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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第147回
島田荘司のデジカメ日記
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12−4(水)、よき時代のミステリー雑誌たち。「セントニコラスのダイヤモンドの靴」できる。
雨の中、池袋にある光文社ミステリー文学資料館を再度訪れる。もう1度ここの地下資料庫を訪ねて、古いミステリー雑誌の名前を確認したかった。それから当時活躍していた挿絵画家の名前も知りたかったし、雑誌群の表紙の写真も撮りたかった。
この日もA井さんが案内してくれた。館内で、退職したもと担当、竹内衣子氏とも合流する。今はここにつめている、やはり退職したもとカッパノベルスの編集長、多和田氏とも会えた。館内1階に入ったら、なんと山前譲氏がいた。書物の目録でも作っているのか、さかんにキーボードを叩いていた。

1階では、「江戸川乱歩展」をやっていた。乱歩さんの有名な文句、「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と書いた色紙、乱歩さん原作の映画、「少年探偵団」のポスターなどが飾ってある。うつし世は夢とは、うまい文句を思いついたものだ。夜の夢こそまこととは、乱歩文学の精神を、見事に短く言い得ている。このような名文句を思いついていれば、色紙を書くのも恥ずかしくはない。
ぼくも色紙を頼まれることがある。これはデビューして当分、書くことがないからまったく汗顔赤面のていであった。こんなことなら作家になるのじゃなかったと、本気で思ったほどだ。まさか「根性」とか「努力」とは書かないが、日本語の文字では何を書いても気恥ずかしくて、穴があったら入りたくなる。そこで、いっときは依頼相手の顔の似顔絵を描いて誤魔化していたが、これでは時間がかかりすぎるので、英語にした。これなら一瞬にしては相手に内容が解らないだろうから、時間が稼げて恥ずかしさも軽減する。
映画のポスターは、「少年探偵団」のもので、サブタイトルは――、と、この言い方はあまりよくない。英語ではこれは字幕スーバーのことだからだ。副題は、「敵は原子力潜航艇」とあった。こういう趣向が当時ははやりだった。なんとなく軍国の名残りがある。
出演者を見たら、松島トモ子とあった。これは、ぼくの小学校時代の母校、東根小学校の先輩だ。スター主義の時代で、当時は少女子役といえば彼女しかいなかった。だから、男の子はみんな彼女に憧れていた。
ガラスケースの中に二銭銅貨の原稿があり、これが驚いた。「この指輪ですか、いつもこの指輪については皆様に申し上げることですが……」と、馴染んでいる出だしと違う。別の書き出しがあったのだ。これもまた、思わずつり込まれる書き出しで、やはり乱歩さんの文体には独特の吸引力がある。
褐色となった原稿用紙のそばには、この小説のあらすじが書かれた、巻物ふうの長紙が展示されていた。面白いことに、「秘密小説」と添え書きある。今ならこんな文句は気恥ずかしくて書けないが、当時は「秘密」の2文字は、うんとハイカラな言葉だったのであろう。
横溝正史氏、鬼怒川浩氏らと並んで写った集合写真もある。雨のせいかこの日も人が少なく、心おきなく見学ができた。そうしていたら、原書房のI毛氏がやってきた。今日は「セントニコラスのダイヤモンドの靴」の見本ができる日なのだ。ここにいると予定を知らせておいたから、届けてくれたのだ。

