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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第142回
島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
11−23(土)、吉祥寺ロンロン、花火の広場でサイン会。
サイン会は午後4時からだった。5時までの1時間の予定だが、これはたいてい延びる。ぼくとしても、延びることは歓迎で、覚悟もしていた。いや、むしろ延びて欲しい。怖いのは5時までもたないことである。
弘栄堂には控え室がないので、いつものルノアールの、一番広い角の席をA井さんが予約した。ここを登場前の控え室として使おうということである。しょっちゅう来ているのに、わざわざ予約するのも変だが、まあよいと思った。時間の30分前にここに行くと、光文社のお歴々、カッパノベルスの現編集長八木沢さん、元編集長の多和田さん、それに販売部の方々がいらしていて、なんだかものものしい。恐縮である。いつものように席にすわったら、弘栄堂の方々が挨拶にみえる。名刺をいただいてご挨拶、なんだか遠路はるばる来た者に対するような扱いなので、いやいつもぼくは、このあたりをうろうろしているのですよと言いたくなる。
弘栄堂の人たちはそれからも何度か現れてくださり、いやすごいです。かつてない勢いですね、とか、いやー、こりゃすごいや、などと言ってくださる。こちらは、まあみなさんにそう言っているのだろうなぁと思いながら聞いた。なんといっても昨日ガラスケースの中を見ているので、言葉通りには受け取れない。
ペンは好みのものをすでに伝えてあり、A井さんが用意してくれている。A井さんが右、販売の人が左に立ち、吉敷本はこう置いて、こうめくるからとか、相手の名前を書いていただいた紙は、どんなふうにお見せしましょうか、などあれこれと打ち合わせる。そろそろ時間になったので、出ることにする。ちょうどオン・タイムだ。なにやら袖からステージに出る歌手のようだが、別に歌を歌うわけでも、演説をぶつわけでもないから緊張はない。

北口に出る通路を、普段買い物に行く時のようにして行く。駅を抜ける時、いつもここを通る。途中左手のガラス戸を押して花火の広場に入ったら、その昔浅野ゆう子さんがサインをしていた時よりも立派な作りになっていて、度肝を抜かれた。テーブルの後ろには金屏風に似た衝立があり、なにやら華やかな飾りつけがしてある。そして拍手に前方を見ると、大勢の人が並んでいたから驚き、これはもう心の底からほっとした。
スピーカー付きのアンプが床に置かれ、書店の人なのであろう、島田先生の登場です、などとマイクで紹介してくださる。また拍手が湧き、しばらく前方に立ってこれを受ける。この時は本当に嬉しかった。見ると、若い人からお年寄りまで、男性も女性もいる。本当によく来てくださったものと心から思う。不安が一挙に消し飛んだ。
すわり、猛然とこなす決意でサインを始める。だらだらやっていたら、サインしきれないかもしれない。予想外のことは、しかしこれはいつもそうだったとすぐに思い出したのだが、「吉敷竹史の肖像」一冊でなく、このチャンスにと、何冊もぼくの本を抱えた人がいて、みんなサインしてくれという。こういう人は割と多い。横にいるA井さんや、販売部の人が、それはちょっとと言いかけるのだが、それを遮って、かまわないですよと言った。ぼくは早いので、サインだけなら全然苦ではない。古本屋の人で、著者のサインがあれば高く売れるということかもしれないが、それでもかまわないと思う。
もう規定人数超えているんですが、まだ発行してもいいですかと問われる。かまわないですとも! とこれも応える。なにしろ5分で終了かと本気で心配していたのだ。多すぎることになど、何の苦があるだろう。大喜びでサインさせてもらう。朝までだってこちらはかまわない。
