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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第129回
島田荘司のデジカメ日記
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8−2(金)、自動車評論家、岡崎宏司さんと会食。
午後7時、渋谷のビゴ・ロッソというイタリア料理屋で、自動車評論家の岡崎宏司さんと食事をする。おなじみのA井さん、光文社文庫のT林さんと一緒で、総勢は4人だった。
以前に「奇想の源流」という対談本を上梓したのだが、これを今回光文社文庫に収録した。いろいろな人と対談しているのだが、その1/3くらいを岡崎宏司さんとの対談が占めていて、よってこのお礼をしたいと光文社が言ってくれて、この夜の会食になった。
車に狂っていた当時、岡崎さんとは今のA井さんとにも負けないくらいに密に付き合っていた。「奇想の源流」対談集における量の多さが、とりもなおさずこれを語っている。これはカー・アンド・ドライバーという自動車雑誌の誌上で、今年の自動車シーンを振り返るという意味合いで、毎年末に続けていた。これが何年にも及んだから、まとめたら大変な量になった。
実はわれわれの対談はこればかりではなく、ゴローという雑誌でも毎月の対談連載を1年くらい続けたから、これも入れたら自動車対談だけで1冊楽にできてしまう。実際そういう話もあったのだが、現実問題として、これは意味が薄いようにぼくは考えた。その理由は、自動車評論というものは、たとえばニュース時評のようなもので、その時点では絶大な意味があっても、時間とともに多くは腐っていく。たとえば90年型ソアラの先進のエアサスの効能を今読んでも、一般自動車ファンにはあまり意味がない。だから回ごとに話題の1車を対象としていたゴローの対談は、潔く葬ることにした。カードラのものは生かそうと考えたのは、これが一般論、たとえば車の文化論、ドライヴのテクニック論、その変遷の予想、車の未来像への予想、また日本人論にも言及していたからだ。これなら時代に腐らない要素が多く含まれていると判断した。
岡崎さんは、日本の自動車評論家の中では草分けであり、間違いなく第一人者の1人で、操安(操縦安定)性の神様といわれていた。箱根で1番早い人と呼ばれるスピード走行の技術の持ち主であり、過不足のない言葉を持つ理論家であると同時に、文化論、日本人論にも嫌がらずつき合ってくださり、しかも勉強家だったから、常にユニークな視点を持っていた。だから大変気が合い、このカードラ対談も、単にこの車が格好いいとか、早いとかのミーハー論を超えた達成があったような気がしている。だから特にお願いして、対談集に収録した。
岡崎さんは昭和15年生まれだから、日本車の成長とともに時代を生きてきていて、もう還暦も越えているはずだが、それでも未だリタイヤを許してもらえず、世界中を飛び廻って新車に乗っていることにも、彼の非凡さや、周囲の評価が現れている。
しかし彼との密の付き合いも、ぼくがアメリカに行ってしまってとうとう途絶えた。行ってすぐの年は、まだPCの時代ではなかったから、ファックス対談というものをやった。これは「奇想の源流」に収録したが、結局これが最後になった。それからもう7〜8年か。だからこの夜の再会も、もう7〜8年ぶりということになる。会ってみて驚いたのは、彼が全然変わっていなかったことだ。もともとスポーツマンで、運動神経がいいが、相変わらず細身でシャープな印象で、これが嬉しかった。岡崎さんの方も、まあ社交辞令でこちらも変わらないと言ってくださり、再会を喜んでくれた。一時期親しかった知り合いが、老け込んで外貌が変わってしまっているところを見るのは、あまり楽しいものではない。

思えばぼくの作家人生、大きな転機が2度ある。これは本格ミステリー以外への(これは一貫しているので)興味からの見方だが、一度がこの自動車趣味だった。もう一度が今の冤罪救済ということになるだろうか。この2つは、ぼくが書くものを具体的に変えた。それはエッセーのテーマが変わったとかということではなく、むろんそれもあるが、小説作品も含め、質的に、深い部分を変貌させた。
あの頃、どうしてあれほどに車が好きだったのか。しかしこれは急に起こったことではない。「占星術殺人事件」を書いていた頃から車は好きだった。執筆に疲れると、当時乗っていたホンダZだのファミリアだのを駈って、環八を端から端まで走った。それは外国車のディーラーが、この道に沿っていくつも並んでいたからだ。
やがて本が出て、多少立場もでき、好きな中古車が買えるようになってくると、こんなに気が狂ったほど車が好きな作家はほかにいなかったから、重宝がられてあちこちで自動車の記事を書かされるようになり、岡崎さんに出遭った。この頃、北方謙三さんも車が好きになり、彼は徳大寺有恒さんに出遭って、徳大寺・北方組と、岡崎・島田組とで競い合ったりした。これがけっこう楽しくて、ぼくもよく記事を書いた。
最初の頃は、ぼくの車への思いもご多聞に漏れずただスポーツカーへのもので、この車が格好いい、あるいは早い、そしてぼくはヒール・アンド・トゥができるんだぞ、といった程度の素朴なものだったが、だんだんに日本車考察は、日本人論と同質であることに気づいた。みなが角ばって大きく見える5ナンバー車に乗りたがり、許されるなら実は3ナンバー・ベンツに乗りたがっており、これは家の好みからの延長であり、車内に名画の額でも下げたいという発想を隠していることに気づいて、ぼくはこの種の文化論執筆の武器を得た。
車は、走る、曲がる、停まるするための機械であり、よって軽いことにはまず神経を裂かなくてはならず、いくら重くなってもよい家とはまったくの別物だ。しかしこの日本型の見落とし、それとも誤りは、多くの日本人のライフ・スタイルにおいても同様だった。この発見はぼくの目からウロコを落としてくれ、論文志向体質もあって、この時期ぼくは、あきらかに作家として1枚の脱皮ができた。車エッセーに関しては、つまりはミーハー車スポーツカー・ファンではなくなってきて、すると連日が職人型プロの意地悪との闘いになって、やむなくドライヴィング・テクを磨かなくてはならなくなった。そしてこれが上達すると同時に、ますます日本人への見方が固まってきた。

