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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第148回
島田荘司のデジカメ日記
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12−4(水)夜、講談社訪問と、カバラでタイ料理。
池袋のミステリー文学資料館から、タクシーで音羽の講談社に向かった。講談社は、旧館の時代にはさんざん入ったが、新社屋のビルができてからはほとんど行くことがない。アメリカに移住してしまったこともあるし、編集者が出向いてくれるようになった。その昔は、原稿ができたといっては届けにきたものだ。
フライデー連載の時も、これはまだ旧ビルだったが、毎週のように編集部まであがった。そうしていたら、ちょうどその頃、まさにフライデー編集部にビートたけしの殴り込みがあり、以降受付でいちいち名前を書き、バッジをもらわないと入れなくなった。この20年ほどで、講談社もいろんなことがあった。
噂の新社屋ができてからも、文芸第3部の編集部には入ったのだが、それはホンダが8千回転からやっとレッドゾーンという噂のスポーツカーを作ったので、市ヶ谷のカードラでこれを借り、試乗のついでに寄った。だからこの時は地下駐車場からいきなり編集部へ、エレヴェーターであがってしまった。
タクシーを降り、小雨が降っていたので、傘立てに傘を挿してから玄関を入ったら、びっくり仰天した。雨の降らない巨大な空間と、煌煌と明るい森があったからだ。玄関から入ったのははじめてだった。木立の間には、板敷きの小径がひと筋抜けている。ここに、これほどのものがあるとは知らなかった。LAにもこんなビルはない。講談社とはこんな大企業だったのかと思い知って、認識をあらためた。
A井さん、竹内さんの案内で、食堂まで上がった。これがまた大変立派なもので、あちこちにハイヴィジョンTVが備えつけられており、ニューヨークの大企業でも訪問したようだ。これなら全OL憧れの職場であろうと思う。トレンディ・ドラマに登場しそうだ。テーブルにつき、待っていると、M澤さんがたくさんのティーカップを盆に載せ、そろそろと運んできたくれた。文芸第3部の秋元さん、それから宇山さんも一緒だった。
M澤さんによれば、このレストランはガスを使ってはいけないそうで、電気だけだから、魚の照り焼きは煮物みたいにくたっとしているとのこと。光文社の方がおいしかったと言った。むろんこれは、すごいナーとあたりを眺め廻しているA井さんへの配慮であろう。しかしA井さんによると、光文社の食堂は零時を過ぎて食事をしたい場合、社にその旨申請しておかなくてはならないから、大変に不便だという。
光文社組とはここで別れ、講談社組と渋谷のエスニック・レストラン、カバラに食事にいくことになっている。お茶を飲み、講談社組、光文社組合同でしばらく歓談してから、1階に降りてタクシーに分乗、4人で渋谷に向かった。

タクシーの中でM澤さんが、ポール・マッカートニーのライヴを聴きにいってきたと話していた。日本公演は、おそらくこれが最後になるだろうという。彼のことだから、ビートルズ・ナンバーをたっぷりと演奏する、サーヴィス満点のステージだったことだろう。
カバラはM澤さんがお気に入りの店で、バブルの時代にふんだんに金をかけて完成した。そのギーガー的、あるいは暗黒美術館ふうの内装が、一時評判だったのだという。ミステリー作家のぼくに、これを観せたかったということらしい。
ところが着いてみると、名前が「CAT STREET CAFE」に変わっていた。エルヴィスの顔が入口の壁に大きく描かれていて、ドアを押すと、ロックンロールのサウンドが地下からわんわんと響いてくる。ちょっとディスコふうの気配だ。M澤さんはかなり驚いていた。
店は地下だが、その入口にはちょっとしたスペースがあって、ジューク・ボックスが置かれ、トライアンフのバイクが1台、ぽつんとが置かれている。これはジェイムス・ディーンのイメージだ。彼は車はポルシェ、バイクはトライアンフやノートンの信者だった。つきあっていた恋人ピア・アンジェリが結婚した時、教会の外で雨の中、バイクのエンジンをバーンとひとあおりさせて走り去ったというエピソードは有名だ。車はドイツ、バイクはイギリス、これは車好きにはまったく納得のできるセンスで、このあたりが多くの車好きに、彼を他人と思わせない親近感を抱かせるゆえんだ。
