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島田荘司のデジカメ日記
第100回
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島田荘司のデジカメ日記
12−13(木)、Y先生のヒヤリング。
安部弁護士からの証拠保管場所の相談にも、岩波先生からの、引き続き鑑定してくれそうな法医学の先生をあたるかとの問いにも、K大のY先生への面会の結果次第なので、しばらく待って欲しいと回答していた。感触が良好で、Y先生に鑑定をお願いするというかたちにもしなるなら、証拠品は関西に移動することになるし、とりあえず他の先生は必要ないことになる。
待っていると、堀弁護士からこのようなメイルが入った。Y先生に、11日に大学で面会したという。その結果を報告するものだった。

みなさん。弁護士の堀です。
11日にK大学のY先生にお会いしてきました。大変丁寧に応対していただき、貴重なお話しをお伺いすることができました。金田さんには本当にいい先生を紹介していただき、ありがとうございました。山住先生とはお電話だけで、結局お会いすることができませんでしたが、よろしくお伝え下さい。
概要は下記のとおりです。結果は大変厳しいものです。これを踏まえて、早急に次の手を考える必要があると思います。

Y先生からのヒアリング
(日時・場所)
2001年12月11日。午後1時から午後2時。K大学医学部、法医学教室事務室。
(ヒアリングの相手)
K大学名誉教授 大阪府監察医、Y先生。
(目的)
事件当時の秋好氏の着衣、とりわけカッターシャツの血痕について,新証拠とするための再鑑定、あるいは血痕付着実験の可能性。

(ヒアリングの結果)
1、大変温厚な方で、先生は事前に送った事件の概要を記載した書面を、あらかじめよく検討されていたので、ヒアリングは大変スムーズにいった。

2、現物のシャツと事件の概要を記載した書面、および私の説明を受けての先生の意見は次のとおり。

a、1階6畳間における姉(B型)と姉婿(A型)の殺害の際には、血液が大量に継続的に吹き出るという状況にはなかった。姉の死因は右鎖骨下動脈分枝の切断だが、この場合、血液は胸腔内に流れ出る。姉婿の場合は、左右総頸動脈損傷による失血死だが、かなり大きな傷だから、すぐに血圧が低下して、吹き出すというより、大量に流れ出す、という状態だったと思われる。
また、被害者が寝ていた場合と立ち上がっていた場合とでは血圧が異なる。立っている状態で刺された場合は、寝ていた場合に比べて血圧が高いから、より飛び散りやすい。本件の場合寝ていた状態だから、血液は飛び散るという状況でなない。
更に姉婿の場合、頸動脈が切られた場合は、体に対して横向きに血液が出る。犯行時の殺害者と被害者の位置関係、被害者の体の向きなどによっては、飛び散った血が殺害者にかからないということはありうる。したがって、カッターシャツに大量の血液が付着していないことは不思議ではない。また、飛沫痕をともなう血痕が少ないことも不思議ではない。

b、以上から、T子(富江)の作業着前面に多量の血液が付着していたという状況も考えにくい。作業着に付着した血液が、接触の結果、カッターシャツ背面に記されるとしたら、それはかすれたような状態になるはず。カッターシャツ背面にはかすれたような付着痕はあるが、それが作業着との接触によるものかは不明。むしろカッターシャツ背面の血液は、両袖のどっぷり浸かったような血液の付着と同じようにして、流れ出る血液が、かたまった血液に触れて付着したものと思われる。

c、カッターシャツ下部のAB型血痕は、ズボンから滲みとおったものではないか。

d、衣類の血痕から、付着の機序を再現するのは極めて難しい。機序の鑑定は困難。

e、実験については、体位、動き、損傷の大きさ、血管の切れ方など、条件設定が難しく、困難。

f、それぞれの被害者の血痕の付着状況をより明確にするため、細かいサンプリングをすれば、今でもABO方式でかなり明らかになる。

d、個人識別のためのDNA鑑定については、各大学で行っており、費用もまちまちと思う。

(感想)
ヒアリングの結果は,以上のようなものでした。かなり厳しい結論ですね。この状態で鑑定をお願いするわけにもいきません。また実験についても、飛沫痕自体がほとんどなかったであろうということですから、そのもみ消しなどがありうるかということも、意味がないようになってしまいます。
ただ、死体解剖の状況などを見ていただいて、死体の傷の状況を明確にしたうえで、再度Y先生のお考えをうかがう価値はあると思います。
今回のヒアリングは、死体の損傷状況に関する資料が不足していました。Y先生には、再度お会いしていただくことがありうるかもしれないということを申し上げ、了解していただいています。

これも、こちらの淡い期待を裏切るものだった。しかしこれはある意味で予想通りでもある。正確に言うと、何通りかの予想の中の、最も悪いあの手のパターンだった。冤罪救済活動も長くなると、日本型のこのパターンというものは、知らず予想するようになる。ましてY先生は検察寄りなので、殺人事件の被告は嘘をつくものとして鑑定にかかる。また多くの事案において、この態度は正しいことが多い。この手のパターンが見えたということは、この線はもう無理だと、ぼくは内心では判断した。ぼくはすぐに、次のような返信を全員に書いた。

島田荘司です。
ご報告、拝読いたしました。なかなか厳しい状況と思います。しかしある意味で、予想通りでもあります。Y先生は、大阪府監察医でいらっしゃるようなので、私見を抑えて言えば、できることならY先生に鑑定を担当していただくことが、司法への説得力につながるかと思います。
以下に、私の意見を述べてみます。

