島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第131回
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
8−10(土)、山下弁護士と、ミステリー文学資料館で対談。
池袋にある光文社ビルは、ロケーションもよく、赤い化粧レンガ貼りの、大変立派なビルだ。光文社は、音羽からこの池袋ビルに引っ越してくるつもりでいたが、いろいろな事情で果たせず、今はさまざまなテナントが入った雑居ビルになっている。このビルの1階には光文社が主催のミステリー文学の図書館、地階にはミステリー関連書の書庫がある。1階ではちょうど「横溝正史展」が開催されており、この日は休館日だったから、独占状態で心ゆくまで展示を観た。
規模は小さいがなかなかよい展示で、これは穴場というものだ。あまり人に知られてはいない。展示期間中は、ご遺族の提供で、横溝さん愛用のデスクが運び込まれ、仕事場が再現される計画もあったそうだ。しかし会場スペースの関係で果たさなかった。しかし直筆の原稿とか、貴重な写真が多く展示されていて、興味深かった。
いつも思うことだが、われわれの世代の作家は、作家展となっても直筆の原稿というものがない。それでもぼくなどは、10年以上も遡れば何とか存在するが、これからデビューする人には1枚もないに違いない。著名作品の証となると、フロッピーでも展示するほかはないが、こういう歴史的な作家の遺品と較べると、ありがたみがないことおびただしい。愛用のPCを展示するにしても、まだ一線で執筆中なら貸し出しにくい。
書斎にてとか、何々温泉を取材中の著者、という類の写真はぼくにもあるが、着物など着てはいない。ジーンズにブルゾンでは、工事現場にバイトに来ているようで貫禄がない。あらゆる職業人たちのうちで、どうも作家が一番様変わりしたのではないか。これからはせいぜい着物を愛用しようかと思わないものでもないが、着物でポルシェに乗るのも様にならないし、そのまま吉祥寺サンロードにでも繰り出せば、チンドン屋と間違われかねない。LAなら人だかりだ。
説明によれば、1階のこの図書館に蔵書は約1万冊、館外への貸し出しはしていない。著作権の範囲内でコピー・サービスはある。一般の入館料は300円ということだった。