最初の人は熟年の女性だった。寒いのに、ずいぶん待ってくださっていたのではないかと思う。こんな歳なのにミーハーで――、と言いたげな、ちょっと気恥ずかしそうな笑みが浮かんでいたから、サインももどかしく、急いでその人の手を握った。あなたのような人こそが嬉しいのだという気持ちを、早く表したかったのだ。熟年の人の、子供のような純粋な優しさが埋もれがちの国だ。この常識を壊したくて、ぼくは頑張っている。
5冊10冊積み上げられても、急いでサインした。サインだけなら何冊あっても苦ではない。ただちょっと困るのは、好きな言葉を書いて欲しいと言われる時だ。何故なら日本語がなく、これは英語になってしまって、この言葉がけっこう長いからだ。しかし、これも苦でもない。5分で終わることに較べれば、長引くことになんの不満があるだろう。馬鹿な我が侭を言えば罰が当たるというものだ。
列がどんどん延びているという。もう2百人を超えたそうだ。サイン券、まだ出してもいいですかと問われるので、もう全然かまいませんよと応える。するとマイクが吉祥寺中に轟けとばかり、「島田先生はお優しい方で、本日いらしてくださった方は、規定の人数分以上にサインをしてくださると、ただ今おっしゃってくださいました!」などと叫ばれるので思わず赤面、筆のすべりが鈍る。このアナウンスは、終了までずっと続いて、終始大変持ち上げてくださった。大変嬉しかったが恐縮のていである。マイク付きのサイン会というのははじめてであった。
大阪から飛行機で今着きました。ちょっと体に触らせてください、幸運がいただきたいから、などと言われる。そんなことはお安いご用であるが、ぼくはそれほど幸運な方のタイプではない。
メゴチさんが現れる。後でビールを飲みましょうと誘う。角田さんの姿がある。村ドンさんも来てくれた。みんな、わざわざ列についてくれたのだ。SSKでは、ほかにみゅうさんの顔が見えた。彼女は「龍臥亭の夕べ」以来で、相変わらず可愛い人だからすぐに解る。それからnyaoさん、この人は大変シャープな印象の美人で、細身で、すこぶる知的な様子である。それからいつも思うことだが角田さん、この人は泡坂妻夫さんの「乱れからくり」に、ジュモーのビスクドールという西洋人形に関する薀蓄がひとくさり出てくるが、いつもこれを連想する。ビスクというのは2度焼きという意味で、そこまでして、白くてきめのこまかい女性の肌の表現にこだわった。角田さんが実際にジュモーの顔というわけではないのだが、なんだか人間離れのした、独特の美人である。みんなとても顔だちがよい。あとでビールを飲みましょうと誘う。これはA井さんと、そういう打ち合わせになっている。
そのほかに、同人誌時代、よく集まりに来てくれた鎌田昌一さん、村山さんの姿があって、懐かしかった。鎌田さんは、デビュー当時からよく会う機会があり、「島田荘司研究」という同人誌をずっと出してくれていた。これはのちにエッセー集を作る際に大変役に立った。当時は原稿の散逸など起こるはずもないと思っていたが、長く作家をやっていると、本当にこれが起こるものだ。先輩諸作家のことが、この頃やっと解った。こういう時、一時期の雑文をすっかりまとめていてくれると、本当に助かる。サイトの時代になり、彼はPCをやらないので、SSKに紹介する機会がなかった。メゴチさんと感じが似ているとよく思っていたのだが、今日は両方が揃ったので、2人を後で引き合わせられると考えた。
花火の広場は、ガラス戸1枚で外界と説しているからけっこう寒い。これが面白いのだが、長くサインをしていると、右手ばかりが冷える。たぶん早書きで、右手が風を切るからであろう。もう大昔になるが、夜の寒い公園で、仲間とギターの練習をした時のことを思い出した。これもコードを押さえている左手より、絶えず上下に動かしている右手が冷える。あれと同じ原理だ。しかし握手をするのも右手なので、読者の方々が、冷たい手だと思うだろうなと考えた。
1時間以上、夢中でサインした。だんだん手馴れてきて、相手の名前をA井さんが横で読んでくれるようになった。「高い低いの高、田んぼの田、明暗の明、アキラ」といった調子である。彼とは息が合うから、これで失敗はなく、自分で見て書き写していた時より、能率がぐんとあがった。「最後のディナー」原書房版とか、「ハリウッド・サーティフィケイト」などは油性のペンが要る。しかしこれは用意していなかった。こういう時、弘栄堂の女性が文房具屋に走ってくれた。
