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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第137回
島田荘司のデジカメ日記
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11−15(金)、「最後のディナー」と、「セントニコラスのダイヤモンドの靴」。
駅前のルノアールで、まず角川書店のA立氏と会う。12月に発売予定の、角川文庫「最後のディナー」の装丁のラフがあがったからだ。デザイナーは、「三浦和義事件」とか、一連の光文社文庫の装丁総取替えを担当としてもらって、このところ気に入っている多田和博さんだった。
この時のラフ案は、まだ叩き台のような第一案で、絵で言えばスケッチのようなものだから、まだ取替えはきく。一見して、ぼくには不充分だった。これはこちらにも責任があり、以前A立君に見せてもらった現在第1線で活躍中のデザイナーたちのサンプル群に、松田行正さんが「スローグッドバイ」という本のためにした装丁があり、これが「最後のディナー」にぴったりの雰囲気と思われたので、これを参考にして欲しいと言って、「スローグッドバイ」を多田さんに見せてもらったのだ。
今回の多田さんのラフは、そういうこちらの要求に非常に忠実なもので、レイアウトといい、色調といい、まったく松田さんのものと同じと言ってもいいくらいの試作だった。
これを見ると、可もなく不可もない定番の範疇であり、よって力が全然感じられず、まったくのところ不満だった。実のところ、ぼくはちょっとしたショックを受けていた。「最後のディナー」は、ある程度定型の話なので、絵も定番でよいかとぼくは考えたのだが、自分のこの考え方の失敗だと思った。やはりどんな時でも、前例を越えて創作を切り拓く気分を忘れると、こうなるのかと反省した。
吉敷本のシリーズのように、白を貴重とし、これを生かしてワンポイント、それもあまりこちらが見たことのないようなオブジェで勝負して欲しい、無難なパターンではないものを求める、とも伝言した。しかしこんな抽象的な言い方で、果たして鋭い絵が来るものか、想像が充分な像を結ばず、そのため、来るもの来るもの駄目を出し続けるような先での不毛が想像され、ちょっとした恐怖を感じた。
だいたいにしてぼくは、他人に何かを要求する際、頭にはある程度のイメージを作っている。でないと言葉のモーションが安定せず、説得力が出ない。これは言ってみれば信念だったが、この時は、ほとんどはじめてと言ってもいいくらい、自分の頭の中にイメージがなかった。それで、果たしてできるものかと不安になった。

続いて、原書房のI毛さんに会う。彼は、「セントニコラスのダイヤモンドの靴」の表紙装丁見本と、本文中に置くカラーページの色校とを持ってきてくれていた。
こちらの本は、もう候補のラフ案ではなく、9割方できあがっているものの確認である。出版はこちらの方が早い。この装丁も、画像を何度も添付ファイルで送ってもらい、修正を続けてここまで来ている。だからもうかなり自信作のレヴェルだが、こちらはまだ1次出版だし、けっこう冒険をしていたから、この段階でまた新たな問題が出た。
画像の中心になるダイヤモンドの靴のCGも、最高によいできだ。これは宝飾品専門のデザイナーに依頼した。背景もまた、駄目を何度か出して、いろいろな絵柄に入れ換えてもらい、色彩も修正してもう完全だ。ところがこの装丁は、そういう画像の上にさらに透明なプラスティックを巻き、このプラスティックの上にタイトルと著者名を入れる形式だ。
ところがこのタイトル文字と著者名が、実に見えにくいのだった。理由は、前作「最後のディナー」の装丁デザインを機械的に踏襲して、タイトルを白文字としたためだ。前作は下の画像が暗かったから白文字でよく見えたが、今回は明るいから、下の絵の色彩にまぎれてしまって読めないのだ。
これは、即座に黒文字に変えてもらうことを決定する。ところが、その先の判断がつかないのだった。この本は、正方形に近い変形である。「最後のディナー」とのシリーズのつもりだったから、それはよい。背中の色彩も、前回は緑、今回は赤で、合わせてクリスマス・カラーとなっていて、この考え方もよい。しかし、白い文字と黒い文字とでは見え方がまるで違う。白は見かけ上膨張する。しかし黒は逆に収縮する。だからタイトルが明朝体では、細く見えすぎる危険があるのだ。著者名はゴシックである。差がついて見えるかもしれない。
さらに、タイトルを罫線で四角く囲うデザインになっているのだが、この囲み罫が細い2重線になっていて、これを機械的に黒くしただけでは細すぎ、線がはっきりしない可能性がある。前作とまったく同じ形式にしたため、かえって違って見える危険が出た。タイトルをゴシックに、囲み罫はもっと太くするか、いっそ1本の太い線に変える必要が考えられた。
デザインをやった人なら、ぼくの悩みを解ってくれるであろう。ぼくはこれまで、この手の経験を何度もしてはいるが、しかし装丁のみに深く没入してきたわけではないから、やはり経験の量が足りない。収縮するといってもどの程度か、ごくわずかなものかもしれない、はたしてタイトル文字はゴシック、罫も太くという決断をここでしていいものかどうか、決断がつかないのだった。
装丁をもう1度チェックできるかと問うと、いやもうぎりぎりのスケジュールなので、それは無理ですとI毛氏は言う。ではゴシックに変えて失敗したら、もう戻す時間がない。彼はぼくの悩みをまったく解らないから、黒に変えればいいのでは――?
とのみ考え、終始けげんな表情で待っている。そして彼は、内心このままで行かせて欲しいのがありありだ。編集者としては、ここまで来ての冒険は歓迎ではない。納品の予定が遅れるのが、彼は最も怖いのだ。
大丈夫ですよ、と何度か言うので、とうとう妥協することにした。しかしその後もずいぶん気になり、後悔の念はかなり残った。

井の頭公園を抜けて戻っていると、七井橋からゴジラの樹が見える。ちょうど陽が傾き、真っ赤な残光が樹々のてっぺんばかりを染め、なかなか綺麗だった。ゴジラも赤い。が、秋だから、この樹はもうかなり葉を落とし、骨が見えはじめている。
渡りきって右折、弁天堂の方に向かうと、画家が水彩画を描いていた。ずいぶん大きな紙で、ここで写生を描いている人の中では、これまで見た一番大きな水彩画に思えた。彼の絵にも、朱が目立つ。
創作は、ある意味で判断の連続だが、多数派としてでない決断には、やはり経験の量が要る。
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