資料館員の女性の案内で地階に降りると、これは貴重な書物の宝庫である。しかしその書籍は権威的大文学ではなく、すべてミステリー関連というのが嬉しい。ここには単行本や雑誌の資料が約4万7千冊ほどもある。国内ミステリーが中心だ。
ぼくも創刊号に書いた「コットンST.」という、今となってはなかなか貴重な雑誌が無造作に積まれてあったり、「虚無への供物」の初版本があったり、伝説の雑誌「新青年」がずらりと揃っていたりする。まだまだ整理分類中ということらしく、やや乱雑な印象だ。ここは残念ながら一般入館者には開放されず、協賛出版社の社員と、推理作家協会員に限って閲覧が許される。
たいていのものが1冊30万円はするという、稀本のコーナーもある。具体的にはこれは、小栗虫太郎著、箱入りの美麗本「オフェリア殺し」、「紅殻駱駝の秘密」、「二十世紀の鉄仮面」、あるいは夢野久作著の「山羊髭編集長」等々だ。恐る恐る棚から抜き出してみると、破損が丁寧に修繕されている。この方法を聞いて感心した。古い本の裏表紙が一見立派に整ってみえるが、よく見ると薄紙1枚分の段差がある。しかし、高くなっている場所にもまったく同じ発色のカラー図案があり、画像はきちんと連続している。一瞬どうなっているのか解らず、こちらの目が錯覚を起こしたかと考える。
これは、破損部分にカラーコピーが貼られているのだ。しかし、それでは下の面と汚れ具合に差ができるので、修復者はカラーコピーの紙面を、インスタント・コーヒーの粉末を使って汚すのだそうである。そうして、カラーコピーの新しさを目立たなくする。見事なまでの芸の細かさで、よほど本に愛着を持っていないと、ここまではできまい。汚すのにインスタント・コーヒーを使うというのは初耳で、大変勉強になった。
これら貴重な書物は、今は故人となった評論家、中島河太郎氏から長期寄託を受けているものという。置かれている間は、貸借料を払い続ける契約になっている。あまりに本の量が多く、中島邸の書庫に入りきらないし、時には雨漏りが書物を叩きかねない危険もあったとかで、ご遺族がこういう判断をされたものらしい。中島氏のほかに、権田萬治氏、故山村正夫氏よりの寄贈本の大棚もあった。まだ整理中のために、棚に「権田萬治氏蔵書」、などと書かれた紙が下がっている。
この地階資料庫で、子供の頃に目にした憶えのあるミステリー系の雑誌、いくつかに再会した。伝説の探偵小説雑誌、「新青年」の大量の背中も見える。しかし大半はもっと時代がくだったもので、しかしそれでも記憶がそれほど鮮明にやってこないのは、たぶんこちらがまだ小学生くらいの時に目にしたせいであろう。手に取り、パラパラやると、懐かしいふうのタイトル、あきらかに見覚えのある挿絵、この頃、探偵小説の掲載というと、必ず登場する挿画が何パターンかあった。それらが横溢している。どの雑誌を開いても出てくる。
何冊か見ていて、気づくことがある。美女の脚線、セクシーな衣装のダンス、シャワールームのカーテンに浮かぶ女のシルエット、ソフト帽のダンディーな男たち、まだ見ぬ外国、小奇麗な異国の街並み、高層ビル群、ワインとディナー、そんな調和世界を揺るがす流血の惨事、そして続く知的で気が利いた探偵行動、そんな胸のときめくものたちが、当時はみんな探偵小説に凝縮され、詰まっていた。今はだいぶ様子が違う。リアリズム偏重の時期を通過して、内部世界がずいぶん制限された。地味一方に傾き、登場人物は華を失い、警察関係者は鹿つめらしくて人間味に欠け、いっさいミスを犯さず、司法判断はまったくと言っていいくらいに登場せず、アメリカに暮らす者としては、かえってリアリティが感じられなくなった。古い探偵雑誌を手に取っていると、そういうことにじわじわと気づかされる。
今は小説のジャンルが分散、分業化し、しかもそのおのおのが先鋭化してしまった。表現のタブーなどほとんどなくなり、今探偵小説を読んで、性的な刺激を受けることなどまずない。そもそも何が書かれていようと、活字から性的な刺激を受けることはなくなった。その種の小説がもう極限まで表現を進めたし、性や血の刺激というなら、役者が演じる映像の方が遥かに訴求力がある。だから探偵小説は、こういう機能はいつか放棄した。
しかし今気づくが、たとえばヒッチコックの「サイコ」におけるシャワー・ルームのシーン、今これを見てもそれがどうしたという程度のものだが、当時あれは、胸がどきどきする、つまりは最高にエロチックな趣向だったのではないか。性表現が遠慮されていた時代、ほかでもない、探偵小説がこういう趣味をカヴァーし、というのは探偵小説だけがこういう趣味を、必然性をもって自然に、読者に伝えることができるジャンルだったのであろう。昔の探偵雑誌の挿絵を見ていて、そういうことを思い出した。
騎士道精神を持つ紳士が、思いがけず出遭う性的な出来事。たとえばそれは低所得者階層に起こったあの切り裂きジャックの事件などが典型だが、それを探偵小説は、紳士のルールの範疇で、抑制をもって読者に提供していた。そういうものが、要するに探偵小説であった。だからこそ、多くの読者を獲得した。日本の探偵小説、およびその専門雑誌には、国自体が貧しかったゆえもあり、あらゆる先進要素が集中し、ある種の優越性をもって存在した。ハリウッド産の映画に通じる最先端の風俗、知的で格好いい趣味のすべてが、ここだけにあった。今はすべてが骨董品的記憶のうちに埋没したから、そういう構造がすっかり見えにくくなった。
横溝氏が一時期編集長を勤めた雑誌「新青年」などは典型で、当時これは、字面通り最もファッショナブルで、進んだ青年たちのための雑誌だった。そういう彼らが探偵小説も読んだのではなく、探偵小説を読むことこそが最先端のファッションだった。今日本の探偵小説は、論理的な謎解きの面白さのみに依存して、そこにせいぜい旅の楽しさをつけ加えたり、ユーモア小説としての幅を取り込んだりと、脱乱歩、成長を自認するあまり、妙に生真面目になってしまって、読者を減らしたのであろう。そこから進歩向上したとされる清張さんの小説にも、性的なときめきはなかなかあった。
さらに悲劇的なものは探偵小説雑誌ではないか。これはもう、現代の若者たちの趣味や関心と、まるで無関係になった。まあ関係を持とうとしても、今は時代が豊かになってしまって、自動車、PC、携帯電話、ゲームソフト、洋画、スキーに海外旅行、そういう多様化の時代だから、こういうものまでを小説雑誌の編集者がカヴァーするのは至難だろう。しかし構造としてはそういうことだから、これをやらなければ当時の読者、つまり現在は老人となっている読者の減少と連動して、部数が落ちていくのは当然のことである。
ミステリー文学資料館の書庫は、巨大な書棚がすべて電動で移動する。室内の温度湿度も、理想的な状態に保たれている。ともあれ、ここに集められた書物たちは幸せだ。

それから1階に上がり、応接室で、友人の弁護士山下先生と、冤罪問題や、吉敷シリーズの意味について対談した。これは自分としては、満足できるほどに内容を深められたと思っている。山下先生の話も具体的で実があり、是非多くの人に読み、考えて欲しいと願っている。この日の対談は、11月中旬にカッパノベルスから発売される「吉敷竹史の肖像」におさめられる。

《ミステリー文学資料館》
171-0014 豊島区池袋3-1-2 光文社ビル1F。
JR池袋西口より徒歩10分。地下鉄有楽町線、要町駅5番出口より徒歩3分。
閲覧室利用時間、午前10時〜午後5時。休館日、日・月・祝日(土曜日は祝日でも開館)。
Tel.03-3986-3024 Fax.03-5957-0933
デジカメ日記 バックナンバー

Copyright 2000 Hara Shobo All Rights Reserved