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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第120回
島田荘司のデジカメ日記
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島田荘司のデジカメ日記
3−14(木)、シェラザード財団、ミステリー文学新人賞のパーティ。
光文社に寄り、まず「奇想、天を動かす」の文庫サイズ愛蔵本、50冊にサインをする。これは応募してもらった読者に、抽選で差し上げるためのもので、単行本の腰巻を使って応募する。文庫のサイズだが、ハード・カヴァーに布張りのなかなかの豪華本で、思えばこの本の製作にもけっこう苦労をした。
豪華愛蔵本ということなので、まずはヴィニール製の擬似皮革をと考えたが、人工皮革という立派な言葉に期待してサンプルを見ると、ああこれかという、文芸手帳などでよく目にするチープな意匠である。布張りの場合も大差はなく、これなど今までよく使われていましたという無地のファブリックは、やはりああこれね、といった、さして心が動かない代物だ。
そこで好みの渋い色、そして大柄のあしらわれた布を選び、これでと言うと、かなり驚かれて、柄入りの布は前例がないと言う。強引に頼んで調べてもらったら、この布はもう作っていないとなる。どうやらあまり需要がないようなのだ。これらとあれこれ抵抗しながら、ようやく好みの物、これなら自分でも持っていたいというレヴェルの装丁にこぎつけた。
不思議なもので、スタッフが「できましたらこちらでお願いできれば……」と言ってくるものには、ことごとく抵抗が来た。要するに月並みなのであるが、たとえありふれていても、ぼくが好きになれるならよい。しかし到底妥協のレヴェルには遠いものばかりだった。タイトル文字の印刷色黒は、あまり非常識ばかり言ってもと思い、要請に妥協した。が、やはり黒では少々読みづらかったかと思っている。

サインの後は、シェラザード財団ミステリー文学賞のパーティに出た。これは昨年と同じ、お堀端にある東京会館である。着いて、控え室に入ってみると、そうそうたる有名作家たちがもう集まっていて、歓談の真っ最中だった。ぼくはずっと赤川次郎さんと一緒にいたから、写真の1枚の手前には、赤川さんの頭が少し写っている。
作家たちがソファにすわっている写真について、少し説明をすると、左の壁際、手前から阿刀田タカシさん、その左隣が権田萬治さん、一人置いて夏樹静子さん、その向かいにいらっしゃる女性が皆川博子さんである。
今回の選評のスピーチは、赤川次郎さんが担当した。新人賞の受賞は、「太閤暗殺」の岡田秀文さんだが、彼を押したのはぼくと赤川さんだったからだ。
それから階を移り、立食パーティの会場に移動した。この日のパーティは、なかなか忙しいものだった。会場の前方にはテーブル席がいくつか設けられているのだが、終始ここにすわりっぱなしで、訪ねてくる人の相手をすることになった。まずは「スクリプトリウムの密室」での鮎川賞受賞者が、東京創元社の井垣さん、桂島さんに連れられて現われ、これはぼくがそう要求していたことなので、この場で彼と膝詰で、作品の直すべき箇所、直しの方向の説明をする。彼は熱心にメモをとり、ほとんどに同意してくれたが、やはり三重底目にあたる「イギリス靴の謎」のクォリティをもっとあげて欲しいという要望には、相当の抵抗感が来るようだった。これをあまり出来のよいものにすると、後がうまく続かなくなるのでは、と彼は考えを言った。そうではないと、一応こちらの考えを説明した。
次に、今は南雲堂に入ったSSKのタックさんが、オナギ先生と一緒に現われたから、しばし歓談した。以前に対談した時、オナギ先生はまだ助教授だったが、最近教授になられたという。里美ちゃんのオナギ先生は法学部だったが、こちらのオナギ先生は文学部である。どちらのオナギさんもそうだが、穏やかで、威張ったところがなく、大変よい先生だ。タックさんも、オナギさんのゼミをとったが、終始よい兄貴分という印象だったそうだ。
オナギ先生は、実は作家に成りたかったのだそうだ。だからカルチャー・スクールの作家コースにも通ったこともあるという。驚いたが、しかし教授になった方がよかったと思う。
オナギの苗字は、実は大変むずかしい漢字で、PCでもワープロでも出ない。だからオナギと打って、すぐ出た漢字を里美ちゃんの恩師の名にした。だいたいぼくは、登場人物の名前のつけ方はこんな調子で、ずいぶんいい加減である。
オナギ先生は、大学の女子学生に御手洗さんのファンがいて、作者の島田さんと会ったと言っても信じないので、対談の時一緒に撮った写真を、今も自分のデスクに置いているのだと言った。「大根奇聞」という短編で、オナギさんがモデルの教授を出したんですよと言ったら、読んでます、と言った。
そうしていたら、森村誠一先生が現われて、春樹事務所の女性雑誌の、若い編集長を紹介してくれた。大変魅力的な女性で、入社時、「都市のトパーズ」について論文を書き、パスしたのだと語った。光栄なので、それを読ませてくださいと言ったら、いやあそれはちょっと、もう見せられるレヴェルじゃありませんから、と言われた。あとでうちの雑誌を送りますから、読んでくださいと言われた。
赤川さんも現われたので、森村先生と並んでもらって、写真を撮らせてもらった。この日、実はカメラを忘れていて、今回の写真はみんなA井さんのデジカメを借りて撮っている。森村先生は、本当にいつまでもお若い。これは夏樹静子さんもそうだが、何故この人たちは老けないのか、実に不思議である。赤川さんも、最近太られたが若い。などと思っていたら、もう蛍の光が流れだし、会はおひらきとなる。食べ物があったはずと思ったが、手もつけられなかった。

2次会で、有名な銀座の文壇バー、数寄屋橋にと流れる。ここは草分け中の草分けで、三島由紀夫、梶山季之、松本清張、高木彬光、手塚治虫、梶山一騎、みんなみんなここで飲んで名を成した。今も、三島由紀夫さんが触ってむしったという壁紙のままで、だから内装が変えられないのだとママは言っていた。
ここでは、評論家の山前譲氏とテーブルが一緒になる。思えば、彼ともけっこう長いつき合いだ。「寝台特急はやぶさ、1/60秒の壁」を出した頃だったと思うが、「怪の会」という在野のミステリー・マニアの例会に招かれたら、そこに彼がいた。ほかに、今は時代小説の評論家となった縄田一男氏、長谷部史親氏などがいて、彼らと山前氏は三羽烏だった。
この中では、ぼくは縄田氏と1番親しくなり、彼の西荻の家に遊びにいったり、彼もまた、婚約者に体重を落とすことを要求されたと言って、吉祥寺のぼくの仕事場まで、西荻からてくてく歩いてきたりした。
次に山前氏とも親しくなり、もう20年近くも昔のことになるが、高木先生のお宅を訪ねる約束をし、たまたま車で北海道に取材に行ったら、大型台風に遭い、青函連絡船が欠航して東京に帰れなくなった。このままでは高木先生の家に行けないので、それではあまりに失礼だからと、山前氏に連絡して、代わりに行ってもらった。
そうしたら彼は、たちまちご夫婦と親しくなり、高木先生の資料庫に入り込んで、単行本未収録の高木短編作品を何本も古い小説雑誌から見つけ、短編集をたちまち作ってしまった。それで、かえって奥さんにぼくがお礼を言われたりした。そんなようなことを思い出しながら酒を飲み、夜もふけた。そういう1日だった。
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