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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第115回
島田荘司のデジカメ日記
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3−4(月)、大島への飛行。
昨夜は、けっこう遅くまで吉祥寺のカラオケボックスで騒いでいたが、翌日は比較的早くに起きて、「第7銀河」サイト製作者のsiriusさん、えいこさん3人で、井の頭公園の駐車場入口で待ち合わせた。siriusさんの友人で、セスナ機を持っている根本さんという人がいるから、彼の飛行機に載せてもらって、三人で大島まで遊覧飛行しようということになったのだ。以前からの計画で、siriusさんがぼくを招待してくれた。
彼の車で調布の飛行場に行く。ここの駐車場でパイロットの根本さんと合流、紹介される。明るくて、とても人あたりのよい人だった。
調布飛行場の中の、待合のブースに入る。モダンでハイセンスな建物だった。バーがあり、ここでコーヒーなどを出してくれる。模型飛行機が、何機もフロアに置かれていた。飛行機好きの男の子は、模型飛行機から入り、ついには本物に乗るということなのだろう。根本さんも、この飛行場の周辺で育ったという。
大きな窓から見える隣の格納庫には、本物の飛行機が何機も見える。すべてプロペラ機だ。旅客機はないが、かなり大型のものもある。ここから、大島や新島、神津島への定期便も飛んでいるらしい。
根本さんによれば、この建物は最近新しくなったばかりで、以前は工事現場のような掘建て小屋だったそうだ。そしてここは正規の飛行場ではなく、「場外滑走路」と呼ばれて、夜間の照明設備もない。だから太陽があるうちに飛びたち、日没前に降りなくてはならない。陽があるうちに降りないと、海にでも不地着するほかはなくなる。
この飛行場のことは、「戦争遺跡の事典」にも載っている。日米開戦前に、すでに陸軍による帝都東京の防空の拠点と定められていた。だから敗色濃厚となり、B-29が本土に侵入するようになると、ここから陸軍の迎撃機がさかんに飛びたった。
この付近、現在のICU(国際基督教大)内には中島飛行機・三鷹研究所があり、北の武蔵野市緑町には、国内最大の中島飛行機・エンジン製作工場があった。敗戦後は進駐軍が中島飛行機を接収したから、この滑走路も米軍使用のものとなり、1973年になってようやく正式に返還されたと聞く。
たくさんのセスナ機は、滑走路付近のコンクリートの広場に、ロープで留めて駐機してあった。ずっと雨ざらしだそうだ。止めてある飛行機を身近で見ると、どれも機体はかなり古い。自動車なら、もうこんな古びて艶を失ったボディに乗っているドライヴァーはなかなかいない。しかし飛行機の場合、エンジンなどの主要部品は耐用年数に応じて載せかえるから、問題はないのだという。飛行機は、自動車とは違って見映えはあまり関係がない。何故なら、ライバルがいないからだ。
内部も、自動車ほど丁寧には作られていない。軽量化が第一だからだ。また狭い。2枚羽根のプロペラで、エンジンも大きくはなく、「エンジンを整備しているとこなんか見ると、こんなんで大丈夫かいなと思いますよ」などと根本さんが言うから、少々不安になる。
しかしエンジンがかかると、なかなか力強いものだった。水冷のようだったが、音も大きい。往きは、前方の助手席に乗せてもらう。前の席の方が見晴らしがよく、撮影には具合がよいのだ。管制塔の指示を聞き、風上に向かってするすると走り出す。会話はすべて英語になっている。
もっと手間取るかと想像していたら、全然違った。意外にも軽々と、すぐに浮いた。4人も乗っているのだが、まったく問題にしない。対機体比率からして、相当に強力なエンジンという印象だ。
みるみる滑走路が眼下になり、あがったら上空でゆっくりと旋回する。そして、まずは吉祥寺の方角にと向かう。ぼくに井の頭公園を見せてくれようという計画だ。
天候は良好、空の裾はスモッグで茶色に染まっているが、見晴らしはよい。痛快な眺めだが、風があるのには閉口する。左右方向の振動は、悪路の車で体がなじんでいるが、上下方向の大きな揺れには、あまり耐性がない。ジャンボ機には数限りなく乗っているが、これは乱気流にでも巻き込まれない限り、上下方向には揺れない。すとんすとんと下方に向かって落ちるたび、思わず両足を踏ん張ってしまうが、これはなんの意味もない。こういう風のある日、セスナ機から熱心に写真を撮っていると、たいてい酔う。が、まあしかたがない。
