って園内に入ると、まずは大池というものがあって、逆光になってやや眩しいその彼方の小山に、三重の塔が見えていた。人出も割とあり、大池にそってぐるりと歩いていくと、案内図によれば「月影の茶屋」とある庵では、弁当を使っている人の姿が多い。三渓園というものは、訪ねるまで知らなかったのだが、美術愛好家の原三渓という実業家の私邸であったものが、一般公開されたものらしい。名前の由来はそういうことだ。雄大、広大な日本式庭園で、明治39年に公開された。
この原三渓という人は本名を富太郎といって、生糸貿易で財を成した人らしい。おそらく現在の赤レンガ倉庫あたりを使っていた人なのではないか。あそこは生糸の集積に多く使われていたと聞く。
園内には、小山や竹やぶ、さまざま樹木の林が自然のままに残されているふうで、気持ちがよい。もっとも今は自然のままという印象だが、もともとはおそらく四季おりおりの変化が楽しめる植物を選んで集め、あれこれ考えて配置したのであろう。それが時を経てすっかり土地に馴染み、人工的な気配が消えた。第2次大戦ではかなりの被害をこうむったらしいが、昭和28年にここの管理が原家から財団法人三渓園保護会に移り、それから猛然と修復が始まって、昭和33年にはもとの姿を取り戻した、と案内には書いてある。
しかし残念なことには、期待したほどには桜がなかった。月影の茶屋を過ぎて大池を廻り込んだ先にひと群ある。外苑と呼ばれる一帯では、どうやら桜はそれだけという印象だ。よい庭園だが、今回は盛大な桜を期待してきたので、多少がっかりする。
月影の茶屋の裏手にある小山に登ってみる。山というほどではない小さな高台だが、土の道は平らでないし、じぐざぐに折れているから、それなりにきつい。途中には竹やぶがある。頂きに出たら、三重の塔が正面にそびえた。
五重でなく、三重というところがよい。この庭園のスケールには、三重くらいがちょうどよい。なにしろ個人の庭園だったのだ。五重の塔では、字面の響きからして私邸には合わない。
この塔と下の大池が、この庭園のシンボルであり、二大構成要素というものだが、ここに立った時、なんとなく解った。この庭園は、素朴な明治の御世、独占的な貿易で巨財を成した人の「箱庭」だということだ。池があり、小舟が一艘あり、赤い橋があり、築山があって、その上には三重の塔が立つ。箱庭とはそういう総花的、網羅的なセンスで造られる。原さんは一般人たちの何千億倍も金があったから、趣味の箱庭も、こんなに巨大になった。
案内によれば、この三重の塔もただものではなかったから驚いた。もともとは聖武天皇が、京都燈明寺境内に建てさせたものという。聖武天皇といえば、ぼくなどには馴染みのある、死刑廃止の詔を出した天皇だ。それを買ってこっちに持ってきた。康正45年、西暦1457年の製作で、本物中の本物という値打ち物。関東では文句なく最古の建造物というから、これはまた、とてつもない骨董品だった。
はたしておいくらだったのであろうか。よほど金があったということだろうが、そんなことをしてもよいものだろうかと気になる。燈明寺の方はどうしたのであろう。パリの広場に建つエジプトのオベリスクとか、ベルリン、ペルガモン博物館内にそびえるバビロンのイシュタル門を思い出した。今なら、こんなことは到底許されることではないだろう。庭園のここに置く塔が、別段それほどに由緒正しい本物である必要もないと思うのだが。
塔の前を過ぎて、別の道を使って小山を降りると、また大池のそばに出る。ここに桜がある。このあたりにも林洞庵とか、横笛庵とか、いろいろ骨董価値のありそうな建物が散在する。と思っていたら、旧燈明寺本堂というものまであったのでびっくりした。よけいなことだが、本堂まで持ってきてしまっては、京都の燈明寺自体はいったいどうなったのであろう。心配になった。消滅したのであろうか。まあもともと、朽ち果てた廃寺であったのかもしれないが。
そう思いながら歩いていたら、飛騨白川郷の合掌造り、庄屋の家というものまであったから、この庭は大金持ちの箱庭というに留まらず、骨董品の陳列場だと気づいた。自慢のコレクションが家に入らないから、こうして庭に並べているのだ。
しかしこれが一個人の自宅の庭であったとは、信じがたいことだし、素晴らしいことだ。ここをいつも1人でぶらぶら歩くのは、はたしてどんな気分だったであろう。茶の間で、来客にいそいそ骨董小物を出して見せる小金持ちの比ではなく、さぞや自慢であったろうが、どうしたことか、あまりうらやましい気分がしない。ぼくならその手の自慢はしないから、たぶん自分所有の庭を歩くのも、今こうして300円払って歩くのも、そう気分は変わらないだろう。ここが自分1人の所有だという思いなど、禅宗の無常ではないが、ごく短いいっときの幻想だ。金も事物も、棺おけの中までは持ち込めない。こういう大袈裟なものは、いずれ公共の財産になる運命だ。それほどの金があれば、自分ならこういう遣い方はしない。
とはいえ、こうして自然を一部切りとって固定し、宅地造成の津波から守って、民の未来に供することをもくろんでいたのなら、これは創造的なことだ。
建物の一軒で、今夕6時から琴のコンサートがあると案内板に書かれ、誘惑だったが、それまで待っている気にはなれなかったので、園内を出た。
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