ヒアリングは、専門家によるのものらしく、大変説得力に満ちています。しかし私の感想を言いますと、やはり日本の専門家が多く陥る、アマチュアに対する専門家の説得気分、もっと言うと苦笑気分(子供扱い)というものから、脱却はできてない要素が感じられます。われわれは、絶えずこれと直面しつづけてきています。
つまり先生の気分としては、われわれ法医学の素人が、(生意気にも?)「飛沫痕跡」というものを気にして論を立て、これでもって司法に反論しようとしているふうなので、「このケースは、決して飛沫痕跡が生じるようなものではないのだよ」という対素人説得に、大きな力点が置かれているように思われます。この方向でY先生の講義を拾っていくと、これが前半の骨子となっていることが解ります。
血液が大量に、継続的に吹き出るという状況にはなかった。また、すわっているより、立っている状態の方が血圧は高い。この場合はすわっていたのだから血圧は低く、よって血はより飛び散りにくい。だから飛沫などは生じないのだ、という論旨になっています。

しかし被告は、『ホースでぬるま湯をかけられるようだった』と私には証言しています。法廷での証言もほぼ同様です。すると被告が嘘を話していることになりますが、この法廷証言の時点で、この種の嘘が自身の保身につながるという判断は、被告にはできなかったはずです。つまり嘘だとすれば、あまり意味のない嘘になります。あの時点では、被害者の体から血が噴き出したのか、それともただたらたらと流れ出ていたのか、といったような点は、争点になってはいませんでした。
また『飛沫痕跡』という言葉は、ほかでもないK先生という専門家の証言によって提出されたものです。素人の思いつきではありません。

しかしY先生は、姉嫁の場合は、頸動脈が斬られて、『体に対して横向きに血液が出る、被害者の体の向きなどによっては、殺害者に飛び散った血がかからないということはありうる』、ともおっしゃっています。これは矛盾ではないでしょうか。『被害者は、血液が大量に、継続的吹き出るという状況にはなかった』のではないのでしょうか。
それとも「飛び散った(噴出した)瞬間はあったが、すぐにたらたらと流れ出る状態に変わった」ということでしょうか。それならわれわれの考えとも異なりません。「飛んだ瞬間」のことを、われわれは問題にしているのです。
さらに、「体に対して横向きに血が飛ぶ」というのは、ある程度推察がついていた当然のことです。首の横を斬ったのですから。扇状に血が噴出すという状況の方が特殊ですし、公園の噴水のように、長々と飛び出しつづけるとは期待していません。また被害者は人形ではないのですから、棒くいのようにじっとし続けていることもありません。激しく動き、体をよじって苦悶もします。血がどの方向に飛び出そうと、殺害者富江が血を浴びる可能性は充分にあります。むしろ血を受けないでいることの方がむずかしいでしょう。そしてこういうことなら、血がたらたら流れているだけでも、四方に飛散していて不思議はないでしょう。
これは、Y先生が思わず吐露してしまった「正直な説明」ともとれます。つまりY先生は、分別から素人には隠していますが、血が飛んだ瞬間があった可能性は『ある』と、ご存知なのです。Y先生もまた、判決よりに自説を導くと先に決め、説得の論を立てていらっしゃるように見うけられます。これは常識的な、当然の判断と思います。

b、富江の着衣前面にも、よって大量血はついていない。
「よって、背後からの抱きつきによっての血の転写も生じない」。これも同じです。先述したようなことですから、そういう断定はきわめてむずかしいでしょう。
しかしここには、興味深い考え方が提出されています。『かすれたような血の跡になる』ということですね。Kさんの証言にある、『血は8分程度で凝固する』という証言とも呼応します。付着後8分以内なら『転写』、以後なら『かすれ』ということになりましょうか。Y先生のものは経過時間が考慮されていないので、意見としてはあらいし、説得がやや強引です。

もう一点、袖の大量血についての見解も、是非おうかがいたいところでしたね。これは何故付いたのか。この方向でのお話もあったのなら、是非教えてください。
それから以前の福岡ミーティングで話題になった、血液の付着量が、撮影時によって変化している可能性、これもあってのDNA鑑定の必要性の有無、これらについては、みなさんはどのようにお考えですか。ご意見、聞かせてください。

この頃になると、ぼくは秋好被告の血染めシャツの両袖についた大量血の理由について、ほぼ考えが固まっていた。これもシャツの背の大量血と同種のものと理解すれば、了解ができる。
つまりシャツの背の大量血は、被告によるエミ子殺害時、「もういいじゃないね」と言いながら、背後から羽交い締めになって留めた富江の着衣前面の血が、被告の背中にプリントされたものである。これは推理だが、ぼくはこの考え方に自信を持っている。
では袖口の血は何故かというと、この後福美に向かって包丁を振り廻す富江を、やはり背後から押し留めた際に、今度は被告の両手袖の部分が、富江の着衣の前面をまさぐったり、押しつけられたりすることになって、転写されたと考える。
この推理もまた充分合理的であり、無理は少ないと考えている。富江による羽交い締めの際も、秋好被告による背後からの押し留めの際も、双方ともに1階での2人殺害から8分以内と考えられる。よって2階での2人殺害の時点は、TY化学の上着を含んだ富江の着衣前面は、充分な「血溜まり」であった。
自分のこの考えは、弁護団にはまだ語る機会がなかったが、必要ならば述べようと思っている。そしてこのY先生のヒヤリングの結果と自分の意見は、岩波先生にもペーストして転送した。岩波さんの返事はすぐに来た。
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