島田荘司 on line
on line top Weekly Shimada Soji top
編集室の窓から
島田荘司のデジカメ日記
第109回
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
島田荘司のデジカメ日記
2−18(月)、市ヶ谷高木盆栽ミュージアムに寄る。
銀座で食事の約束があったので、少し早めに家を出て、市ヶ谷で下車、駅からほんの1分の、「高木盆栽ミュージアム」に寄ってみる。ここに寄るのははじめてではなく、けっこう気に入っている。以前、琴の演奏家とおつき合いがあった時、教えてもらった。
玄関には石造りの狛犬が立って出迎えているが、これは二百年前、中国吉林省の産なのだそうだ。
ぼくが最も気に入っているのは屋上庭園で、ここには砂利敷きのスペースと、ちょっとした池、それに鉢植えの松の盆栽が、手前の長椅子から1枚ガラス越しに眺められる。風が吹くと、小さな水面に小波がたつ。しかし見ているこちら側には風は感じられず、目でそれと知るだけだ。
かたちのよい石の上に、盆栽の松が置かれてある。冬は暖かく、夏は涼しく、椅子にかけていつまでも眺めていられる。この時間は奇妙に心地がよく、この吸引力は不思議な体験だ。屋上の、それも建物脇の狭いスペースだが、盆栽を置いて眺めるにはちょうど適当な広さに感じられる。
この盆栽は五葉松、銘は「千代の松」というのだそうだ。案内係の人の解説がたいていつく。これを聞きながら、館内をゆるゆる巡っていく。解説によれば、名木の盆栽というものは、たいてい親・子・孫の三代という長い時間を使って作られるのが普通だそうで、盆栽を育てた人が、あとを引き継いで欲しいと子に遺言していく。子が引き継いで育て、やはり死ぬ時、引き継ぐことを孫に伝言していく。こうして百年もの人間の時間が、小さな1本の松のために使われる。この「千代の松」も、蔵王の岸壁に自生し、風雪に堪えて生きているのを明治初期に採取され、ここにこうして盆栽となって完成しているのだそうだ。
盆栽を育てるのには大変な苦労があり、日や風、雨や雪にあまり当てすぎず、しかし、それらに当てて堪えさせなくては名木にならず、また夜間、ある程度は夜露に当てる必要があるものもあるそうだ。この博物館内に展示の盆栽も、1週間も室内に置くとたいてい弱るので、展示のあとは館の屋上の培養場に出すというふうに、繊細なローテション計画が組まれているという。
そして盆栽は、小さな鉢に入って生きることでバランスしているので、鉢から出して広い場所に移し替えてやると、たちまち枯れはじめるのだそうだ。そしてこのかたちのよい小さな植物だが、針金などで形を強制することはいっさいないらしい。何やら教訓めいた現実が、ここにはあるようだ。
くだった階の館内の常設展示には、盆栽や鉢の展示がずらと並んでいる。これはまあこちらの予想通りの眺めなので、よい感じではあるが、それほどの刺激はない。しかしこの日はなかったが、以前畳が1枚入った床の間のような一段高いスペースに、背の低い椀のような鉢が置かれていて、ここから女の乱れ髪のように無数の長細い葉がばさと畳に垂れ、妙にものすごい雰囲気を醸しているものがあって、感動したことがある。この床の間と鉢が置かれた家は、田舎の草原のただなかにあり、廃屋まがいのあばら家で、とそんな空想が浮かんだ。
もう1つ好きなものがあり、それは木造の高層建築を思わせる、大型の見事なキャビネットだ。昔ヨーロッパでは、家具は建築家が作ることがあり、よい家具は常によい建築物だといわれた時期があるが、この家具がまたその典型のように見えて、いつまでも眺めていられる。よいものの外観には、その前に長く立ち尽くさせるような吸引力がある。もうずいぶん昔だが、「ジャポニズム展」を観にいったおり、中国や日本の建築に触発された欧州の家具が展示されてあり、これが東洋ふうの欄干のような小さな柵を持っていて感動したことがある。これもそうだ。
1階の喫茶コーナーでは、自動販売機のお茶が飲める。ここは一転、モダンな雰囲気だ。
デジカメ日記 バックナンバー

Copyright 2000 Hara Shobo All Rights Reserved