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島田荘司のデジカメ日記
第151回
島田荘司のデジカメ日記
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12−25(水)、LAのクリスマス。
クリスマス・デコレーションの見物に、今年はキャンディ・ケーン・レーンに行ってみることにした。以前に季刊で、リンポゥ・ブールヴァードや、メンドシノのアイスクリーム会社社長の家のデコレーションを紹介したことがあるが、キャンディ・ケーン・レーンのものは、この地域の家々がこぞってクリスマス・デコレーションを行っているので、なかなか広範囲に渡っている。メンドシノは、一軒のデコレーションを観ればそれで終りだが、キャンディ・ケーン・レーンは、だからずいぶん歩くことになる。
キャンディ・ケーン・レーンは、ロスアンジェルスの北部、101フリーウェイに接してすぐ北、ウィネッカ市の南部にあたる。キャンディ・ケーンというのは、杖(ケーン)の形をした飴(キャンディ)のこと。先がぐるりと曲がって、全体が赤白のだんだら模様になっており、ヴィニールの袋に入っている。クリスマス定番のお菓子だ。
実際にキャンディ・ケーンという通りはなく、ルバオ・アヴェニューに面した家々がクリスマスのデコレーションを始めたので、クリスマスの時だけこの通りをキャンディ・ケーン・レーンと呼んだのが始まりらしい。以来、隣で並行する南北方向の通り、直角に交わる東西方向の通りもデコレーションを始めて、このあたり一帯がクリスマスにはキャンディ・ケーン・レーンと呼ばれるようになった。
具体的にはルバオ・アヴェニューを中心に、これと並行したペンフィールド・アヴェニュー、オークデール・アヴェニュー、これに交わるハテラス・ストリート、マーサ・ストリートなどを指している。もよりの大通りというと、ヴェンチュラ・ブールヴァード、ウィネッカ・アヴェニュー、コービィンやタンパ・アヴェニューということになる。101からそれらへの出口があるだろうから、クリスマスにLAに来た人たちには、一見をお勧めである。

やってきてみると、車から観ようとする人たちののろのろ運転で、キャンディ・ケーン・レーンは渋滞していた。なんとか車を停めて歩きだすと、実に壮観である。昔日本の菊人形展も、こんなふうに普通の街角で始めたと聞くが、ごく普通の町内に、無料の見せ物が現出していた。イエス生誕の光景の再現、橇に乗るサンタクロースのデコレーション、そういう定番のものに混じって、今年はPeaceの文字が散見される。近づくイラク戦争に対するささやかなメッセージだろう。逆にこちらは侵攻支持なのか、それともそこまでの意志はなくても、やる以上は勝利を祈念してか、星条旗のデコレーションも数多くある。
最近人気のアニメや、CGのキャラクターが勢揃いしている庭もある。ぼくはよく知らないので、多くは写真をあとで見せ、アメリカの友人たちに名前を教えてもらった。CGのストーリーの、これはぼくも知っている「シュレック」の登場人物たち、シュレック、プリンセス、ドンキィ、ロード・ポークワ、それからトイ・ストーリーのバズやウッディが芝生の上に整列している。
余談だが、このシュレックはとても画像のセンスがよく、話も面白く、よくできた映画だった。そしてこのシュレック型の、全然美男ではない、黒人ふうのいかついキャラクターが、こちらでは最近なかなか人気がある。「トリプルX」のヴィン・ディーセルなどが典型だ。「トリプルX」は飛行機の中で観て、大いに感動したから、こちらでヴィデオが出るのを待って借りた。「もうひとつの007」という感じて、リアリティ無視のむくゃくちゃな映画だが、絶対のお勧めである。この方向も以前から興味があったので、予想通りではあるのだが、ぼくとしてはこの手のものの台頭には、ちょっと焦らされる理由がある。
レスキュー・ヒーローズが集合した庭もある。それから豆電球で作られたピーツ・ドラゴンというもの。それからぼくは知らないのだか、スポンジ・ボブ・スクエア・プンツというストーリーのキャラクターたち、ガイとクラビィが立っている庭もある。
日本でも、こういうデコレーションが始まったと聞く。しかし相変わらず日本人らしい噂も同時に聞えてきて、いわく周りがやるので自分も強制されている気がして不愉快だ。無駄な出費や電気代がかかる。あるいは自分の電気代を使って他人を楽しませて馬鹿みたい、とか、逆に、あれは自分の虚栄心でやっているので、見栄の張り合いは見ていて不快だ、などなど。
こちらの家々からは、どうしてこんな噂が聞えてこないのであろう。アメリカも今、戦争を前にして節約道徳の時代に入り、倒産する会社が相継いでいる。経済はデフレに突入、みんな苦しい。各家庭、日本もアメリカも考えることは同じだと思うのだが、こういう感情は押し隠している。この町内でも、真っ暗で何もしていない家はけっこうある。これらの家は、デコレーションが派手派手しい家々とは、一色即発の冷戦状態にあるのだろうか? そうとも思えないのだが。
東京の家々は庭が狭いし、あってもブロック塀で中を隠してしまうので、こういうイヴェントは物理的にむずかしい。できる家は限られてしまい、そういう家の人が他意なくデコレーションをやっても、自分の家の庭が広いから自慢しているのだ、という陰口のストーリーを組まれるのであろう。また実際、自慢する要素がないなら電気代などの出費と引き合わない、という貧乏時代の賢い発想は、まだわが国では生き残っているのであろう。
ともかくはっきりしていることは、この一角を歩くのは楽しい。なければ寂しかった。あれこれは解るが、この気分は確かなことである。そして見物中にすれ違う人たちは、にっこり笑って「メリー・クリスマス!」と声を掛け合う。この瞬間、やはり嬉しさがこみあげて、デフレも失業もイラク戦争も忘れ、人の誠意を信じる気分になる。これもまた確かなことだ。
豆ランプでトナカイの橇を模したしたヴァンがやってきた。屋根に子供たちが乗っていて、こっちが手を振ると、先述したキャンディ・ケーンをぼくにも撒いてくれた。
街の角で、トランペットを吹いている二人組がいた。ジングルベルを吹き終わるたび、寒そうに背を丸める。彼らのバケツに1ドル札を入れたら、ちらとぼくの顔を見て、メリー・クリスマスと言った。
不平を言うのはたやすい。そしてこういう自分の糾弾は、世間を正すと信じる。しかしその多くは錯覚で、糾弾自体が人の精神のバランスをくずし、別の糾弾を創り出す。アルカイーダの話がどこかに飛んでしまった対イラク戦と同じだ。テロ撲滅を目指してイラクを叩けは、テロは現在の10倍になる。そしてイラク征伐がたとえ短期で終っても、その場合はシリア、レバノンと続く。貧困と病は無限大に増殖し、これがテロを飛躍的に正義に近づける。テロに反対していた母親たちも、いつかは涙で賛成する。通常の思考力があれば、これは誰にでも解ることだ。
有害な重金属は、地中に一定量含まれる。河川を通してこれらを飲料水に混入させない方法は、これらを根こそぎ取り除くことではなく(できるわけもない)、酸性雨のペーパーを高めないことだ。有害物質には、地中でおとなしくしていていてもらえればそれでよい。
人は生涯、病とともに生きている。最も腕のよい医者とは、それを発病させない人のことだ。
戦争前、このキャンディ・ケーン・レーンで、人は微笑んでクリスマスおめでとうと声をかけ合う。ただここにだけ、回答はある。
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