応接室にA井さん、竹内さんなどと一緒に入って、「セントニコラスのダイヤモンドの靴」を見せてもらう。A井氏、竹内氏、ともに感嘆の声をあげる。綺麗な表紙だったからだ。しかしぼくは、つい唸ってしまった。むろんよい本にできてはいたが、不安がまったく的中していた。案の定タイトル文字の明朝が、黒文字にした関係で収縮している。線が細く感じられ、目から離すと少々見づらい。囲みの罫線も、やはり細すぎる印象になっている。
一方島田荘司の文字は、黒ゴシックだからくっきりとしてすわりがよい。予想通り、書名と目立ち方に差がついた。やはりタイトルもゴシックにすべきであった。後悔したが、もう後の祭だ。しかし、これでまたひとつ経験を積んだ。次からはうまくやれるだろう。
ここで竹内衣子さんが、牧逸馬氏のアンソロジー2巻の選者になって欲しいと言った。これはこの時にはじめて聞く話ではなく、以前に電話で依頼されていた。今年だか来年だかで、牧さんの没後50年が過ぎ、作品は公共財産となって出版社は印税支払いの義務が消える。そこで彼の短編集を、このミステリー資料館が中心になって作ろうという話になった。
牧さんは、本名を長谷川海太郎というが、18歳でアメリカに渡り、帰国して林不忘の筆名で「丹下左膳」を書いた。谷譲次名義で「メリケンジャップ・シリーズ」を書き、牧逸馬名義では、得意の英語を生かして海外の怪奇実話を次々に紹介した。これが時代の要請に的中し、彼は空前の大ベストセラー作家になった。
浴槽の花嫁、女体を料理する、肉屋に化けた人鬼、都会の類人猿など、見世物小屋的な恐ろしげな趣向で、大いに評判を取り、筆名をあげた。切り裂きジャックを日本に紹介したのも、タイタニック号の遭難を詳細に紹介したのも、おそらくは彼が最初だったのではあるまいか。このようにしてまたたくまに彼は、当時の金で3億円を稼ぎ、鎌倉に豪邸を建てはじめた。しかしあまりに流行作家になりすぎたため、眠る時間もなくなり、体を壊して邸宅完成の直前、30代で亡くなっている。
ぼくは流行作家であった時代はまったくないが、趣味といい、経歴といい、まあ似ていなくもないから、引きうけることにする。しかし彼の探偵小説の短編は、忙しすぎて筆が荒れている印象で、あまり世に遺ったものはない。怪奇実話を中心に据えて編むことになるであろう。

竹内さん、I毛さんと一緒に地下に降りる。すると館員が、ぼくのカッパでのデビュー作、「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」の原稿を保管してあるのだと教えてくれる。とり出してきて、見せてくれた。ヴィニールにうやうやしく包まれて、麗々しく出てきたのは、まさしく懐かしい自分の筆跡である。
原稿用紙がまだ白々しく、乱歩さんのもののような貫禄がない。しかもモンブランの万年筆で書いたようなものではなく、これはぼーるぺんてるという水彩ボールペンである。当時、一応万年筆でも書いてはみたが、重くて続かない。あれこれ試してみて、結局軽いこれが一番よいと結論した。
おまけにこの原稿用紙は、自分の名前が印刷された伊東屋のものなどではなく、コクヨの一番安い、しかも横書き用のものを縦にして使っていた。そうしたのは、この横書きが小ぶりだったためで、本格的な原稿用紙は広すぎ、右手の動く距離が大きくなりすぎて疲れる。小型のこれが、最も楽に感じられたのだ。いずれにしても、こんな立派な館に、こんなに丁寧に保管されるようなものでもなく思われて、やはり恐縮である。
棚に寄り、小説雑誌を抜き出してみる。牧逸馬氏が世に出るきっかけとなった、伝説の新青年がずらりと揃っていた。そのほかにも、実にたくさんの雑誌がある。Gメン、マスコット、ぷろふぃる、風車、モダン日本、秘密探偵、月刊探偵、探偵趣味、探偵実話、探偵春秋、探偵倶楽部、少年探偵、これらは、それぞれが一時代を作ったのであろう。次々に抜き出し、床に並べて写真を撮った。
次に中を見て、挿絵画家の名前を拾ってみる。高井貞二、松野一夫、塩田英二郎、霜野二一彦、三輪孝、わずかに聞き覚えがある。しかし名前よりも、絵に見覚えがある。あるいは、彼ら自身の絵ではなかったかもしれない。しかし一種の流行か、この手の絵をよく見たという記憶ははっきりとある。当時はこの傾向の絵が、探偵趣味の雑誌をすっかり埋めていた。
ポプラ舎刊、乱歩さんの「少年探偵団」シリーズを見つけた。これは単行本だが、ふんだんに挿絵がある。この挿絵画家は中村英夫。この人の場合、名前も絵もしっかりと憶えていた。
雑誌群は古すぎるのか、どうにも記憶がない。しかし中村英夫氏の名前は、絵とともにはっきりと記憶がある。数十年の時の彼方、長い時間がこれらの書物をすっかり黒ずませた。しかしこれらは、古き佳き時代の遺品だ。あの時代は貧しく、娯楽がなかった。だから、これらばかりがよく光っていた。
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