吉祥寺はあっという間だ。細長い井の頭公園が見えてくる。池が、午前中の陽を反射して光っている。あれが七井橋、それから中の島で、もうひとつ橋、それを右に折れて、と、さっき出てきた自分の仕事場を探すのだが、どうしても見つからない。写真を撮り、あとで探すことにする。
根本さんは、しばらく旋回してくれる。かなりのスピードなのだろうが、眼下の世界はごくゆっくりと回っている。「もういいですか?」、「ええ、いいですよ」ということで、飛行機は吉祥寺を離れ、一路横浜にと向かう。
ほんのしばらく飛んだら、なにやら背の高い塔が見えてくる。おや、あれはなんだろう、と思う。二子玉川あたりに、あんなに背の高い塔があったかな、まさかまだみなとみらいのランドマーク・タワーではないだろう、と思っていたら、なんとそのランドマーク・タワーなのだった。
これが、この日1番の驚きだった。さっき吉祥寺を離れたばかりというのに、もう横浜だった。自動車のことを考えていたので、これには仰天した。空から最短距離で移動すれば、両者はこんなに近いのだ。
たちまちみなとみらいの上空に達する。ランドマーク・タワーの周囲を旋回し、続いて関内上空にかかる。中華街から馬車道にかけてを、根本さんは何回かぐるぐると回ってくれる。機体が派手に傾いているので、横の窓の外に、まるで壁のように横浜球場がそそり立つ。おまけに飛行機は、下方に何度もがくんがくんと落ちるものだから、酔うことを警戒しなくてはならない。以前、世紀末日本紀行の撮影の時、やはりこんな調子で相当に酔っ払った記憶がある。しかし今回はもう経験があるから大丈夫だろうと考え、せいぜいシャッターを切った。
「もういいですか?」、「いいですよ」ということで関内も離れ、横須賀方向に向かう。以前に天麩羅を食べたことがある、磯子、屏風ヶ浦のプリンス・ホテル上空を通過する。
海に出た。吉祥寺、横浜間は短かったが、この海の上の飛行は長く感じた。下には何もない巨大な紺色のボール、右手にはごく小さく、ぼんやりと富士が見えているが、靄っているから判然としない。こんなところでエンジンが停止したら、もうあきらめるしかないだろう。停まっているようにしか見えない、白い線を引いた船が時々下に見えるが、人間はあそこにしかいない。
上空でエンジンが停まったらと訊くと、下に地面があれば問題ないという返事だ。アメリカで指導を受けた時、教官が横から手を伸ばして、プツンとエンジンを切ってしまった。この時は滑空だけで、農家の裏庭みたいなところ、納屋のそばに降りたのだと言っていた。
前方の海に、大島らしきものがポツンと見えてくる。最初はごく小さな姿だったが、徐々に巨大になる。そうしたら、緑の山肌を左手に見ながら旋回し、滑走路に向きあう。こういう一連の眺めは、映画でたまに見る、空母に降りるシーンにそっくりだった。
降り立った大島の空港は、がらんとしていた。建物に入ると、羽田や成田に似た、それをぐっとこじんまりさせたようなチケットカウンターや、みやげ物屋があったからびっくりした。しかし考えてみれば、確かにここは定期便の発着する空港なのだ。しかし、客の姿はまったくない。
タクシーに乗り、根本さんが知っている、土地の料理を食べさせるレストランに向かった。民家の石塀の陰には、赤い椿がちらほらと咲いている。
着いてみると、そのレストランは休みだった。仕方なくまたタクシーで港まで行き、海の家ふうの定食屋に入って、海の幸のランチを食べる。なかなかうまかった。
周囲にはみやげ物屋があり、今客の姿はないが、ここは明らかな観光地だ。ずいぶん昔だが、船でここに遊びにきたことがある。東京からはまったく1日仕事だった。さっきまで東京にいたのに、もうこんな観光地に立っているのはひどく不思議な気分で、飛行機とはありがたく、そして愉快なものと思った。
根本さんは、タクシー会社の社長さんだという。「平日のこんな時間、勤務を抜けてもよかったのですか」と訊くと、「ちょっと出てくると言ってきたから、今頃社員はぼくほ探しているかもしれないなぁ」と言った。飛行機があれば、ちょっと出てくると言っても、こんなところまで来られてしまう。
店を出て、海沿いの道をぶらぶら歩いてみた。飛行機にフロートがあれば、海に降りられますねと訊いたら、「あれ、やってみたいんですよ」と彼は言った。「基本的に規制はないんで、なんの問題もないはずなんですよ。でも、あれこれうるさいこと言うのかな」と言った。
「以前はね、大島の空港に降りたら、何しにきた、みたいな目で管制官に見られたもんですよ。今は優しくなりましたよね」と根本さんは言った。日本の空の趣味も、だんだんアメリカなみになってきたらしい。
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