ではアメリカのものは何か。これがロックン・ロールだ。なるほどと思う。ディーンとポルシェは重ねても、ロックンロールと彼とを重ねることは、これまでまったくしなかった。ジェイムス・ディーンは1955年に死んだ。ロックンロール・サウンドただ中の時代とも思えるが、実はそうではない。「エデンの東」も、「ジャイアンツ」も、「理由なき反抗」でさえも、それほどロックンロールという感じはしない。ロックンロールが大爆発するのは、ディーンが逝った直後からになるのだ。
その証拠に、エルヴィスはディーンに強く憧れていて、「理由なき反抗」のディーンのセリフをすべて暗記していたといわれる。エルヴィスがこの映画の監督ニコラス・レイに会った時、いきなりひざまづいてディーンのセリフをすらすら暗唱したという伝説もある。そしてエルヴィスは、この映画でのディーン相手役、ナタリー・ウッドと恋愛して、結婚までしようとしていた。つまりエルヴィスはディーンに激しく憧れ、わずかに遅れて登場した。つまりディーンがロックンロールの中にいたか否かではなく、ディーンの死が、直接的にロックンロールを作った可能性がある。エルヴィスの憧れたディーン、そのスピード、破壊、死、そして髪型などのファッションだ。ディーンの死が、ロックンロールの起爆剤になった。その意味でディーンは偉大だ。
CAT STREET CAFEの店内には大きなスクリーンがあり、ロックンローラーたちの演奏や、リーゼントの若者たちのダンス風景が、延々と写されていた。50年代の撮影とみえて、白黒の画面だ。たぶんDVDだろう。
思えばこの時代のアメリカには、実はすべてがあった。クラシックの分野では、あの天才バッハ弾きのグレン・グールドの絶頂期であったし、マンハッタンはシカゴと摩天楼競争を繰り広げていて、世界唯一の高層ビル文化を満天下に喧伝していた。映画界にはマリリン・モンローが現れて、エリザベス・テイラーとともにハリウッドを絶頂に導いた。その一方で、ロックンロール文化もあった。だから当時、この音楽が決してアメリカを一色に塗りつぶしたわけではない。アメリカ文化の、これはほんの一部分だった。
料理はタイフードだった。料理もなかなかおいしかった。ここにはアメリカ、ユダヤ、タイ、日本が混在している。店内は暗く、M澤さんによれば、カバラ時代は各種デザインがもっとうんと凝っていて、いかにも金をかけたふうの造りだったそうだ。そしてロックンロール趣味はなかった。今や店内は多少あっさりしたが、それでもまだカバラ時代のグロテスクな彫刻がフロアの角に立ち、大小の置き物があちらのテーブル、こちらの棚にと見えている。ナイフやフォークがかつて黒くて大きく、柄には人の顔の彫刻がついていた。これはもうなくなって、ごく普通のフォークになっていたが、ビールのグラスが蛇をあしらった金属製の重いもので、秋元さんが、これは酔ったらぼくは持ちあげられなくなると思う、などと言っていた。
カバラとは何かというと、ユダヤ教の神秘主義的一派が持っていた「秘法」のことだ。自身を人間的に高めるすべを追及したが、ぼくの理解では、要するにゴーレムを作ろうとしていた。ゴーレムが作れるほどに偉大な聖職者にいかにしてなるか、これを追求した一派だったと思っている。迫害の民ユダヤは、ヤーハェやゴーレムという凶暴な怪物の守り神を必要とした。ゴーレムは粘土から作り、秘密の呪文とともに生命を吹き込む。そしてこの実験の過程で、ここにあるようなさまざまにグロテスクな失敗作も産み出した。
ユダヤ教は、禁断のリンゴを食べたアダムとイヴを原罪とは見ない。創造につながる冒険は容認する。そしてあらゆる生命は、神の言葉や文字が作り出したと考える。DNAの発見で、これはある意味で当たった。そして時代は今、クローンやキメラの時代に入り、ついに目にできた生命創造の神の文字ATGCが、人によって書き変えられはじめている。時代はカバラに向かっている。
奥に、タイ人らしい女性の集団がいた。東京からバブルは去ったが、その時代の遺物は健在で、どぎつさを徐々に薄めながら、それなりに定着しつつある。
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