いずれにしても多くをもたらしてくれたこの車文化との出会いの時期、岡崎さんと会えたことは幸運だった。彼は冷静なインテリで、この手の職人たちとは少し違っていた。当時に時代は、まだ危険な車もけっこう産んでいて、2人でメーカーのテストコースをよくすっ飛んだ。そして時はまさにバブルの時代にさしかかり、航空会社とタイアップすれば、いくらでも外国に行けた時代になって、これがまたぼくに大きな幸運をもたらした。自動車と関わらなくてはあれほどに頻繁に外国には行けなかったし、今のアメリカ暮らしも、もしかするとなかった。ポルシェやベンツの工場をドイツに訪ね、アウトバーンを何度も200km/hオーヴァーですっ飛んだ。
F1の紹介期に当たったのも幸運だった。好きなレースを日本に紹介できるということで、何度もル・マンに行き、F1を追ってハンガリーに飛び、モナコに遊び、スズカに行った。ピケに会え、セナに会え、プロストと対談ができた。思えばこれは、とてつもなくラッキーなことだった。
小説家としては欧州の街角の描写が苦でなくなり、彼らの会話の雰囲気を、よく掴むことができた。そして車生産を通して、富国強兵から高度経済成長を通過した日本人が、今威圧からの卒業期にさしかかっていることを、いち早く見ることができた。
そういう旅の大半が、岡崎さんと一緒だった。深夜のル・マンのサーキットを2人で歩き廻り、日本人関係者の大物を紹介してもらって話し、ユーノディエールのストレート沿いのバーでビールを飲んだり、モナコの午前中の陽を浴びながら、イタリア野郎たちの喧騒の中で、終日好きな車のこと、これからの人生のこと、趣味の生かし方について語り合った。あの頃ぼくはもう30代の後半だったが、あれはあれで、またひとつの青春だった。
食事中、その頃の思い出話に大いに花が咲いた。ところが愕然としたことには、ぼくの方に、もう車の知識が不足するようになっていた。彼の話に登場する固有名詞、まあそれはたいてい新車の名称なのだが、解らないものが増えている。ああ、自分はもうこの世界からずいぶん遠ざかったのだな、と実感した。
岡崎さんは、以前何回か訪ねたことのある高級マンションの自宅から、一戸だての家に移ったという。女房が島田さんの小説の大ファンなので、今度是非一度遊びにきてくださいよと言ってくれた。この岡崎さんの奥さんという人がインテリで、大変に魅力的な、よくできた人である。五郎君という息子さんがいて、彼も今、自動車評論の第一線で活躍している。
楽しい一夜だった。岡崎さんと別れてから、A井さん、T林さんと近くのバーに行き、必要な仕事の打ち合わせを少しした。自動車の専門用語が多くて、聞いていて全然解らなかったと2人は言ったが、実は専門家相手に、ぼくの方もまた理解できにくくなっていた。
この時アケミ姉さんから、お父さんも稿を寄せている「土空の思い出」という文集を預かっていると告げられ、これをいただいた。これは土浦の海軍航空隊、予科練習生経験者たちが思い出を綴ったエッセーを集めたもので、戦争の時代を考えたいぼくのような者には、大変貴重な資料である。アケミ姉さんは、これを知っていて届けてくださった。ありがたいことだった。
少し読んでみると、戦況逼迫していた昭和19年、20年の当時でも、格納庫の中で、予科練習生たちにニュース映画や漫画映画を観せていたという記述があり、非常に興味深かった。じっくり読ませてもらおうと思う。

その夜、岡崎さんからメイルが入り、今夜はとても楽しかったという礼と、島田さんからちょっと最新の自動車知識が不足するようになっていて寂しい、自分でよければいつでもこれを補充するので、是非また会いましょうとあった。これもありがたいことだ。
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