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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第141回
島田荘司のデジカメ日記
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11−22(金)、N雲社長にマンモスの絵のスケッチを渡す。
南雲堂のN雲社長と駅前のルノアールで会い、マンモスの化石のラフ・スケッチを渡した。これは今、漫画「御手洗君の冒険・マンモス館事件(仮題)」を描いてくれている、源一さんに渡してもらうためだ。
これは作中、ある集団が神とあがめているマンモスの化石の絵で、たまたま立っている状態で出土し、これに無数の水晶がこびりついて神々しい様子になっている、そういういわば天然のモニュメントである。言葉で言ってもなかなか伝わらないので、自分でスケッチを描いた。以前の「ブローフィッシュ教事件」の時も、作中年代のアメ車の絵など、懸命に描いたものだ。
それからしばらく雑談して、2人で中華料理屋「一番」に、カレイの甘酢あんかけを食べにいった。途中、ロンロン内の弘栄堂のそばを通る。この書店は、ロンロン1階にあるイヴェント・ホール「花火の広場」から、エスカレーターであがってすぐの2階にあるのだが、そのとっつきに、発売されたばかりでよく売れている本のベスト10が、ガラス・ケースに入って陳列されている。恐る恐るこれを見ると、出たばかりの「吉敷竹史の肖像」は、影も形もない。それでぼくはガーンとなり、激しい不安に襲われた。これがどういうことか、以下でちょっと説明してみよう。 

このショウケースに自著が入っていなくても、普段なら別段気にもとめないが、この日だけは特別なのであった。というのは、明日ぼくはこの「花火の広場」でサイン会なのである。「花火の広場」というのは、いつもは吉祥寺の買い物客がぞろぞろ歩いているイヴェント・スペースで、広場の隅にはボックスがあり、この中に、着飾った美人女性が2人いつもすわっている。いってみればこの広場は、吉祥寺ロンロンの玄関であり、顔ともいうべき、最も華やかな場所なのであった。
以前にここで、スターの浅野ゆう子さんがサイン会をしているのを見たことがある。ああなるほと、こういう華やかな場所では、こういう有名人がサイン会をするのだなと考えた。後日、今度は赤川次郎さんがサイン会をしているのも見た。しかしこの時は、作家が2人だった。ああ、あんなに本が売れる有名人でも、作家なら2人になるのだなと理解した。作家の知名度などそんなもので、芸能人とは較ぶべくもない。だから万一将来、弘栄堂でサイン会をするような間違いがたとえあっても、ぼくなどはこの花火の広場ではやってはいけない、そういう固い決意があった。
さて先日の「鮎川先生を偲ぶ会」では、A井さんは会う人、会う編集者ごとに、「ぼくを光文社の編集者とは呼ばないでください。島田先生の専属編集者と呼んでください」とふれて廻っていたが、そういう熱い人だから、LAにいても3日とあげずに電話がかかってくる。これはひとつ間違えばストーカーである。そういうある日の電話で、彼がこのように言った。
「こ、今回の『吉敷竹史の肖像』でですね、吉祥寺のロンロンでサイン会をして欲しいとうちの販売が言っているのですが、よ、よろしいでしょうか?」
ぼくは瞬間、まったくぎくりとしたのだが、それは表に出さず、落ちついてこう応えた。
「サイン会はかまわないのですが、吉祥寺というのはちょっと……。そのあとロンロンあたりを歩けなくなりますから。だから吉祥寺以外なら、渋谷でも新宿でも、稚内でも沖縄でも、たとえパリでもサンクト・ペテルブルクでも、どこにでも行きます。吉祥寺だけは、どうか勘弁してください」
すると彼は、「わ、解りました。で、では吉祥寺以外ということで」と言って電話をきり、販売にあたってくれた。
[ 後日また電話があり、今度はこのように言う。「じ、実はうちの販売ではなく、ロロ、ロンロンの弘栄堂さんの側の、た、たってのお願いらしいんです。島田先生には1度是非サイン会をして欲しいということなので。またうちの販売も、中央線沿線には力を入れたいらしくてですね」と言う。
これにはすっかり唸ってしまった。しかし、相手は島田先生の専属編集者である。こういう人には、どのような無理難題にでも報いるのが男というものであろう。そこでぼくはこう言った。
「はあ、ではまあ、しかたがないですね。そのかわり、花火の広場だけは勘弁して欲しいと、弘栄堂の人に強く言ってください。あそこはスターだけがサインをするところです」。するとA井さんは、はい解りましたと言った。
翌日、またA井さんから電話があり、「あああ、あの、じ、実はですね」と言いにくそうに言う。「も、もうははは、花火の広場を、おお、おさえちゃったそうなんです」と言う。これには衝撃を受けた。それはすこぶるまずい。
「そ、それで、サインするのは、私が1人ですか?」、とぼくまでどもってしまった。
こ「も、もちろんそうですが」
ぼくは衝撃で言葉が出なかった。ついに来るべきものが来た。しかし、これはまた、あまりにもまずい。よりにもよって、あの「花火の広場」に、ぼくがたった1人なのである。この世が終るような気分になった。
不安材料はさらにある。今度の本「吉敷竹史の肖像」は、自分としては力作長編「光る鶴」を書き下ろして収録し、内容には自信を持っている。が、人はそう見ないかもしれない。もともとこれは、「吉敷竹史攻略本」と呼んでいた本なのである。SSKの「奇想の源流」サイトのBBSで発売の要請があったから、これに燃える男A井N充氏が即刻反応して、雄雄しく、というより勢いで立ち上がった企画だった。いわば番外編なのである。

だから、サイン会の日程が近づくにつれ、ぼくは内心びくびくしていた。あんな晴れがましいイヴェント・ホールが墓場のように鎮まりかえり、これにA井氏と2人、茫然とすわることになるのではあるまいか、そう考えた。集まってくるのは顔見知りのサクラ編集者ばかり、サインは5分で終了、あとはすごすごと白木屋にでも行って、2人で苦いビールを飲むことになるのではあるまいか――。
だがそれでも前日になり、多少は期待してもいた。ああは言っても一応サイン会なのだから、攻略本と思っても読者は買ってくれるかもしれない。そんなに恥ずかしくないくらいの数、お客さんが来てくれるかもしれない――。
しかしそうなら、必然的にこの書店に限っては、本の数が出ていなくてはならない。もう本は平台に並んでおり、これを購入して、引き換えにサインの券をもらうのだ。サイン希望者が多いなら、必然的にこのガラスケースに「吉敷竹史の肖像」は、10位ぎりぎりくらいにでも割り込んでいなくてはならない。それが、冷酷にも影も形もない。ということは、明日来る客はほとんどいないということだ。
一番でカレイの甘酢あんかけを食べながら、ぼくは気が気ではない。そこで、必死になってN雲K範社長をかき口説いた。明日は必ず来てくれと頼んだのである。もしかしたら読者は5人程度かもしれない。N雲社長が来れば、それが6人になる。この差は大きい。
しかしN雲社長は全然態度が煮えきらない、こんなに南雲堂のために誠意を見せているぼくに向かって、「明日はちょっとゴルフで……」などと言うのであった。
「そういうことを言うのなら、もう南雲堂には今後原稿をやらない!」、とぼくは最後通牒をつきつけた。それで社長はしかたなく、しぶしぶ来ることを承知したのであった。ぼくは何度も念を押し、その夕は別れた。
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