2時間はかかるかと思っていたのだが、みなの迅速な協力で、1時間半で終った。弘栄堂の女性店員が色紙を持ってきたので、弘栄堂さんへと書いて、ちょっと英文を書き、サインする。島田さんにサイン会やってもらうのが私たちの夢だったんですよと言われるので、こちらこそですよと応える。思えば講談社ノベルスの「斜め屋敷の犯罪」とか、「死体が飲んだ水」が出た時、たまたま買っている人を見たと友人が教えてくれたので、ぼくもそれを見たくて小1時間立っていた。結果は空振りだったが、それがこの書店だった。この書店が、今でも一番入る機会が多い。ここで自分がサイン会をする日が来ようとは、そしてそれがこんなに盛大なものになるとは、当時は考えもしなかった。
すべて終了すると、nyaoさんたちが花束をくれた。これは2つあったので、両手がふさがった。ずっとマイクで話してくださっていた人が、何かひと言と言われるので、マイクを持ち、いつもここは素通りしているので、今日だけ特別扱いしていただき、嬉しかったけれど、なんだか変な感じだったこと、夕べこの上の弘栄堂のガラスケースをそっと見たのだが、「吉敷竹史の肖像」は入っていなかったので、今日は誰も来てくれないのではと本気で心配したこと、しかしこんなに大勢来てくださって、本当に嬉しかったこと、そんなことを正直に述べて、感謝した。
ぼくがあまりまごまごしていても会場の切りがつかないだろうと思い、2次会の会場和旬に先に行っているとそばのA井さんに耳打ちして、両手で花束を高く掲げたら、拍手が湧いてくれたので、そのまま通路に退場して、通行人にまぎれて1人和旬に向かった。
表に出たら、すでに日が没し、道路は黒く塗れてネオンの色を写していた。雨が降っていたのだ。霧雨の中、和旬に向かって歩み出したら、島田先生と声をかけられた。大阪から来たという若い女性が、ちょっと話がしたいという。立ち話もなんだから、そのまま和旬に誘った。

やがてみんなが集まり、宴会となる。A井さんが、無事にすんだといって大変喜んでくれたので、立って挨拶してから、彼の功績をたたえた。彼がいなければ、こんなよいサイン会にはならなかった。やってきてくださったみんな、とても人柄がよく、その人たちの発する善の空気に会場がすっぽり包まれて、明るくて、柔らかくて、しかもエネルギッシュで、やっかみだの、道徳利用のとげとげしい他人追求だの、そんないつもの自殺日本を忘れた。これこそが真の日本人の姿なのだと思い、本当に感動した。その場にいると、何でもできるような気分になり、またひとつ気力をもらった。だから全然疲れはなく、本当によいサイン会だったと感じる。みなに、A井さんに拍手をしてくれるように依頼した。
オクラさんがやってきて、それからえびちゃんも来た。龍一さんの姿もあった。これら有能な人たちに支えられて、SSKはここまで大きくなった。みんなに感謝である。
龍一さんが、何故だかバドカールのコスチュームをどこかで買ってきていて、みんなこれを興味津々に見ていたが、けいすけ、Matthew組がこれを着て、しばらくみなのストロボの光を浴びていた。ズボンを脱がずに着てくれたので、みな内心ほっとしていた。
弘栄堂の人がやってきて、礼を言ってくれた。お礼を言うのはこちらの方だった。今日は、かつてないことで、250名の方々にサインしていただきましたと彼は言った。そばで八木沢さんが、通常は多くて2百人くらいだと言う。250人は異例だそうだが、それでも大勢お断りしました、と弘栄堂の人は言ってくれた。それは知らなかった。もし本当なら、これらの人たちには申し訳ないことをしたと思う。
ショウケースのことを言ったら、あれは遅い情報で、まもなく「吉敷竹史の肖像」はよい場所に入りますよという。その言葉通り、翌々日には1位の場所におさまっていた。これもみな、来てくれたみんなのおかげだ。
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