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編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第113回
島田荘司のデジカメ日記
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2−27(水)、21世紀本格のアンソロジーにサインする。
光文社に出かけていって、道路ぎわの会議室で「21世紀本格」のアンソロジー50冊にサインをした。この本は編纂と、収録作品を磨くこと、さらには表紙デザインにまでずいぶん情熱と時間を費やしたから、なんとか恥ずかしくない程度に売れて欲しいと願っている。デニーズで、何日も明け方までねばったが、A井さんは、これにいつも付き合ってくれた。実際この本こそは、情熱と超常識の人(?)、A井編集者でなくては作れなかった。
サインすれば必ず置いてくれ、売ってくれる書店があるということなので、私などのサインでよいなら、これはもういくらでもする。ぼくは、何故かサインが早く、さほど苦にならないたちなのである。本を出すたび、百冊ずつサインしてもよいくらいだ。などと書くと、これを各編集者に読まれてまずいかもしれないが。しかしこの日のサインは、一般書店用ではなく、国際ブック・フェアというイヴェントにおいて、光文社のブースで販売するためのものだった。
今回ぼくは、このアンソロジーのプロデューサーだったわけだが、アメリカのポップ・ミュージック界のプロデューサーのように、作品によってはミドル(サビ)の部分のメロディーを、具体的に作曲して加えるようなこともした。しかし全作品がそうかと考えられると、参加してくださった才能に迷惑だろうから、またのちの世の研究者のためにも、私が改善に知恵を絞った作品名を以下に明記しておこうと思う。ぼくはこういうことはすぐ忘れてしまうたちなので、憶えているうちにやっておきたい。
「神の手」。これは作品のコンセプトに惚れ込んでいたし、このアンソロジーの設計段階から、中核とも頼んでいた作品なので、改善提案をかなりやった。タイトルも提案した。
「A.U.ジョー」。これもよい作品で、氷川氏は迷惑だったろうが、なかなか磨きをかけた。タイトルも、私が提案した。
「原子を裁く核酸」。これはさほど磨きはやっていないが、いくらか改善意見を言った。この人には、結果的にだが、最初に来た作品に駄目を出し、新たにこれを書いてもらった格好になった。タイトルといい、内容といい、私はよい作品だったと思っている。
ほかの作品はすべて、ぼくは何も手助けをしなかった。ただアンソロジーの趣旨を説明し、短編を書いてもらっただけだ。みんな大変な才能を持った人たちなので、期待以上によい作品集にしあがったと思う。私の感想とか賛辞は、本文中の、各作品の扉に書いた通りだ。あれらの惹句は、まったくのところお世辞ではなく、本心で書いている。
それから書いておくべきは、この本のアイデアは、カッパノベルスの若手編集者、鈴木一人氏が成田空港にぼくを送ってくれた際の雑談から生じたものだ。彼のアンソロジー製作の希望に、私の以前から考えていたコンセプトをつけ加え、傾向を定めた。
しかし実働に入ってからは、これはA井編集者が粉骨砕身の努力で製本化にこぎつけた。彼の貢献度は、カラオケ・ボックスにいる際の比ではなく、圧倒的なものであった。この本は、週刊宝石からカッパノベルスに移ってきた彼が、最初に全力で取り組んだ仕事であったろう。彼は今回、とてもよい仕事をしてくれた。
それから忘れてならないのが、tenさんこと、渡邉和宏氏である。PC作家出身の彼は、持てる力のすべてを絞り出し、最高の表紙を作ってくれたと思う。血管の中を思わせる表紙の画像は、今回の作品集の趣旨にぴたりで、大変見事なものだった。彼もとても才能がある。
それを多田和博さんという(偶然名前がtenさんと同じ音なのだが)装丁のデザイナーが、ぼくの意見を入れながら、tenさん製作の画像をうまくアレンジしてくれた。実のところ今回、もしかすると内容以上に、この表紙のデザインに最も知恵と時間を使った。多田さんが作ってくれた何種類かのラフを、A井さんと食事をしている間も折り曲げてテーブルに立て、じっと見つめていた。外観決定のコツは、短期間、いかに集中して作品を見つめられるかだ。A井さんも、複数のラフを編集部スタッフに見せ、多数決を取ってきてくれたりした。もっともぼくが選択したのは、この多数票のものではなかったが。
カッパノベルスは昭和34年のスタートだが、今ここは伝統のイメージからの脱皮に悩んでいて、新しい表紙のデザインを発見しようと苦悩している。これは社長命令なのだそうだ。しかし個人的にはぼくは、下端にタイトルと著者名のスペースを独立させ、上の画像部分は文字で邪魔をしないようにする、伊藤憲治さんのデザイン・ポリシーはまだ生命力を失っていないと感じている。改革には真っ先に賛成するタイプだが、この場合は、容器は古くても、新しい画像を工夫して填めることで、まだ充分に闘える力がある、と思っている。ぼくがカッパノベルスに馴染んで育った世代ということもあるが、本のサイズ等を変更しないで、しかもライヴァルたちとは異なる新しい表紙は、まずイメージができない。また客観的に見て、今のカッパが往時の勢いを失っているのは、表紙のせいではない。この上に表紙までを替えたら、ますます悪い循環に填まる危険がある。
今現れているアイデアの候補では、どうしてもこの文字用の下部スペースという制約を取り去り、タイトルの位置を自由にして、上の画像の右端とか、中央に文字を載せていくという方向に発展させがちだ。しかしこの発想こそは簡単にすぎ、平凡になりがちで、というのはこれをやると、他社のノベルスと同じになってしまうからだ。
他のケースとは異なり、この改善は、規制を取り払って自由にすればそれでOK、という性格のものではない。
しかし上に「KAPPA NOVELS」の文字を載せた、上下のスペースを分けるためのグレーのラインが、文字を読ませるために太く設定されていて、これが今の時代やや無骨に見えること、また下の文字用のスペースは白と強制する発想は、多少時代を感じさせるようになった観があるので、このラインを細くし、「KAPPA NOVELS」の文字は大きくして左端に出し、グレーの縦書きにする構成をとってみた。下も、白にはしなかった。
個人的な提案だが、このようにしてカッパノベルス独特の伊藤デザイン・ポリシーは、まだまだ当分生き延びられると思っている。ぼくは今後、自分が書いたカッパノベルスの作品は、表紙をしばらくこのデザインで通してみたいと計画している。
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