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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第140回
島田荘司のデジカメ日記
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11−16(土)、鮎川哲也と13の歌。
全員のスピーチが終ると、鮎川賞のパーティの様子や、鮎川先生の旅行時の様子を収録したヴィデオが公開され、みなしばし前方のモニターに見入った。パリダカ帰りで髭を伸ばしていた頃のぼくの姿も写って、鮎川先生がぼくを引っ張って誰かの前に連れていき、紹介をしている映像があった。この時、鮎川先生の手がぼくの背中にずっとあり、それがむしょうに嬉しかった。
山前譲氏が、鏡像文字になっている特製の壁かけ時計を引っさげて前方に立ち、これは鮎川先生秘蔵の遺品なのだが、欲しい人は手をあげてと言った。内心ぼくも欲しかったのだが、遠慮しておいた。みんなそう思ったのか、上がった手は意外に少なく、それなら山前氏とじゃんけんをしようということになって、山前氏がグーと言い、パーを出していた人は、貫井・加納夫妻のお嬢さんだけだった。この結果には、誰も異存はなかった。
ぼくは、ずっと綾辻氏と話していた。彼はもうすぐ京都の山際に、かなりの大きな家を建てるのだと言っていた。だから完成したら遊びにきてくださいと言った。それから、創作とか葬式の話になったので、ぼくは自分の葬式の前日まで書く覚悟だと決意を述べた。最近執筆量が減っているようだけど、君も書きますよね? と訊いたら、書くとはっきり言っていた。
会が終ったので、ちょうどその時A井氏が持ってきていた「吉敷竹史の肖像」の見本を、綾辻氏と宮部さんにサインしてさしあげた。そして綾辻氏とは、筆を折らないでねと言ってから、握手をして別れた。ここがアメリカならハグをしたいところだったが、周囲に人目が多いので辞めておいた。
それから近くの養老の滝に、柄刀一さん、井垣さん、A井さんと一緒に入ってしばらく話した。柄刀さんは、江ノ電でひと駅ふた駅のところにホテルを取っていて、8時半までにチェックインしなくてはならないのだと言い、明日は伊豆方面に取材旅行に行くのだと言っていた。
柄刀さんに促されるようなかたちで早めに店を出て、鎌倉駅に入った。井垣さんとは改札口の手前で別れ、柄刀さんとは入ってから別れた。ホームで、偶然読売新聞の石田汗太記者と一緒になった。編集部に1度戻るというA井さんとは東京駅で別れ、荻窪まで行くという石田記者と中央線に乗って、ずっと話した。
彼はジャーナリストらしく、社会派全盛の時代に鮎川先生が感じていらした不快について、特に興味を持ったようで、そのことについていろいろとぼくに尋ねた。知っている限りのことを話した。
彼が、鮎川先生に「白樺荘事件」という遺稿があるらしいとぼくに言った。長編だが、もう3百枚以上できているという。しかしそこで中断しており、結末がどうなるのか、そして先生がこれで何をやろうとしていたのか、どんな仕掛けが背後にあったものか、誰も聞いていないという。非常に興味があるので、今度東京創元社の人に尋ねてみようと考えた。
遺稿という話は、高木先生のおりにもあった。神津ものではないということだったが、この時はぼくに後半を書き継いで欲しいという話が出、必要ならやる気でいたのだが、いつのまにか立ち消えになってしまった。
石田記者は荻窪までだと言っていたが、話に夢中になっていて、彼は吉祥寺まで来てしまった。近く取材させて欲しいと言うので、いつでもいいですよと応えておいた。彼とは吉祥寺で別れた。

家に帰って、もう1度もらった袋を探ったら、CDが1枚入っていたことに気づいた。「鮎川哲也と13の歌」とある。歌曲のようだった。それで先生がクラシック、特に声楽のファンであったことを思い出した。日本の唱歌も大変好まれていて、しかしそれらのうちには作者不詳、つまり作詞者名が解らなかったり、作曲者名が不明だったり、両方とも解らなかったり、あるいは記載はあっても、世間に流布されているこれが間違っていたりということが意外によくあって、鮎川先生が歌の作者探しや、真相を探る取材をされていたことも思い出した。
これはやがて音楽の友社で、「うた、その幻の作家を探る」という連載に発展した。この取材の対象となった日本の唱歌を集めた、これは貴重な特製CDだった。これはよいものをもらった。音源は、鮎川先生の所蔵されていたレコードやCDから採ったもので、レコードの場合は、あえて先生所有のプレーヤーを使って録音されたという。つまり、この音がまさに鮎川先生の聴いていた音ということになる。
収録曲は、1 早春賦、2 朧月夜、3 夏は来ぬ、4 城ヶ島の雨、5 牧場の朝、6 旅愁、7 野菊、8 七里が浜哀歌、9 浜千鳥、10 浜辺の歌、11 港、12 さくら貝の歌、13 初恋、14 お母さん憶えていますか、の14曲。いずれも有名曲で、題名も、歌自体も、耳に憶えの懐かしいものばかりだった。
CDウォークマンで聴いてみると、まずは冒頭に、レコード芸術の編集者との会話が収録されている。ちょっと鼻にかかったふうの、もの柔らかな、時にはにかんだような懐かしい鮎川先生の声が、外国の、珍しい声楽曲のレコードについて楽しそうに語っている。それから、各歌が始まっていた。
これらは多く、カートンボックス入り、6枚組で出された、日本コロンビア・レコードの「日本歌唱全集」から採られたという。もう何十年も昔のことになるだろうが、これらのいくつかは、ぼくも聴いた憶えがある。田舎の家で聴いたか、それとも学校の音楽の授業で聴かされたか、それとも単にラジオ等で聴いたのであろう。
14曲の中では、断然「さくら貝の歌」が気に入った。これが最もできがよいと感じた。多くの歌が正当派の本格的な歌唱であり、しかも高音が多く使われるので、聴いている方はそれなりにかまえなくてはならないが、この歌の松倉とし子さんという人の場合、本格的な中にも全体的に音域が低めで、声がしっとりと落ちついて感じられた。歌い手のもともと持っている声質のよさがよく聴こえ、大変包容力を感じる、よい歌唱であると思った。むろんこれは素人の勝手な感想であるから、評価採点などでないことは言うまでもないが。
この歌の取材は、逗子と鎌倉だったという。作詞者の土屋花清さんという方の未亡人と会え、さくら貝をたくさんもらって帰ったというエピソードが、ライナーノートに記されている。さくら貝を手に、にこにこしている鮎川先生の顔が見えるような心地がした。

聴きながら考えた。こういう足を使った調査という発想は、ぼくも大変に好みである。自分なら何をするだろう。今調査をし、こうして列挙して紹介したいものがあるとすれば何か。まさしくぼくにもあった。ぼくの場合、それは冤罪死刑事件ということになる。
日本には多くの死刑囚がいる。誤解が晴れるかもしれないので係争中のものは一応除くと、もっか確定死刑囚は57人である。この57人のうちの少なくとも10人が、冤罪を叫びながら今、殺されるのを待っている。秋好事件、袴田事件、名張毒ぶどう酒事件、晴山事件、三崎事件、波崎事件、宮代事件、大森事件、金川一事件――、ぼくが何かの調査連載をやるとしたら、これらの探求と紹介になるだろう。
これは単なる正義感などでは関われない危険な世界だが、誰かが陽を当てなくてはならない。よし、岩波書店「世界」の連載は、これにしようかと考えた。 
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